たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

11月第4土曜日は・・・・、

2023年11月25日 23時11分47秒 | スイミング

当地、今日も「晴」の1日だったが、
昨日までとは打って変わって、早朝 3℃前後、日中 13℃前後、
体感的には、真冬並みの寒さとなり、
散歩・ウオーキングも休んで(サボって)、
1日中、グテグテ過ごしてしまった。
体調イマイチ、
身体、重ーい、怠ーい、だったが、
いかん、いかん、
こんな日こそ、泳いで来るべし・・、
やおら、重い腰を上げ、
19時~20時、スイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程、帰ってきたところだ。
若い頃からの持病の腰痛対策、リハビリ的運動と決め込んで
続けているスイミング、 
細くても、長ーく、続けるべし・・・。



今日は、11月第4土曜日、
若手のH指導員によるバタフライ中心レッスンだったが、
途中
連続バタフライスイム、25m、50m、50m、75m、25mも加わり、
締めは、4種目混合 25m✕4本、
最後は、バテバテ。
レッスン終了後にも居残り、
クロール、50m✕10本、
喘ぎ喘ぎ、なんとか泳ぎ切り、
かなり、疲れて帰ってきた。
泳いで帰って来てからの遅い夕食
心地よい疲労感と、それなりのスッキリ感、
自家製梅酒水割り1杯でいい気分になり・・・・。
今日も、バタンキューで、熟睡出来そうだ。

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葉室麟著 「恋しぐれ」

2023年11月25日 18時06分24秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著 「恋しぐれ」(文藝春秋)を、読み終えた。本書には、京に暮らし、俳人として名も定まり、良き弟子や友人に囲まれ、悠々自適に生きる、老境の与謝蕪村に訪れた恋情を中心にした連作短編、「夜半亭有情」「春しぐれ」「隠れ鬼」「月渓の恋」「雛灯り」「牡丹散る」「梅の影」、7篇が収録されている。

▢主な登場人物
与謝蕪村(夜半亭二世)、とも、くの、
小糸、お梅、
おさき、仁助、弥蔵、
月渓(げっけい、松村豊昌、文蔵、呉春)、おはる、伝七、
円山応挙(まるやまおうきょ)、上田秋成(うえだあきなり、無腸)
柿尾伝右衛門、佐太郎、
大盧(たいろ、今田文左衛門)、几董(きとう、高井小八郎、夜半亭三世)、
樋口道立(どうりゅう)、来屯(きたむろ、北風荘右衛門)
建部綾足(あやだり、喜多村金吾)、そね、
渡辺源太、やえ、おもと、団治、右内、
長沢蘆雪(ろせつ)、浦辺新五郎、七恵、
三井八郎右衛門高美、 田中佳棠(かどう、汲古堂)

