たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

久し振り、日中散歩・ウオーキング

2023年11月19日 18時19分22秒 | 散歩・ウオーキング

相変わらず、寒暖の差激しい日が続いており、
今日も、早朝の気温は、2℃前後、日中は、20℃以上にもなり、
老体の体調管理が難しい。
風も無く、快晴、小春日和、
こんな日に家籠もりは、もったいない?
防寒着不要の午後になって、ちょこっと近くを歩いてきた。
ここ1週間以上、休んでおり(サボっており)、
久し振りの日中散歩・ウオーキングである。
スマホの歩数計で、約7,200歩。

コウテイダリアが満開になっており・・・、

キク?

「君の名は?」
(追記)
どうも、「メリケンカルカヤ」というイネ科の植物の花後のようです。
相互フォロワー登録しているはなねこ様に教えていただきました。

ドウダンツツジ?

ツワブキ(石蕗)

センダン(栴檀)の実(種)

クチナシ(梔子)の実(種)

(追記)

今日もやはり、夕方には気温が急激に下がってきて、
この分だと、明日以降、最低気温が5℃以下の日が多くなりそうなため、
「花と庭の係」の妻の判断で、
急遽、ベランダの鉢植え植物の寒冷対策、
大、小、10数個の鉢を、室内に運び入れた。
ギックリ腰にならないように、慎重に・・・。
来春、運び出すまでの間、シャコバサボテン、クンシラン、コダカラソウ、サクララン、等の鉢植え植物に囲まれて、狭い部屋がより狭くされるが、毎年のこと、観念し・・・。
やれ、やれ、

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忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

2023年11月19日 11時46分47秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その37

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
人の命の 惜しくもあるかな

出典
拾遺集(巻十四)

歌番号
38

作者
右近

歌意
あなたに忘れられる私自身のことは、何とも思いません。
ただ、私への愛を誓ったあなたの命が、
(神の怒りにふれて、縮められはしないかと)
惜しく思われますことですよ。

注釈
「忘らるる」は、「忘れられる」の意。
「るる」は、受け身の助動詞。
「思はず」の主語は作者で、「思いません」の意。
「ず」は、打ち消しの助動詞、終止形。
2句切れ。
「誓ひてし」は、「以前に、相手の男性が作者を愛することを
神に誓ったこと。
「て」は、完了の助動詞。「し」は、過去の助動詞。
「人の命の」の「人」は、特定の人を指し、恋の相手の男性のこと。
「惜しくもあるかな」は、「神罰で命を失うのが惜しい」の意。
「かな」は、詠嘆の終助詞。

歌意を、冷淡な相手の男性に対する皮肉と扱われて場合も有るが
男性を思う女性のいちずな真心を表現しており、
冷淡な男をなおも案じる女心、
本当の恋ごころとは、こんなにも哀しくせつないものだという
共感を呼ぶ歌として解釈する。


右近(うこん)
右近少将藤原季縄(ふじわらのすえなわ)の娘または姉か妹で、
「右近」と呼ばれた。
醍醐天皇の皇后穏子(おんし)に仕えた歌人。
この歌は、「大和物語」で物語化されており、
相手の男性とは、藤原敦忠(ふじわらのあつただ)とされている。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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