たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

内館牧子著 「終わった人」

2023年07月26日 13時50分30秒 | 読書記

図書館から借りていた、内館牧子著「終わった人」(講談社)を、読み終えた。好みの作家や好みのジャンルも異なるため、日頃、夫婦夫々、別々に、図書館から借りているが、時々、返却期日までに余裕が有る場合等、お互いに回し読みをすることが有る。先日、読んだ、内館牧子著、「今度生まれたら」もその1冊だったが、ほとんど時代小説しか読んでいない読書初心者の爺さん、正直なところ、内館牧子作品、これが初めだったのだ。老境を迎えた女性の、あるいは夫婦の揺れ動く本音、本性を描いている作品で、佐藤愛子風というか、歯に衣着せぬ作風の痛快な文体に引き込まれてしまい、一気に読んでしまい、ブログ・カテゴリー「読者記」にも、書き留め置いたものだったが、内館牧子著の「高齢者小説」ベストセラー、「終わった人」「すぐ死ぬんだから」「老害の人」に次ぐ作品だというを知り、続いて、他の書も読んで見たくなり、今回、「終わった人」を、借りてきたものだ。続いて、「すぐ死ぬんだから」「老害の人」も、読んでみたくなっているところだ。

▢目次
 第一章 ~ 第十二章、
 エピローグ、あとがき

▢主な登場人物
 田代壮介(主人公、俺、63歳~66歳、羅漢)、千草(壮介の妻、57歳~60歳)、
 道子(壮介・千草の娘)、
 バネ(壮介の母親、86歳~89歳)、美雪(壮介の妹)、
 浜田久里
 鈴木(38歳)、森宏太(公認会計士)、
 青山敏彦(トシ、千草の従弟)
 二宮勇、工藤、根津(ネズミ)、市川(イッチャン)、川上喜太郎(16番)
▢あらすじ
「定年って生前葬だな。俺は専務取締役室で、机の置き時計を見ながらそう思った。・・・・」
本書、第一章、冒頭の一節だ。
大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま、63歳で定年退職を迎えた田代壮介が主人公の物語だ。仕事一筋だった彼は途方に暮れ、生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける。シニア世代の今日的問題であり、現役世代にとっても将来避けられない普遍的テーマとも言える。東大法学部卒、エリート意識、見栄も有り、図書館通いやジムで体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗があり、どんな仕事でもいいから働きたいと職探しをしてみるが、高学歴や立派な職歴がかえって邪魔をしてうまくいかない。妻や娘からは、「恋でもしたら」などとけしかけるが、気になる女性浜田久里がいたところで、妄想だけで、思い通りになるものでもない。そして、入会したスポーツジムで知り合った鈴木との出会いが、彼の運命の歯車を狂わすことに・・・・。
壮介と千草の娘、道子が、度々、父親母親に対してズケズケと言い当てる場面が有る。それが、結構、的を得ていて、説得力も有り、なんとなく、著者が、道子に代弁させているのかも知れない等と勝手に解釈したりもした。
「一番欲しい物、仕事」、「負債総額9,000万円」、「思い出と戦っても勝てない」、「壮さんは、まだ成仏してない」、「夫として妻への義務は・・」、「出会った人を切ること等無い、短い人生では大きな縁」、「離婚出来る、離婚出来ない」、「ソフトランディング(軟着陸)出来なかった」・・・、葛藤が続き・・・、
「エピローグ」で、千草と並んで、生まれ故郷盛岡の北上川にかかる「開運橋」を渡る壮介。どうしても切れない他人と人生を歩み続けることは、運そのものかも知れない。・・・
「胡馬北風」・・北方で生まれた馬は、北風が吹くたび故郷を懐かしむ・・・・。
「卒婚」を決めた夫婦、人生の老いの坂は、まだまだ先が長い。

「あとがき」で、著者内館牧子氏は、還暦を迎えた後、同年代の会合等に出席して気が付いたこととして、「若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ない・・・」のではないか、と記述しておられる。60代と言えば、男女共まだ生々しい年代であり、心技体とも枯れておらず、自信も自負も有るはずだが、社会では、第一線からお引取り下さいと言われてしまう。主人公の壮介は、それに抗って仕事を見つけ、自分を生かそうとしたのだったが・・・。

 

 

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小さな訪問者、君の名は?

