【小型機墜落】運輸安全委員会と大阪府警が合同で機体の検証を開始 管制官からも聴取
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大阪府警と運輸安全委員会との合同での現場検証が行われた=27日午前10時13分、大阪府八尾市の八尾空港(竹川禎一郎撮影)
(産経新聞)
大阪府八尾市の八尾空港で小型機が墜落し、乗っていた4人が死亡した事故で、運輸安全委員会の航空事故調査官2人が27日午前、同空港に到着した。業務過失致死容疑で捜査本部を設置した大阪府警と合同で機体の検証や管制官からの聴取などを行い、墜落までの経緯や事故原因について調べる。
この日は午前10時ごろから、事故調査官と府警八尾署捜査本部の捜査員約30人が合同で現場検証を開始。滑走路脇でブルーシートを掛けられた機体と滑走路の距離をメジャーで測ったり、カメラで撮影するなどして状況を確認した。遺体は激しく損傷しており、捜査本部は身元確認や死因の特定も急ぐ。
神戸空港を出発した小型機は26日午後4時20分ごろ、着陸予定だった八尾空港の滑走路脇に前のめりに墜落し、炎上。乗っていた成人とみられる男性4人全員が死亡した。国土交通省などによると、小型機は事故の約5分前に管制官から許可を得て着陸しようとしたが、機長が管制官に「着陸し直す」と連絡した後、墜落した。
事故当時、空港付近の視界は良好で、風も弱かった。墜落までに機長から管制官に対し、周囲や機体の異常を知らせるような交信はなかったという。』
八尾空港は、昔の大日本帝国陸軍の飛行場ですが住宅地の密集地にあり、軽飛行機の離着陸が難しいのでは有りませんか。
この前の調布飛行場と類似した飛行場の立地条件のようですね。
出典
八尾空港 - Wikipedia一部引用
ja.wikipedia.org/wiki/八尾空港
八尾空港(やおくうこう、英: Yao Airport)は、大阪府八尾市にある空港。日本の空港法 における「その他の空港」である。 ... 1956年(昭和31年)3月31日 - 八尾飛行場と改称し 全国初の民間飛行場として使用開始。 1961年(昭和36年) - 空港整備法による第二種 ...
1933年(昭和8年) - 中河内郡大正村大字南木本・太田の農地埋め立てにより東西700m、南北300mの芝生張滑走路が設けられ、阪神飛行学校が設立、民間機パイロットの養成訓練開始。
なお開校年については、八尾市立図書館ウェブサイト(外部リンク節を参照)や『日本民間航空史話』(日本航空協会)では1938年(昭和13年)、陸上自衛隊八尾駐屯地ウェブサイトでは1934年(昭和9年)と、それぞれ記述している。
1940年(昭和15年) - 大日本帝国陸軍へ移譲。阪神飛行学校閉校。大正陸軍飛行場と改称。
1941年(昭和16年) - 約6倍に拡張される。北側と西側へ拡張され、南木本と太田を結ぶ道路(旧八尾藤井寺線)は分断され西へ迂回させられるが、エプロンへの通路が設けられたため地下道でくぐるようになった。
1944年(昭和19年)7月 - 京阪神防空のため編成された陸軍第11飛行師団司令部が置かれ、また二式単戦「鍾馗」、四式戦「疾風」装備の飛行第246戦隊・第246飛行場大隊が置かれた。
1945年(昭和20年) - 日本を占領下に置いた連合国を構成する1国であるアメリカ軍によって一時接収され、ヘリコプター部隊が使用。三角地(現ターミナルエリア)での農耕が始まる。
1952年(昭和27年) - 阪神飛行場と改称し一部民間での使用開始。
1954年(昭和29年) - アメリカ軍が撤収し、日本政府に全面返還。
1956年(昭和31年)3月31日 - 八尾飛行場と改称し全国初の民間飛行場として使用開始。
1961年(昭和36年) - 空港整備法による第二種空港に指定。
1969年(昭和44年) - 海上保安庁第五管区海上保安本部八尾航空基地設置。
1970年(昭和45年) - 大阪市消防局航空隊基地設置。
1984年(昭和59年) - 八尾南駅北側にあった旧エプロンが廃止され、新たに整備された現ターミナル地区へ移転。
1987年(昭和62年) - 固定翼エプロン増設。A滑走路改良工事。
1994年(平成6年) - B滑走路改良工事。
2004年(平成16年) - 海上保安庁第五管区海上保安本部八尾航空基地が、関西空港海上保安航空基地への再編に伴い廃止。
2006年(平成18年)5月11日 - B滑走路隣接民有地に、航空法が定める高さ制限を越える建造物の築造があり、撤去作業のため6月12日まで閉鎖。
2007年(平成19年)2月13日 - 阪急ホールディングス・阪神電気鉄道の経営統合に伴う事業の一環として、阪神タイガースヘリコプターの披露式典が行われた。
2008年(平成20年)8月19日 - 同空港に着陸しようとした第一航空の小型機が機体トラブルのため、八尾市内の大阪外環状線弓削交差点東側の市道に緊急着陸。乗っていた2人が軽傷を負う事故が発生した。
2016年(平成28年)3月26日 - 小型機が墜落事故が発生し、4名が死亡する事故が発生した。[4]
利用航空会社 編集
航空機使用事業のほか、個人および法人の利用がある。
過去には日東航空(日本エアシステムの前身)が定期便で利用していた[いつまで?]。また、当空港を拠点としていた昭和航空は、2012年1月25日に大阪地裁へ自己破産を申請し倒産した。
航空機使用事業(固定翼機): 朝日航空、大阪航空、共立航空撮影、第一航空、ノエビアアビエーション、ヒラタ学園
航空機使用事業(回転翼機): 朝日航洋、東邦航空、中日本航空、ヒラタ学園
メンテナンス・ディーラ: 関西アビエーション、エアロラボインターナショナル
利用官公庁 編集
陸上自衛隊中部方面航空隊(八尾駐屯地)
大阪府警察航空隊
大阪市消防局航空隊
国土交通省地方整備局
利用状況 編集
約180機の固定翼機やヘリコプターが常駐しており、小型ビジネスジェット機も常駐・飛来する。
利用目的は、固定翼機及び回転翼機を使用しての宣伝広告・写真測量・遊覧飛行・薬剤散布・操縦訓練等の産業航空、災害援助・海難援助・消火救難・海洋汚染パトロール、報道・ドクターヘリの給油、企業所有のビジネス航空機の運航整備基地などのほか、自家用航空機にも利用されており多種多様である。
2013年6月3日、日本維新の会共同代表の橋下徹と大阪府知事兼幹事長の松井一郎は米軍の新型輸送機オスプレイの訓練について八尾空港を候補地として国に提案したが[5]、八尾市長の田中誠太は受け入れ反対を表明した[6]。
年間利用者数 : 約13,000人(2002年)
年間着陸回数 : 12,999回(2012年度)[7]
サウスエプロン
自家用ヘリコプター(ロビンソンR22 BetaII)