▢「夜半亭有情」
蕪村の隠された話。よく見掛けるようになった謎めいた男与八とは何者?。老いらくの恋の相手祇園の芸妓小糸に心奪われていた蕪村は、男の顔に小糸を見て、与八に会いに行くが・・・、与八は死病を抱えており、実は、かって一時恋の炎を燃やした相手お美和との間に出来た息子だったとは・・・、
  身にしむや亡き妻の櫛を閨に踏む
▢「春しぐれ」
蕪村は、妻のとも、20歳の娘くのと三人で暮らしていたが、娘くのが14歳で柿屋家に嫁ぎ、離縁されるに至る経緯が描かれている。くのは、当主伝右衛門からも気に入られていたが、くのに強い嫉妬心を抱く下女のおさきと不良仁助によって、とんでもない事態となり、「この始末、どないつけるつもりや」・・、わずか5ヶ月で、佐太郎と離別、蕪村がくのを引き取りに行く。
  さみだれや大河を前に家二軒
▢「隠れ鬼」
元武士だった今田文左衛門は、瀬川半蔵にはめられ、妻しげ、子供が有りながら遊女小萩と駆け落ちし、藩を追放されてしまう。俳諧で身をたてようとするが、一門で問題を起こし険悪状態に・・・。
傲慢、落胆、反省、剃髪、号を大盧(たいろ)とし、大阪で夜半亭門の新風を広めようとする文左衛門に、蕪村は、「大盧はいままで隠れ鬼をしていたが、戻ってきた」と、優しく対する。
49歳で没し、金福寺に埋葬された大盧の遺族に、蕪村が手向けた1句は
  泣に来て花に隠るる思ひかな
▢月渓の恋
蕪村の弟子月渓(本名松村豊昌、通称文蔵)は、尼寺宝鏡寺の外で行き倒れだったおはるを、父親伝七の家を探し出し、送り届けた。そこで、おはるの絵師の才を見て、円山応挙に弟子入りをすすめるが・・・。恋慕の情深くなったおはるだったが、女銜に売り飛ばされてしまい・・、それから2年後、月渓は、島原のこったい雛路(ひなじ)となっていたおはるを見つけ、身請けする。ようやく添い遂げたがおはるだったが、父親を訪ねようとして出掛けた船が難破し遭難死、月渓は寝付いてしまう。蕪村の娘くのが懸命に看病、蕪村の妻ともは、くのと月渓を夫婦にしたがったが実現せず・・・、摂津池田に移り住み、号を呉春(ごしゅん)と称し、円山応挙の弟子として絵師で大成、後に、四条派の開祖となる。
  枕する春の流れやみだれ髪
▢雛灯り
蕪村の家に新しく来た女中おもとは、丹後与謝村で旅籠をしている蕪村の妻ともの実家から雇入れを頼まれたものだったが、実は訳有りの女だった。雛祭り、白酒、石見銀山・・・、おもとは、建部綾足(あやだり、喜多村金吾)に恨み、憎しみを持っているのでは?、元凶は、一乗寺村の「源太騒動」?、渡辺源太とその妹やえ、団治と息子の右内、喜多村金吾と兄嫁そね、の真相物語。
上田秋成著、「ますらお物語」「春雨物語・死首の咲顔(えがお)」
  箱を出る顔忘れめや雛二対
▢牡丹散る
京の四条通りの円山応挙の屋敷に、弟子入り志願の浪人浦辺新五郎が妻七重を伴ってやってきた。応挙は、亡妻の面影に似ている七重にひそかに心寄せられ、絵師の技量のない新五郎との間に揺れ動く。実は、新五郎は元藩士、七重は奥女中で、不義者。新五郎に帰藩と家督相続の話が来て、七重と応挙の間に甘い予感が匂い立つが、・・・。応挙の高弟、長沢蘆雪のはからいで、新五郎、七重は、三井家の番頭、女中頭に・・・、師を思う心からだった。
  牡丹散て打ちかさなぬ二三片
▢梅の影
蕪村は、辞世の句
  白梅にあくる夜ばかりとなりにけり
を遺し、天明3年12月25日に、68歳で没した。
大坂の北新地の芸妓お梅のもとにも訃報が届き、京の蕪村の家に弔問に訪れるが、
  見苦しき畳の焦げや梅の影
蕪村の弟子几董、道立等から、帰れ!・・・呼ばわりされる。
月渓が呼び止めてくれて、蕪村の妻とも、蕪村の娘くのに紹介され焼香出来たのだった。蕪村の老いらくの恋に眉をひそめいた高弟達には、小糸もお梅も別れさせたい存在だったのだ。
3年後、お梅は、月渓を訪ねた。二人は応挙を頼って大坂から京へ移り住むことになったが、
天明8年正月30日、京は、応仁の乱以来の大火、天明の大火で市中全域が焼け尽くされた。応挙も月渓も焼け出され・・・。避難先の喜雲院には小糸も・・・、お梅が、
「わてはそんなこと何も知らんと悋気ばかりして」・・・「お梅はん、妬いていたのは、うちのほうや」
蕪村が没してから10年の歳月が流れ、「わてらもこの白梅のように生きていこう」、お梅は、月渓にそっと寄り添うのだった。




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「パリのめぐり逢い(Vivre pour Vivre)」(再)

2023年11月24日 21時21分00秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる類で、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用している次第。
先日、5年前の2018年11月に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「パリのめぐり逢い」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「パリめぐりの逢い(Vivre pour Vivre)」(再)

若い頃観た映画や良く聴いていた映画音楽を、思い出しながら、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き留め置くことにしているが、そろそろ限界に近づいている感じで、
「もっと有るはず・・・、思い出せ!、思い出せ!」、
老脳にハッパをかけても、なかなか思い浮かばなくなってきている。
なにかの拍子に、突然ふっと思い浮かぶ時も有り、
再びまた思い出せなくなる前に、直ぐ書き留め置くことにしている。
ふっと思い浮かんだ曲が有る。
「パリのめぐり逢い」だ。

今更になってネットで調べてみると
「パリのめぐり逢い(Vivre pour Vivre)」は、1967年(昭和42年)に公開されたフランス映画「パリのめぐり逢い(Vivre pour Vivre)」の主題曲だった。
映画「パリのめぐり逢い」は、映画「男と女」の監督のクロード・ルルーシュが監督で、イヴ・モンタン、キャンディス・バーゲン、アニー・ジラルドが主演した映画だったようだが、実際に観た記憶はまるで無く、フランシス・レイ(Francis Lai)演奏の主題曲「「パリのめぐり逢い」だけが、当時、よくラジオ等から流れていて、脳裏に焼き付いている類である。

フランシス・レイ演奏の「パリのめぐり逢い」、(YouTubeから共有)

