映画と本の『たんぽぽ館』

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「沼地のある森を抜けて」 梨木香歩

2009年01月11日 | 本(SF・ファンタジー)
沼地のある森を抜けて (新潮文庫)
梨木 香歩
新潮社

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私たちの身の回り、内側と外側、「ぐるりのこと」のエッセイで
彼女の思考の原点がそこにあることを語っています。
この物語はその著者の集大成ともいえる長編小説です。

発端は「ぬかどこ」。
ちょっと拍子抜けしますね。
ところが、この主人公久美が受け継いだ、先祖代々のぬかどこには奇妙な点があったのです。
毎朝夕かき混ぜるのが日課。
ある日その中に卵のようなものが発生し、
そこから透き通るような少年が生まれてきた・・・。
日常と非日常が微妙に交差してゆく彼女の作品ですが、
これがまた群を抜いていますね。
このぬかどこは故郷の島に由来するものだと探り当てた久美は、
友人の風野と共に、その島へ向かう・・・・。

かなり生物学に肉薄しなければ難しい点もあるのですが、
ぬかどこを生かしているのは酵母なんですね。
彼女はそういうところから生命の原点を見つめていきます。

久美はもう結構な年なんだけれども、どうも結婚には意欲的にはなれない。
結婚で女性が自分が自分でなくなる、夫の付属物になってしまう、
そういうところに嫌悪を感じているのです。
先祖代々伝わっているというぬかどこ。
毎日毎日女たちは、何を思ってこれをかき混ぜてきたのだろうか。
まるでその女たちの情念が乗り移ってでもいるように、
薄気味悪く思えてきたりもする。
こんなものに一生を縛り付けられたくない・・・と思えてくる。

一方、ぬかどこのことを調べているうちに知り合った風野は、
生物学的にはれっきとした男性なのですが、自ら男性であることを捨てている。
言葉はおねえ言葉なのですが、かといって、特別女になろうとしている風でもない。
彼自身、横暴な父にただ耐える母という結婚の形態を見て育ったため、
彼も、結婚には否定的。
男であることをやめ、中性でありたいと思っているようです。

このように社会的な「結婚」感を語りつつ、
話は、生命の誕生という本来の意味の結婚へと進んでいきます。
例えばアメーバのような不定形の単細胞生物。
彼らは、単に自分が分裂して増えていくんですね。
つまりすべては同じDNA。
いくら増殖しても所詮それは自分自身。
宇宙の中で自分1人。
孤独・・・、著者はこの状態をそう呼びます。

さて、生物の進化の中で、彼らは自分の周りに壁を作り始めた。
「ぐるり」と。
そこで初めて自己と他者ができたのです。
そして、「自分」と「自分とは少しだけ違う他者」と結合することで
新しい命を生み出すようになった。

単なるコピーである無性生殖から、有性生殖に切り替わった時。
そのときから生命はもう片方の性を求め合う。
何億年前から連綿と続けられてきた命の誕生。
その連鎖。
そういう延長上に私たちの生命はある。

ラストの荘厳なシーンは圧倒的です。
このシーンを描きたいために、この長いストーリーはあったのでしょう。
究極の愛の形を・・・。

満足度★★★★★