■「私の男」(2013年・日本)
監督=熊切和嘉
主演=浅野忠信 二階堂ふみ 高良健吾 藤竜也
●2014年モスクワ国際映画祭 最優秀作品賞・最優秀男優賞
北海道奥尻島の津波で親を亡くした10歳の少女花は、避難所で遠縁の親戚だという男性淳悟と出会う。淳悟は「家族を持ちたい」と言い、花を引き連れ帰り養女として一緒に暮らすことになる。数年後、成長した花は高校生。淳悟には小町という恋人がいたが、小町は、淳悟と花の間に踏み込みがたい何かがあることを感じていた。二人の禁断の関係はやがて、地元の世話役をしている親類大塩に知られることとなってしまう。しかも、二人の間には養父と養女以上のつながりがあった。二人を引き離そうとする大塩を、花は流氷の上に置き去りにして殺害してしまう。二人は北海道を離れ東京で暮らし始めるが、それも心安らかに暮らせる日々ではなかった。
エンドロールを眺めながら感じたどんよりとした気持ちは何だろう。この二人の関係を愛情と称していいのか。二人の世界を守るために他人の命を奪ってまでの逃避行。近親相姦が倫理的によくないことはもちろんだけど、表沙汰になってないだけで実は密かに愛し合ってる人は世間にはいるだろう。だが、淳悟と花の関係は、「ホテル・ニューハンプシャー」の姉弟みたいな一時的な恋心程度じゃない。もっと深い。それはお互いがいないと生きられない依存の関係あってのことだ。流氷の海で「私の男だ!」と叫ぶ花、花と付き合う男性に「あんたじゃ無理だよ」と言い放つ淳悟。二人だけの閉ざされた世界があってこそ、響く言葉だ。でもそれは愛なのか。それを言い表す言葉が見つからない。二人にしかわからない感覚なのかもしれない。
二人の関係が観客に明確に示されてから、冒頭から花を引き取るまでの会話にそういう意味があったのか、と気付かされる。
「俺は家族を持ちたいんです」「お前に家族が持てるものか」
「俺はおばさんのこと好きだったな」
「俺はお前のものだ」
映画の構成は原作とは時系列が異なるそうだ。原作を読んでスクリーンに向かった人には印象が大きく違うことだろう。ただ二人の関係をミステリーの謎解きのように示されると期待していた人には、映画中盤でその楽しみは終わってしまっているのも確かだ。東京に舞台を移してから、映像に緊張感が一気に抜けてしまったような印象もある。
しかしこの映画が最後まで引きつけて離さないのは、不思議な臨場感があるからだ。淳悟の指をしゃぶる花とそれを無言で見つめる小町。指に残る匂い。メガネを曇らせた高校時代の花。スクリーンのこっち側では感じないはずの感覚を刺激されるかのような細かな描写。こういうディティールを面白いと感じられることは、外国映画ではなかなかない。抱き合う二人に血が滴る場面の鮮烈なイメージ。まさに"血のつながり"をおどろおどろしく見せる印象的な場面だ。ジャンルにとらわれない活動で知られる音楽家ジム・オルークのスコアが地味ながらも心に残る。
映画『私の男』予告編