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あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む

2023年11月24日 20時17分51秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その38

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
長々し夜を ひとりかも寝む

出典
拾遺集(巻十三)

歌番号

作者
柿本人麻呂

歌意
山鳥の垂れ下がった尾のように
長い長いこの秋の夜を
私はひとりで寝なければならないのだろうか。
さてもつまらないことよ。

注釈
「あしびきの」は、「山」にかかる枕詞。
「山鳥」は、キジ科の鳥で、雄は、尾が長い。
(ネットから拝借画像)

「しだり尾の」は、「しだり尾」は、ながく垂れ下がった尾の意。
「の」は、「・・・のように」の意。
「長々し夜」は、「長々しき夜」とするところを
語調を整えるため、「き」を省略したと考えられる。
「ひとりかも寝む」の「か」は、疑問の係助詞、「も」は、感動を表す。

「山鳥」の雄雌は、夜間、谷を隔てて別々に寝ると言われており、
「山鳥」という語感からは、その哀れさが響いてくる。
恋しい人を待つ秋の夜長の、
寂しくやるせない情感が伝わってくる歌である。


柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
持統天皇、文武天皇、両朝に仕えた歌人。
身分は低かったようだが、
宮廷歌人として数多くの作品を残している。
万葉最盛期の歌風を代表する歌人で、
後世、「歌聖」として崇められている。
三十六歌仙の一人。
万葉時代で三十六歌仙に入っているのは、
大伴家持、山部赤人、柿本人麻呂の三人だけ。
因みに、
「万葉集」では、この歌の作者は、不明となっている。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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今日もポカポカ、小春日和

2023年11月24日 15時46分55秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日も、日中は、ポカポカ陽気、
23℃~24℃まで上がったようだ。
好天に誘われ、午後になってから、畑の様子見に出掛け・・・、

(1)先日植え付けたノラボウ菜に水やり
(2)サニーレタス1~2株収穫

サトイモ、
そろそろ、収穫適期?、かな。
毎年、茎葉が枯れて、倒れる頃に、収穫することにしており、
近日中には、やらないと・・・。

ダイコン、
気候のせい?、不調だっだ今年のダイコンだが、
ようやく、ダイコンらしくなってきており、
12月初め頃には、ボチボチ、収穫出来そうな感じに・・・。

ハクサイもまた、今年は、絶不調で、未だに、固く巻いておらず、
果たして巻いてくれるのかどうかも不明ながら、
まずまず育ってはおり・・・。

11月まで続いていた夏日、急激な気温低下で真冬並みになり、
再び、20℃以上の小春日和が続いており、・・・・、
狂った季節?、
周辺の人達からも 今年は、野菜の生育不調の話が、多く聞こえてくる。

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義兄の墓の前で・・、

2023年11月23日 19時30分26秒 | 暮らしの記録

今日は、国民の祝日、「勤労感謝の日」
朝から、風も無く、穏やかに晴れ上がり、
最高気温は、21℃前後にもなり、
体感的には、異常に暑くもあった1日だった。
今日は、車で30分程の距離に住んでいる妻の長姉(義姉)から、
予め、出席を依頼されていた、義兄の墓参りと会食の日だった。
(仏式でいう7回忌)
仏教徒でなかった義兄が、生前、自ら購入していたお墓は、
丘陵地の広大な霊園の中に有り、悪天候だったら目も当てられないところだったが、
今日は、防寒着不要の好天。
予定通り、極く身近な親族のみ、千葉から、埼玉から、都心から 参集、
うららかな小春日和、墓前で、しばし故人を偲び語らい合い、
仏式の習いに従って、線香を焚き、手を合わせた。

仏式の法要とは異なり、読経等が無い分、
墓前でゆったりした時間を過ごし後は、
全員で移動し、私鉄沿線駅近くの料理店で会食、
久し振りに会った親族と懇親を深めて、帰ってきたところだ。
アクセス不便のため、車が役に立ち、大いに感謝され・・・。


振り返り記事
2015年11月27日
「G線上のアリア」
👇
こちら


 

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.94 「ゆうてかす」

2023年11月23日 09時29分28秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し、ブログ・カテゴリー「懐かしい故郷の方言」に、書き留め置くことにしている。

懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
「ニワトリの餌やり、チャンバラごっこ」
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。


No.94 「ゆうてかす」

「言ってきかせる」「説明して分からせる」「説教する」「叱りつける」等というような意味合いの言い方、言葉だったような気がする。
近所の農家のおばあちゃんが、よく使っていた。

例えば

「ユウテカスソイ カンベンシテクンナイ」
(叱りつけますから、許してやって下さい)

「アイツ、イクラ ユウテカシテモ、キキャセンデ、コマッタモンダワネ」
(あの子は、いくら説教しても、まるで言う事聞いてくれなくて、困ったものですよ)