2023年07月26日 06時10分29秒 | 暮らしの記録

日の出前の爽やかなひととき、

今日もまた、猛暑の1日になりそうだ。

玄関先に、小さな訪問者、
カナブン?、
ちょっと、ちがうみたい?
君の名は?

春先から咲き始め、十数個の花を咲かせ、
すっかり咲き終わっていた、鉢植えのサクララン、
再び、蕾が数個、膨らみ始めており、1輪が開花し始めた。
サクララン開花ショー、第2幕開演・・かな?

 

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夏盛り朝飯前(あさはんまえ)の一仕事、

2023年07月25日 09時16分30秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

5時台の気温、25℃前後、
今日も、日中は、35℃前後の猛暑になりそうだ。
もう、2日間、行ってないし・・・、
今日は、どうしても、行かなくては・・・、
少しでも涼しい内に、・・・ということで、
朝飯前(あさはんまえ)に、Go To 畑!と相成った。

(1)トマト、ミニトマト、ゴーヤ、キュウリ、ナス、ピーマン、シシトウ、
   インゲンマメ、地這いキュウリ、サトイモ、等に たっぷり、水やり。

幸いなるかな、畑地の隣りの空き家の所有者Mさんから、敷地内の井戸水を
使わせていただいており、毎度、長いホースで引っ張ってきて放水、
大いに有難く、助かっているが、これも結構大変な仕事である。

(2)先日、やり残していた夏野菜周りの空き畝の草取り(草抜き)、

(Before)

(After)

(3)トマト、ミニトマト、キュウリ、ナス、等収穫

待ち構えていた、蚋(ぶよ)の大群に襲われ、
あっちこっち、ボコボコになり、
ちょこっとのつもりが、1時間以上掛かってしまい、
全身汗だく、
まだまだ、草取り(草抜き)しないとならない箇所有りだが、
今日は、ここまで、
無理せず、少しづつ・・・、
シャワーを浴び、スッキリ後、遅い朝食、
やれ、やれ、
天気予報を見る限り、当分、雨が降る気配無し、
少なくとも、2~3日毎には、水やりが必要な畑地、
先が思いやられる。

朝もハヨから、御苦労なコッテスナア・・・、
と言わんばっかりの、近所で飼っているオニャンコ

                    マンリョウ

 


「道程」 高村光太郎

2023年07月24日 19時01分27秒 | 詩・エッセイ
先月2023年6月に、「古い写真から蘇る思い出の山旅・安達太良山」で、(蛇足)として、高村光太郎の詩「智恵子抄」「あどけない話」を書き込んだことが有ったが、正直、高村光太郎に関しては、ほとんど無知で、気になっていたものだ。高村光太郎から、サッと思い浮かべることが出来るといえば、せいぜい、詩「智恵子抄」と詩「道程」位なものであるが、いずれも、中学生の頃の教科書に載っていたような気がする位で、ほとんど覚えてもいない。

