◼️「ネットワーク/Network」(1976年・アメリカ)
監督=シドニー・ルメット
主演=ウィリアム・ホールデン フェイ・ダナウェイ ピーター・フィンチ ロバート・デュバル
シドニー・ルメット監督と脚本のパディ・チャイエフスキーが、テレビ業界のドス黒い裏側を描いた作品。観ようによってはブラックコメディなんだろうが、救いのなさに全く笑えない。むしろ怖い。多くの感想で述べられているように、現在の世相に通じる予見的な怖さがある。メディアに溺れる人々と業界を皮肉った内容だが、ここで描かれていることは紛れもなく今なのだ。
解雇を言い渡されてヤケクソになったニュースキャスター、ハワード・ビールが「番組内で自殺する」と宣言したことから始まる大騒動。彼を預言者に祭り上げ、視聴率稼ぎに利用するテレビ局の人々の醜さ。大衆にウケるネタが欲しいだけ。
そして社会に対する怒りをぶちまけるハワードは大人気に。「私は怒っている!と政府に声をあげよう」との呼びかけに、次々と視聴者が窓を開けてハワードの言葉を叫ぶ場面はゾッとした。テレビで流れていることこそ真実だと信じてしまう人々。それはネットで流れてきた情報を鵜呑みにして拡散する現代人の姿だ。僕らだって情報を吟味する冷静さを失えば似たようなものかもしれない。テレビは視聴率を、ネット社会は反響の数を競う。映画で描かれたよりも、もっと数字がものを言う時代だ。テレビ局に苦情が殺到するのも、今で言う炎上で注目を集めているようなものだ。
人間タガが外れると何も見えなくなる。数字に狂信的になっている人々は、視聴率の割合が利益に換算され、ベッドでも数字を上げる策を口にし続ける。ハワードの友人でもある報道局のマックスは、新鋭プロデューサーのグロリアに言い寄られて関係を持ってしまう。いざ妻と向き合う場面でも歯切れの悪いことしか言えない。そんな彼がグロリアの元を去るクライマックス。自分にはまだ人の心があると告げる台詞が印象深い。
フェイ・ダナウェイが自信満々の表情で上司ロバート・デュバルにアイディアを説く姿は、確かにカッコいい。でもそれがだんだん狂気の渦となって周囲を巻き込んでいくのに怖くなる。「中年男と恋をする、と占い師に言われたの♡」とウィリアム・ホールデンに迫る場面。そんなこと言われたら中高年男は揺さぶられるよな。
ともあれ、シドニー・ルメットらしい社会派テイストと業界を皮肉った作風が絡んで面白い映画だった。ジャンル分けしづらい作品だが、それは他の作品では味わえない独自の魅力がある証でもある。
解雇を言い渡されてヤケクソになったニュースキャスター、ハワード・ビールが「番組内で自殺する」と宣言したことから始まる大騒動。彼を預言者に祭り上げ、視聴率稼ぎに利用するテレビ局の人々の醜さ。大衆にウケるネタが欲しいだけ。
そして社会に対する怒りをぶちまけるハワードは大人気に。「私は怒っている!と政府に声をあげよう」との呼びかけに、次々と視聴者が窓を開けてハワードの言葉を叫ぶ場面はゾッとした。テレビで流れていることこそ真実だと信じてしまう人々。それはネットで流れてきた情報を鵜呑みにして拡散する現代人の姿だ。僕らだって情報を吟味する冷静さを失えば似たようなものかもしれない。テレビは視聴率を、ネット社会は反響の数を競う。映画で描かれたよりも、もっと数字がものを言う時代だ。テレビ局に苦情が殺到するのも、今で言う炎上で注目を集めているようなものだ。
人間タガが外れると何も見えなくなる。数字に狂信的になっている人々は、視聴率の割合が利益に換算され、ベッドでも数字を上げる策を口にし続ける。ハワードの友人でもある報道局のマックスは、新鋭プロデューサーのグロリアに言い寄られて関係を持ってしまう。いざ妻と向き合う場面でも歯切れの悪いことしか言えない。そんな彼がグロリアの元を去るクライマックス。自分にはまだ人の心があると告げる台詞が印象深い。
フェイ・ダナウェイが自信満々の表情で上司ロバート・デュバルにアイディアを説く姿は、確かにカッコいい。でもそれがだんだん狂気の渦となって周囲を巻き込んでいくのに怖くなる。「中年男と恋をする、と占い師に言われたの♡」とウィリアム・ホールデンに迫る場面。そんなこと言われたら中高年男は揺さぶられるよな。
ともあれ、シドニー・ルメットらしい社会派テイストと業界を皮肉った作風が絡んで面白い映画だった。ジャンル分けしづらい作品だが、それは他の作品では味わえない独自の魅力がある証でもある。