麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

真ん中が抜けている(前編)

2008年07月31日 | 鑑賞
 昨日の「gooブログアドバンス」のブログの数は、1,064,509本。 
 日本の、しかもgooでこの数だもんな…

                   

 高橋義孝氏(僕との血縁関係なし)の『言いたいことばかり』(新潮文庫/昭和五十六年初版)を読んでいる。
 氏が新潮社から出した五冊の随筆集から選りすぐったエッセイ集だ。昭和三十年刊『大名の酒盛り』から同四十二年刊『穏健なペシミストの観想』からのピックアップで、表題は20頁に載っている作品のタイトル。
 出典はわからないから、何時書かれたか不明だが、随分と昔なことは確かだ。
 でも、うわあ~と思う内容だ。
 その一節を引用すると。。。

(前略)どんな雑誌や新聞にも社会に名の出た人間のゴシップやゴシップに近い記事が署名、匿名で沢山のっている。雑誌や新聞の紙面は次第に「私小説」化してゆく。「私小説」化過程は別の面でも進行中である。新聞、雑誌、ラジオ、狭い範囲内で配られるパンフレット、テレビ、投書その他いわゆるマス・コミューニケイションの諸手段を通じての批評が今日ほど活発に行われている時代は日本にこれまでなかったのではあるまいか。社会百般の事物で批評の意地悪い目をまぬがれているものは何一つとしてない有様だ。

。。。長くなったが、もう、これってまんま「今」の話であり、でも既に1955年~70年の頃には大いに言われていたってことだ。
 ちなみに「コミューニケイション」は原文のままです。
 
 数行とばしてさらに引用すると。。。

 今日ではもう人の目につかない場所はなくなってしまった。人の好奇心を多少ともそそるような事柄だと、それこそ文字通り尻の穴までマス・コミューニケイションの諸手段を通してぱっと世間に知らされてしまう。つまりすこしでも人の好奇心をそそるようなものは素裸にされてしまう。ストリップ・ショー化しなければ気がすまないのだ。

 。。。と続く。当時の「こんにち」はさらに加速して21世紀の「こんにち」に繋がっている。もうストリップではすまなくて、モザイクなしのAVだ!

 ちなみに、僕は国民総ブロガー化を否定していない。いや否定も何も自分で書いてしまっているものナ

【長くなったので後編に続く】
 
コメント
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