たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その38(2)

2023年11月04日 14時47分22秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その38
「甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳」(再)
(2)

 

もう24年も前になる、1999年8月に、妻と次男と三人で、「甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳」を訪れたことが有った。
当時は、まだ、バカチョンカメラ(手の平サイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、フィルム代を気にしながら撮った写真は、その都度、同時プリントし、アルバムに貼っていたものだった。そんな拙劣写真をスキャナーで取り込み、「デジブック」にし、ブログ・カテゴリー「山歩記」に、書き留めたりしていたが、その「デジブック」が、2020年3月に廃止されてしまい、ブログで、振り返って、写真を見ることが出来なくなってしまったため、改めて、外付けHDから、写真を引っ張り出して、リメイク、再度、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留め置くことにした。ほとんど記憶曖昧になっていても、写真やメモを見ると、あの時、あの場所の情景が蘇ってくるから不思議である。


深田久弥著 「日本百名山」
   「仙丈岳(せんじょうだけ)」
(一部抜粋転載)

私の好みで、日本アルプスで好きな山は、北では鹿島槍、南では仙丈である。何よりもその姿がよい。単純なピラミッドでもなければ鈍重な容量でもない。その姿に軽薄や遅鈍のないところが好きなのである。スッキリとして品がある。ちょっと見ては気づかないが、しばしば眺めていうちに、次第にそのよさがわかってくるといった山である。
南アルプスの山はたいてい連鎖の形を取っているが、その中で仙丈岳は独立のおもむきをそなえている。もちろん山脈に連なっているのだが、隣峰との間に著しい降下がある。遠くから眺めて、ゆったりとしたスカイラインを引いているのが、いかにもおおらかで重厚に見えないのは、みごとなアクセントがついているからだろう。
アクセントとはその山頂部にある三つのカールである。その顕著な刻みが山容を引き緊めている。三つのカールは、藪沢、小仙丈沢、大仙丈沢、それぞれの源頭に大きく口を開いている。甲斐駒から望むと、藪沢と小仙丈沢のカールが、北岳からは小仙丈沢と大仙丈のカールが、ハッキリ見える。この三つの窪みには一番おそくまで雪が残るので、特に鮮明な印象を与えられる。
(中略)
仙丈岳は奥深い山である。それは甲州からは見えない。古い紀行では奥仙丈岳とも呼んでいる。仙丈はおそらく千丈から来たものだろう。山の高さを現す形容である。丹後に千丈ヶ岳があり、秩父にも奥千丈岳がある。
信州側では、別名前岳とも小河内岳とも呼ばれた。前岳とは甲斐駒ヶ岳に対していわれたのであろう。伊那谷から見ると甲斐駒は後に退いて、仙丈がその前山のおもむきを呈している。前山とはいえ、仙丈の方が高い。しかし駒のように派手なところがない。したがって駒が主、仙丈が副に見られたのであろう。
(中略)
私は年傾いてから古女房を連れて山へ行くが、仙丈岳もその一つであった。九月下旬、北沢野長衛小屋から登りについた。山頂には遭難者の追悼碑を兼ねた立派な方向盤が建てられていたが、昔はそんなものはなかった。何であれ山頂には造営物を置かない方が私には願わしい。


第2日目

大平山荘、午前3時30分頃には、ゾクゾクと早出組が、ヘッドランプを点して出発し始め、目が覚めてしまった。長丁場の予定コース、体力的に自信の無い我々も、余裕持って歩くには、早出が一番、

午前3時45分頃、大平山荘を出発したのだった。
いきなり尾根にとりつくジグザグ急登に、
疲労と寝不足の身体は、喘ぎ、一汗、二汗、
重幸新道と呼ばれる真っ暗な樹林帯の登山道を
超スローペースで登ること約1時間、
随所にお花畑が有ったが、ヘッドランプでは、残念・・・、

 

 

 

 

 

右の藪沢大滝を高巻き、尾根上に出る頃、次第に空が明るみ、

6時頃、馬ノ背ヒュッテに辿り着き、朝食タイム。

7時頃、馬ノ背ヒュッテを出発、尾根上に登り詰めると、
一気に展望が良くなり、

西方、伊那谷を挟んで木曽駒、御岳方面

北方、八ヶ岳方面、



目指す、仙丈ヶ岳山頂、藪沢カール、仙丈小屋も、見えてきて・・・、

馬ノ背尾根上(標高2,688m)、
360度、大パノラマに興奮、北アルプス、槍、穂高等も・・・、

     イワギキョウ?          チングルマの花柱

 