今更になってネットで調べてみると、
高村光太郎は、1883年(明治16年)3月13日生、1956年(昭和31年)4月2日没(享年73歳)の詩人、歌人、彫刻家、画家だった。
彫刻家の高村光雲の長男に生まれ、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)彫刻科に入学したが、文学に関心を寄せ、与謝野鉄幹の新詩社の同人となったり、ニューヨークへ1年2ヶ月留学したりした。帰国後、旧態依然の日本美術界に不満を持ち、父親にも反抗、東京美術学校教職も断り、しばらくは、かなり烈しい耽溺生活に陥リ、精神的な危機を経験する。
「道程」は、1914年(大正3年)3月に、「美の廃墟」で発表されたが、元々、102行に及ぶ長い詩だったのだという。その詩、同年10月に出版された、詩集「道程」では、よく知られている、下記、9行の詩になって、発表されている。
「へー!、そうだったの」・・・、である。
同年12月には、福島県出身の長沼智恵子と結婚、その智恵子とは、1938年(昭和13年)に死別。1941年(昭和16年)8月には、詩集「智恵子抄」を出版している。
1945年(昭和20年)4月、東京大空襲でアトリエや作品が焼失、岩手県花巻の宮沢清六(宮沢賢治の実弟)方に疎開。戦後は、花巻郊外に、粗末な小屋を建てて移住、約7年間、戦争中、戦争協力の詩を作った自責自省の念を持ち、独居自炊の暮らしを送ったが、肺結核で苦しむようになったのだという。
 
「道程」
高村光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

(ネットから拝借画像)

(参考)
「道程」 高村光太郎
👇
青空文庫


振り返り記事「古い写真から蘇る思い出の山旅・安達太良山」
👇
こちら


 


暑中お見舞い申し上げます・・・♫、

2023年07月24日 10時12分00秒 | 暮らしの記録

当地、今日の日の出時刻は、4時45分頃、
早朝の気温は、22℃前後だったが、
日中は、35℃前後になるようだ。
7月も下旬、
全国的に、梅雨も明け、夏空が広がり、
夏真っ盛り・・、である。

散歩・ウオーキングの途中では、すでに、あっちこっちで見掛けているサルスベリだが、
我が家の猫額庭のサルスベリも咲き始めた。
大きくなり過ぎて、2年前?、根本からバッサリ伐採したが、
生命力旺盛な樹木、
またまた枝葉を伸ばしてきて、低い位置で開花し始めている。

「花の命は、短くて」・・・と言われるが、
咲いてる期間が長い、長い、カシワバアジサイ、
まだまだ、これから色が変わって、咲き続ける。

ほとんど咲き終わったノウゼンカズラ、
花後は、こんな姿に?


「暑中お見舞い申し上げます」 キャンディーズ (YouTubeから共有)







 


「引き潮(Ebb Tide)」(再)

2023年07月23日 17時43分27秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、5年前、2018年11月に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「引き潮」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「引き潮(Ebb Tide)」(再)

今更になってネットで調べてみると
「引き潮(Ebb Tide)」は、1953年(昭和28年)に、アメリカのハープ奏者ロバート・マックスウエルが作曲、後から、カール・シグマが詞を付けた歌曲だったが、同年に、フランク・チャックスフィールド楽団(Frank Chacksfield Orchestra)がリリースし、大ヒット、以降、ポール・モーリア、マント・ヴァーニ、プラターズ、ライチャス・ブラザーズ、フランク・シナトラ・・・等々、数多の楽団や歌手にカバーされ ポピュラー音楽のスタンダード・ナンバーになった。
日本でも、昭和30年代、40年代以降、ラジオ等から盛んに流れていたような気がするが、打ち寄せる波の音や海鳥の鳴き声付きのスローで始まる美しい旋律、ムード・ミュージックの定番でもあった。やはり、名曲のひとつに数えられる楽曲ではないかと思っている。

フランク・チャックスフィールド楽団演奏の「引き潮(Ebb Tide)」 (YouTubeから共有)

ザ・プラターズの「引き潮(Ebb Tide)」 (YouTubeから共有)

スチールギター演奏の「引き潮(Ebb Tide)」 (YouTubeから共有)

サム・テイラー演奏の「引き潮(Ebb Tide)」 (YouTubeから共有)

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何の実(種)?

2023年07月23日 09時43分53秒 | 散歩・ウオーキング

早朝、5時台、気温は、すでに、25℃超、
今日も、猛暑になりそう?、
日中は、出来るだけ出歩きたく無い後期高齢者、
ちょこっと、近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約3,600歩。
戻ってきた頃には、汗だくになり・・・。

ヤマボウシ(山法師)の実(種)?・・・かな?
坊主頭が、ぞろぞろ・・・、

タチアオイ(立葵)の種
花後を、よく見たこと無かったが、こんな風な・・・。

エゴノキの実(種)?

