◼️「シン・エヴァンゲリオン新劇場版」(2020年・日本)
監督=庵野秀明
声の出演=緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 坂本真綾 三石琴乃
成長物語は映画を感動に導く大きな要素の一つだ。映画の始めと終わりで主人公が全く違う表情を見せ、活躍する姿を示されると感動してしまう。これまでの「エヴァンゲリオン」にも確かに成長物語の要素はあった。シンジが押しつけられた状況を受け入れて、「自分が初号機パイロットだ」と自ら行動に出る。「逃げちゃダメだ」とつぶやき続ける。新劇場版「破」のラスト「綾波を返せ!」と叫ぶ彼はその極みだった。
しかしだ。「エヴァ」の物語はその成長の芽をことごとく潰し続ける。状況は幾度も悪化し、しかもその原因はお前だと辛い現実を突きつけられる。成長物語になるかと思えば、その数分先でシンジのまっすぐな気持ちはへし折られてしまう。そんな混沌の中でもがき続けるシンジに、僕らは、現実という壁に幾度も押しつぶされそうになった自分を重ねていた。その共感こそが「エヴァ」だった。ヘッドフォンで外界を遮断して安心するのは、僕らだって同じ。僕らもそれぞれのATフィールドを持っている。悩み苦しむシンジも、心を許せないアスカも、自分の存在がわからないレイも、僕らの分身だった。だから「エヴァンゲリオン」を成長物語として感動することは、ありそうでなかった結末だ。
しかも、完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版」でシンジは畏怖の象徴だった父ゲンドウと改めて対峙する。
「父親に息子のできることは、肩を叩くか、殺してやることだけよ。加持の受け売りだけど。」
ミサトさんのひと言で、ふと思い出したことがある。
以前に読んだ映画評論「映画は父を殺すためにある」で、著者である宗教家の島田裕巳氏は映画の成長物語を宗教学でいう「通過儀礼」の視点で分析していた。この本で「通過儀礼」は成人式や武家社会の元服のような儀式的なものでなく、かつてない経験、特にこれまでの自分を打ち消されるような経験をして、一歩成長することとしている。そして、アメリカ映画はこうした目線で作られたものが多いという。キリスト教的な背景で、強き父であることを求められる社会と、その父を越えるべき存在として意識する息子世代。父を越えること、自身が成長するために父を殺すこと。「スターウォーズ」はその典型だと言えるだろう。
完結編を迎えるまでにシンジが立ち向かってきたこと、この最後の試練はまさに、この父を越えるための通過儀礼と言えるのだろう。それだけにいろんな思いが交錯するラストに、僕らはテレビシリーズ以来見守ってきたシンジの、レイ、アスカの成長物語を見届けた感動を味わうことになる。
そして何より嬉しかったのは、あの荒廃した世界にも血の通った日常があって、かつてのクラスメイトたちがいて、それが描かれたこと。
しかしだ。「エヴァ」の物語はその成長の芽をことごとく潰し続ける。状況は幾度も悪化し、しかもその原因はお前だと辛い現実を突きつけられる。成長物語になるかと思えば、その数分先でシンジのまっすぐな気持ちはへし折られてしまう。そんな混沌の中でもがき続けるシンジに、僕らは、現実という壁に幾度も押しつぶされそうになった自分を重ねていた。その共感こそが「エヴァ」だった。ヘッドフォンで外界を遮断して安心するのは、僕らだって同じ。僕らもそれぞれのATフィールドを持っている。悩み苦しむシンジも、心を許せないアスカも、自分の存在がわからないレイも、僕らの分身だった。だから「エヴァンゲリオン」を成長物語として感動することは、ありそうでなかった結末だ。
しかも、完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版」でシンジは畏怖の象徴だった父ゲンドウと改めて対峙する。
「父親に息子のできることは、肩を叩くか、殺してやることだけよ。加持の受け売りだけど。」
ミサトさんのひと言で、ふと思い出したことがある。
以前に読んだ映画評論「映画は父を殺すためにある」で、著者である宗教家の島田裕巳氏は映画の成長物語を宗教学でいう「通過儀礼」の視点で分析していた。この本で「通過儀礼」は成人式や武家社会の元服のような儀式的なものでなく、かつてない経験、特にこれまでの自分を打ち消されるような経験をして、一歩成長することとしている。そして、アメリカ映画はこうした目線で作られたものが多いという。キリスト教的な背景で、強き父であることを求められる社会と、その父を越えるべき存在として意識する息子世代。父を越えること、自身が成長するために父を殺すこと。「スターウォーズ」はその典型だと言えるだろう。
完結編を迎えるまでにシンジが立ち向かってきたこと、この最後の試練はまさに、この父を越えるための通過儀礼と言えるのだろう。それだけにいろんな思いが交錯するラストに、僕らはテレビシリーズ以来見守ってきたシンジの、レイ、アスカの成長物語を見届けた感動を味わうことになる。
そして何より嬉しかったのは、あの荒廃した世界にも血の通った日常があって、かつてのクラスメイトたちがいて、それが描かれたこと。