 

 

8時45分頃、仙丈ヶ岳山頂(標高 3,032.7m)に到着したようだ。

 

仙丈ヶ岳山頂は、
藪沢カール、大仙丈カール、小仙丈カール、三つのカールに囲まれた、
穏やかな山容で、「南アルプスの女王」等とも呼ばれている。
晴天の下、しばし、素晴らしい展望を堪能

南方、南アルプスの峰々

名残尽きないが、9時を過ぎて、仙丈ヶ岳山頂を出発、小仙丈ヶ岳へ向かう。

振り返り見る、藪沢カール、

仙丈ヶ岳山頂から小仙丈ヶ岳山頂へは、快適な尾根歩き、
前方には、前日に登った甲斐駒ヶ岳、摩利支天の勇姿が・・・、

振り返り見る、小仙丈カールと、辿ってきた稜線、
「南アルプスの女王」と呼ばれるにふさわしい、
なんとも優雅、ビューティフルな景観。

10時頃、小仙丈ヶ岳山頂に到着、大休憩、

小仙丈ヶ岳山頂(標高 2,855m)

東方、対峙する、堂々たる、北岳、間ノ岳、

小仙丈ヶ岳山頂からは、大滝ノ頭を経て、北沢峠に向かって、一気に降るのみ、
バスの発車時間が気になり、エッサ、ホイサ・・・、
次第に、膝が笑いだし・・、バテバテになりながら・・・、

 

北沢峠には、なんとか、12時頃に帰還したようだ。
長衛荘前で、昼食タイム。

続々と下山してくるハイカーで、北沢峠バス停前には長蛇の列が出来たが、
13時15分発の芦安村営バスに乗車出来て、広河原に戻り、
広河原からは、南アルプス林道を慎重に走り、甲府昭和ICで中央自動車道に入り、
無事、帰着したのだった。

実は、1991年8月にも、1度、やはり、妻と次男と三人で、「甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳」を訪れたことが有ったが、その時は、経験不足、体力不足で、2峰共、途中で断念、登頂ならずで、どうしても登りたい一心で挑戦したものだった。兎にも角にも、深田久弥の日本百名山の2峰を歩くことが出来て、大満足の山旅だったと思っている。

あの頃はまだ、「また来る時にも笑っておくれ♪」的な気持ちだった「甲斐駒ヶ岳」も「仙丈ヶ岳」も、今はもう、訪れること叶わない、遠い思い出の山となってしまっている。

(おわり)


有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

2023年11月04日 09時53分53秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その34

有馬山 猪名の笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする

出典
後拾遺集(巻十二)

歌番号
58

作者
大弐三位

歌意
有馬山の麓の猪名の笹原に風が吹くと
笹の葉が、「そよ」と音を立てますが
さて、そのことですよ、
そよそよ揺れて不安定なのは、あなたの心で
私があなたのことを忘れましょうか。
(いーえ、決して忘れはしませんよ)

注釈
「有馬山(ありまやま)」は、神戸市有馬温泉地域の山の総称、
「猪名(ゐな)」は、兵庫県川辺郡から尼崎市に流れる猪名川付近の野のこと、
笹の葉が風で鳴る音を表す擬声語が「そよ」であることから
「有馬山猪名の笹原風吹けば」が、
次の「そよ」の序詞(じょことば)になっている。
「いでそよ」は、「さあ、それですよ」の意、

「いで」は、感動詞、「そ」は、指示代名詞、「よ」は、感動の終助詞、
「人を忘れやはする」の「人」は、相手の男性を指している。

「やは」は、反語を意の係助詞、

後拾遺集の「詞書(ことばがき)」には
冷たくなって離れかけた男性から、
女性(作者)が、「心が不安定だ」と言われ、
それに対して、詠み贈った歌であると記されている。
「猪名(いな)」に、「否(いな)」を響かせ、
「いでそよ」と強く言いなしているところに
反発の意志が込められている。


大弐三位(だいにのさんみ)

藤原宣孝(のぶたか)と紫式部の娘、
実名 藤原賢子(かたこ)
正三位(しょうさんみ)・大宰大弐(だざいのだいに)であった
高階成章(たかしなのなりあきら)の妻となったことから、
大弐三位(だいにのさんみ)と呼ばれた。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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