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『セルフメイドウーマン』Netflixからカマラ・ハリス、アマンダ・ゴーマン

2021-01-22 10:32:32 | 世の中へ

 バイデンの大統領就任の日、見終わった映画が『セルフメイドウーマン』だった。アメリカ最初の黒人の大企業家、マダム・C.J.ウォーカーの伝記だ。極貧の解放奴隷の娘が、自ら開発した育毛剤とヘアケア―を手にして、美容界で成り上がる話しだ。120年前、黒人のリンチ殺人がありきたりだった時代、差別と隔離が当たり前だった頃、美に目覚めた黒人女性たちに、黒人ならでは美しさを提案し、女性たちが社会の様々な分野に進出して行く元気を与えた女性だ。

 貧しさに堪え、白人中心社会の差別に耐え、黒人にも根強い男支配からも脱して、自らを頼むバイタリティで生き抜いたマダム・C.J.ウォーカー。その圧倒的な人生を見終わったその日、カマラ・ハリスがアメリカ史上初の黒人副大統領になり、就任式典では、若き黒人詩人が新しい時代への賛歌を謳い上げた。

 一つの流れだ。強圧や偏見、差別に捻じ曲げられつつも、しっかりと伝えられ、手渡された強い意志だ。

 トランプの、ウソと傲慢と差別と身勝手な民主主義の破壊工作から、バイデンが勝ち上がった意義は大きい。就任演説に言う通り、課題は山積みだ。が、それを乗り越えて行く一歩はここから踏み出される。

 同様に、女性たちの進むべき一歩も踏み出された。

 アマンダ・ゴーマンが美しく逞しい手ぶりと表情で伝えた光への道筋を読み返そう。

<日が昇ると、私たちは自問する──どこに光を見いだせようか、この終わりなき陰のなかに。

私たちが引きずる喪失、歩いて渡らねばならない海。

私たちは果敢に、窮地に立ち向かった。

平穏が平和とは限らず、「正しさ」の規範や概念が正義とは限らないことを学んだ。

それでもその夜明けは、いつのまにか私たちのものだ。

なんとか私たちはやるのだ。

なんとか私たちは切り抜け、目の当たりにしてきた──壊れてはいないが、ただ未完成の国を。

私たちは、一国一代の後継ぎだ。

そこでは、奴隷の子孫にして母子家庭に育った痩せっぽちの黒人の女の子が大統領になる夢を持てる、

そして気づけば大統領のために詩を朗読している。

 

もちろん、私たちは洗練からもほど遠く、清純からもほど遠い。

だからといって、私たちは、完全なる一致を形作ることを目指しているわけではない。

私たちが目指しているのは、意義ある一致を築くことだ。

人間のあらゆる文化、肌の色、人格、状況に尽くす国を組み立てるために。

だから私たちは目を上げる──私たちのあいだに立ちはだかるものではなく、私たちの前に立ちはだかるものに。

私たちはその分断を終わらせる。未来を第一にするためには、まず私たちの違いを脇へ置かねばならないと知っているからだ。

私たちは武器を捨て、互いに手を差し伸べ合えるようにする。

誰も傷つくことなく、誰にでも調和があることを求める。

 

世界に、少なくとも、これは真実だと言わしめよう──

私たちは嘆いたけれども成長したと。

傷ついたけれども望んだと。

倦んだけれども試みたと。

私たちはいつまでも共に結ばれて、勝ち誇るだろうと。

それは私たちが敗北を二度と味わうことがないからではなく、分断を二度と植え付けたりしないからだ。

 

聖書は私たちにこう幻を抱くようにと語りかける──

「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もない」(「ミカ書」4:4)。

私たちがこの時代に応えようとするのであれば、勝利は刃ではなく、私たちの作ったあらゆる橋にあるのだ。

それが、私たちがのぼる丘の約束だ──ただし私たちが果敢にのぼりさえすれば。

なぜなら、アメリカ人であるとは、私たちが受け継ぐ誇り以上のものだからだ。

それは私たちが取りかかる過去であり、その過去をどう直すかなのだ。

私たちは目の当たりにしてきた。

私たちの国を分かち合わず、割って粉々にしようという勢力を。

私たちの国を破壊するだろう勢力を。

民主主義を先延ばしにするというのだ。

この試みはほとんど成功しかけた。

だが、民主主義は断続的に先延ばしできても、

永続的に打ち負かされはしない。

この真実、この信仰に、私たちはより頼む。

私たちが未来に目を向け、歴史が私たちに目を向けているからだ。

これが、正しきあがないの時代なのだ。

私たちはその始まりにあって恐れた。

そんな恐ろしい時の後継ぎになる備えができているとは思えなかった。

それでもその内側で私たちは見出した──新しい章を著す力を、自分たちに希望と笑いを与える力を。

かつて私たちは問うた──「私たちはいったいどうしたら破滅に勝りえようか」

いま私たちは断言する──「破滅はいったいどうしたら私たちに勝りえようか」

 

私たちはありしものにふたたび戻らず、あるべきものに向かって動いていこう。

あざはあるが欠けのない、情け深いが大胆で、猛烈ながら自由な国へと。

私たちは脅しにも振り返らず、遮られもしないだろう。

私たちは知っているからだ──自らの無為と無気力を次世代が受け継ぐのだと。

私たちの失態が彼らの重荷になるのだと。

だが、ひとつ確かなことがある。

私たちが慈悲と力を、力と正しさを融合させるなら、

そのとき愛が私たちの遺産となり、変革が私たちの子供たちの生得権となる。

 

だから、私たちに残されたよりも良い国をあとに残そう。

私の青銅色の、高鳴る胸で息するごとに、この傷ついた世界を

素晴らしき世界へと高めよう。

立ち上がろう、西部の黄金色の丘々から。

立ち上がろう、私たちの父祖が最初に革命を起こした、風の吹き渡る北東部から。

立ち上がろう、中西部各州の湖に縁取られた街々から。

立ち上がろう、しゃく熱の南部から。

立て直し、仲直りし、回復しよう。

私たちの国の隅々で、わが国と呼ばれるところどこででも、

さまざまで美しいわが国の人々が現れよう、打ちのめされても美しい人々が。

 

日が昇ると、私たちはその陰を飛び出す──紅潮して、恐れずに。

新しい夜明けが花開く、私たちがそれを解き放つ。

そこにいつも光はあるのだ──

私たちにそれを見ようとする勇気さえあれば。

私たちがそれになろうとする勇気さえあれば。>

貼り付け元  <https://courrier.jp/news/archives/229523/>

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