余録:シベリア抑留特措法
『 「帰国」を表すロシア語の「ダモイ」だ。戦後の満州(現中国東北部)で日本の将兵は、「トウキョウ、ダモイ」とソ連兵に言われ貨車に乗った。何日か後に車内に「海だ」と歓声が上がった。だがそれは日本海ではなくバイカル湖だった▲シベリア抑留者の手記はそう伝えている。それは奴隷的な強制労働をその支配の道具にするスターリンのラーゲリ(収容所)に約60万人の日本人がのみこまれた歴史の岐路だった。その後最長11年に及ぶ抑留では、約6万人が故国の土を踏めずに命を落としたという▲「極寒」「飢え」「重労働」という三重苦で語られる抑留体験だ。さらに極限状況下の政治教育は旧軍のしがらみもからんだ日本人同士の対立も呼び起こし、多くの人々に深い傷を残した。人間の尊厳をあざ笑うかのような強制労働に、賃金は一切支払われていない▲元シベリア抑留者に対し期間に応じて25万~150万円の給付金を支給する特別措置法案が先ごろ全会一致で参議院を通過し、今国会で成立の見通しとなった。抑留が始まって実に65年、生存する元抑留者8万人、平均年齢88歳といわれる中での戦後のけじめである▲「墓標すら沈みゆく湿地に埋められし戦友(とも)らよ 白骨よ いかにいま在る」。元抑留者の一人の高橋大造さんがシベリア墓参を詠んだ歌だ。まっすぐ立てた電柱も1年で何センチも沈み、傾いてしまう湿地の墓地、そこに埋まっている遺骨の行方に思いをめぐらしたのだ▲法案は死者の確認や強制抑留の実態調査を行い、後世に伝えるよう求めている。死者たちの記憶を、痛恨の国民的体験を、歴史の闇に沈ませてはいけない。』【毎日新聞 2010年5月26日 0時07分
シベリア抑留特措法今更遅いのではないでしょうか。私の母も伯母の主人もシベリア抑留に抑留されて栄養失調で水ぶくれ状態で帰国、戦後の食糧不足で体力が戻らず困ったそうです。もうあの世に行きました。スープに1枚のキャベツ入っていたのが食事だったそうです。「極寒」「飢え」「強制労働」に耐えて、生き残り帰還した人も今や草葉の下です。私のお世話になった東京築地の場外市場で水産加工業を営んでおられた内田勝郎 さんも元陸軍航空少尉で、シベリヤに抑留され戦後日本への帰還が遅れシベリヤ帰りと揶揄され、差別され大変苦労され四柱推命の大家に予言され、仕事の傍ら運命学の研究もされたそうです。今は、肺癌の手術後耳が悪くなられ困られています。なぜシベリヤに強制連行され、強制労働に従事させられたのか本当の事実を究明する必要が有ると思います。事実を解明しないと極寒の地、シベリヤ亡くなられた方々の霊も浮かばれません。戦後の日本の戦争責任や戦後補償をずっと追求し来た旧日本社会党左派の人達、売名行為か金儲けかとも批判されていましたし、日本共産党の人達もシベリヤへの強制連行の強制労働で、倒れた同胞日本人の救済をせず、見捨て今日まで放置して来たと言って過言では有りません。なぜなのか理由は分かりませんが。奇妙で、不思議なことです。ソ連、今のロシヤは、両党に取って、友党で友好国だったからでしょうか。反日的と言われても仕方が有りません。労働者の国、ロシヤ、日本人を強制労働でただ働きさせ、劣悪な極寒の労働条件と、生活環境で十分な食事も与えず、栄養失調にし、家族のある日本人を多数見殺したのは、労働者の権利を守る真の社会主義国の代表と言えるのでしょうか。みよ万国の労働者!、インターナショナルの歌は色あせ、相反する反労働者的行為です。労働者の敵、労働者への悪しき搾取です。シベリヤ抑留者の長年の精神的、肉体的苦しみと異郷の地で死んで行った人達の恨み家族の悲しみは、社会主義国家の大国でも歴史的事実を拭い去る事は出来ません。ヒューマニズムに対する大罪です。