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小春日にまだ浮かれてるホトトギス

2023年11月22日 14時19分21秒 | 暮らしの記録

11月22日、
「今日は、何の日?」
ブログを始める前頃までは、まるで気にもせず、無関心だった「今日は、何の日?」、
相互フォロワー登録している数多の方のブログを拝見するようになってからは、
日々、自ずと目に止まり、
「へー!、そうなの」・・・となる。
今日は、
二十四節気の20番目の節気、「小雪」、であり、
その他、「いい夫婦の日」、「ボタンの日」、「大工さんの日」、「回転寿司記念日」、「ペット達に感謝する日」、「長野県リンゴの日」・・・・等々、多々有るようだ。

当地、今日も快晴、
早朝の気温、3~4℃、日中の気温、19~20℃、
やはり、気温差が激しい。
朝の内着ていた防寒着も、昼頃には不要となり、
ちょこっと体を動かすと汗ばむ位、
ポカ、ポカ、小春日和である。

我が家の猫額庭のホトトギス、
すっかり、花期が終わったと思っていたが、
よく見ると、なんと、まだ咲いているではないか。

先日、室内に運び込んだ鉢植えシャコバサボテン、
温室のような環境に気を良くしてか?
次々、花を咲かせ・・・、

 

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「貴女の面影」?

2023年11月22日 09時02分36秒 | 詩・エッセイ

記憶から完全に喪失していた物が、数年前、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、まるでタイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。後期高齢者の今となっては、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。


その中に、色褪せたレポート用紙に、無題で、「X’masパーティー控えて」、「貴女の面影を追う男より」として、走り書きした、詩(もどき)も有った。
日付は、「昭和42年11月16日」と記されており、今から56年も前、独身の頃に、感傷妄想で書き殴った物で、50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかった物である。幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な詩(もどき)であり、自嘲もしてしまうが、これも又、自分のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・詩」に、書き留め置くことにした。

無題
(X’masパーティーを控えて)
昭和42年11月16日

この日のために
貴女のために
つたない詩(うた)を贈ります。

もしも 貴方が
夜空のかわいい星ならば
小高い丘に背のびして
少しでも近くにいたい

いいえ 貴方が
花びら運ぶ風ならば
通り過ぎても何んにも言えず
黙って行方を見つめていよう

ああ でも 貴方が
甘くはかない夢ならば
潤んだ瞳を忘れずに
やさしく抱いて眠りたい

貴方の面影を追う男より

 

 

 

 

 

 

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「ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)」(再)

2023年11月21日 18時52分18秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、6年前の2017年3月に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「ムーンライト・セレナーデ」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)」(再)

今日は、全国的に快晴だったようだが、
当地、最低気温は3℃前後、最高気温は18℃前後、
相変わらず、激しい気温差、老体の体調管理は難しい。
体調イマイチだったが、
午後、やおら重い腰を上げ、畑仕事をしてきた。
ほっと一息、夕食前の手持ち無沙汰な時間、
久し振りに、古いレコード盤を引っ張り出して聴いているところだ。
今日は、スイング・ジャズを聴きたい気分になり、
「The Mous Hits Of Glenn Miller(グレン・ミラー大全集)」(LPレコード、2枚組)。
いつごろ、どこで手に入れたか等、まったく記憶に無いが、若い頃から、グレン・ミラー サウンドが好きだったことも有り、多分、ジェームス・スチュアート主演の映画「グレン・ミラー物語」を観た前後に、どうしても欲しくなり買ったものだと思う。

「ムーンライト・セラナーデ」、「タキシード・ジャンクション」、「ペンシルヴァニア6-5000」、「アリス・ブルー・ガウン」、「ヴォルガの舟歌」、「サンライズ・セレナーデ」、「イン・ザ・ムード」、「アメリカン・パトロール」、「アンヴィル・コーラス」、「ムーングロウとピクニックのテーマ」、「慕情」、「第三の男」

「真珠の首飾り」、「カラマズー」、「ラプソディー・イン・ブルー」、「峠の我が家」、「ストレンジャー・イン・パラダイス」、「ロンドンデリーの唄」、「茶色の小瓶」、「セントルイス・ブルース・マーチ」、「A列車で行こう」、「サヴォイでストンプ」、「バードランドの子守唄」、「パーフィディア」

いずれも、名曲だが、やはり、まず1曲を選べと言われれば、「ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)」
グレン・ミラー楽団(Glenn Miller & His Orchestra)のバンド・テーマにもなっている曲である。
1939年(昭和14年)に、トロンボーン奏者でもあったグレン・ミラーによって作曲されたスイング・ジャズの代表的な曲。TouTubeから共有させていただくことにする。

「ムーンライト・セレナーデ」

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