ヤマユリ(山百合)は、そろそろ、おしまいに近づいている感じ・・

子供の頃、「夏」と言えば、「アサガオ」、「ヒマワリ」・・・、
だった。

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梅雨明け

2023年07月23日 05時13分34秒 | 暮らしの記録

昨日、7月22日、気象庁から、「関東甲信地方、東北南部地方、東北北部地方が、梅雨明けしたとみられる」と、発表が有った。

(日本気象協会 tenki.jp より)

関連して、梅雨入りから梅雨明けまでの期間の降水量(速報値)も発表されていたようだが、今年の梅雨、全国各地で概ね、平均降水量を大幅に上回り、大雨による被害が齎されたりしていたが、関東甲信地方に限っては、平均降水量256.4mmに対して、107.5mmと、極端に少なく、「空梅雨」だったと言えるのではないかと思われる。この分だと、この夏、水不足が心配されたり、育てている野菜や花の水やりも、いつもより大変になりそうな感じがしている。

 


朝飯前(あさはんまえ)の草取り(草抜き)と水やり

2023年07月22日 12時40分11秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、昨夜、一時、小雨がぱらついたようだったが、
結局まとまった雨にはならず、
未明には、すっかり上がっており、青空が広がり出した。
今日も、猛暑になりそう?、
明日以降の天気予報にも、雨マークは付いておらず、
このまま、梅雨明け?になってしまうのかも知れない。
ややひんやりしている早朝の内に・・・と、
いうことで、
今日は、朝飯前(あさはんまえ)に、Go To 畑!と相成った。

「朝飯前(あさめしまえ)」という言葉が有る。「朝食前でも仕上げられる簡単な仕事」という意味合いで使われる言葉であるが、北陸の山村で子供だった頃、夏の間、農家の大人達は、日の出前、暗い内から野良仕事に出ることを「朝飯前(あさはんまえ)」の仕事と言っていた。決して簡単な仕事という意味合いでは無く、ちょっとニュアンスが異なっている。少しでも涼しい内に仕事を終わらせ、猛暑の日中の仕事を減らす工夫、昼食後は、たっぷり昼寝をするという生活の知恵だったのだと思う。

(1)先日、やり残していたネギの畝の草取り(草抜き)、
   雑草に埋もれてしまっているネギ救出作戦?

(Before)

(After)

(2)夏野菜周りの草取り(草抜き)

(3)トマト、ミニトマト、ゴーヤ、キュウリ、ナス、ピーマン、シシトウ、
   インゲンマメ、地這いキュウリ、サトイモ、等に たっぷり、水やり。

(4)トマト、ミニトマト、キュウリ、ナス、等収穫

2時間余り掛かって、全身汗だく、
まだまだ、草取り(草抜き)しないとならない箇所有りだが、
今日は、ここまで、
シャワーを浴び、遅い朝食、
やれ、やれ、

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くじも当たらず 出世もなくて 今日を生きてる 運のよさ

2023年07月22日 05時43分16秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸(どどいつ)」を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」、「落語」、「漫才」、「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に、初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。「ことわざ」の感覚で、これまで聞いたことも有る、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。


都々逸作品例 その10 
くじも当たらず 出世もなくて 今日を生きてる 運のよさ


宝くじ買っても 当たったこともな無く、
出世することも無く、
運が無かった人生と思っているかも知れないけど、
大きな病気にもかからず、
事故、災害にも遭わず
八十路過ぎても、まだ、足腰大丈夫で
生きていること、こそ
最も、運が良かったと
言えるんじゃないかい・・・・
おまえさん、
という意味合いなのだろうか

(ネットから拝借イラスト)

フム、フム、なーるほど・・、

おあとがよろしいようで・・、

(つづく)

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