日本政府もロシヤに戦後シベリヤ抑留者への補償も求めず、シベリヤ抑留者への長年保障もせずに放置した政府の政治的責任ももちろん有ります。日本の政治家として、シベリヤ抑留者を見捨てたとしか言いようが有りません。故吉田正さん、歌手の故三波春雄さん、故黒田了一大阪府知事もシベリヤに抑留されていた人達です。日本は、海外援助ばかり大盤振る舞いする前に、シベリヤ抑留者の救済措置を考えるべきでは有りませんか。日本の政治家としての当然の義務です。もうほとんどの人は、戦後帰還してから無理が祟って、亡くなってた人達や年齢的に亡くなった人も多く、生き残った人達も御高齢でお迎えが近い年齢の方々ばかりで葉有りませんか。生き証人となって頂く方々も少なくなっています。シベリヤで亡くなられた遺骨収集や供養を早急に政府が中心になり実施すべきです。歴史的事実をもみ消したら、政治家の政治責任が後世に問われます。ロシヤも誠意もシベリヤ抑留問題に協力して欲しいと思います。そうでないとソ連、ロシヤは、恐ろしい閉鎖的な社会主義国家、共産主義国家の怖いといつまでも抑留者や家族の人達に思われるでしょう。真の日本との友好、信頼関係は、今後築けないのではないでしょうか。シベリヤの極寒地で亡くなられた皆様方の御冥福を心からお祈り申し上げます共に、一日本人として故吉田正氏作曲の『異国の丘』、竹山逸郎さんの歌を捧げます。歌詞を掲載すると著作違反になるそうですので、掲載しませんが、そのような事を言う日本人は国賊です。『異国の丘』の歌を『遺骨の丘』の歌と思う若者も最近いて情け無くなる昨今の日本人の姿です。日本の歴史的事実が正しく伝わっていないのです。それでも日本人か言いたくなります。今の世の中魂を売り渡した国際派と名載る日本の知識人ばかりです。日本の国を憂います。
昭和歌謡 懐メロ 流行歌 竹山逸郎 異国の丘. URL. Embed ... 異国の丘. 20,473 views. wagamasurao800 www.youtube.com/watch?v=LNi-FDIxDP
異国の丘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『異国の丘』(いこくのおか)は、シベリア抑留の兵士の間で歌われていた日本の歌謡曲の楽曲であり、およびそれをモチーフとして1949年(昭和24年)に製作・公開された日本の映画である。
歌謡曲 作詞作曲
1943年(昭和18年)に陸軍上等兵として満州にいた吉田正が、部隊の士気を上げるため作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲である。戦後、シベリアに抑留されていた兵士の間で歌われ、抑留兵のひとりだった増田幸治が作詞した。非常に強い望郷の思いを歌っている。原題は『昨日も今日も』である。
- 歌唱
竹山逸郎、中村耕造の歌唱で、1948年(昭和23年)10月、ビクターレコードから発売された。
シベリアから帰還した兵士の一人中村耕造が『NHKのど自慢』に出て歌ったことから有名となった。様々な歌手によって歌い継がれている。
異国の丘(竹山逸郎)の歌詞: 今日も暮れゆく異国の丘に ... 異国の丘 竹山逸郎 歌詞情報 - goo 音楽. gooトップ. サイトマップ ... 『今日も更けゆく 異国の丘に. 夢も寒かろ 冷たかろ. 泣いて笑うて 歌って耐えりゃ』 <a href="http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND70972/index.html" title="異国の丘 秋川雅史 歌詞情報 - goo 音楽" target="_blank">異国の丘 秋川雅史 歌詞情報 - goo 音楽