ステージおきたま

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芸人の心意気!『浅草キッド』Netflix

2022-01-07 12:31:12 | 映画

 Netflixのオリジナルシドラマ、1話40分くらいだろ、この短さが、意味深なんだよ。集中力途切れそうになる頃に終わるし、良いものなら次回エピソードへの興味もそそられる。逆にその程度で便所に立ったり、ツイッター覗いたりするようじゃ、次の回を見る必要もない、あっ、こんなもんね、はい、次行こう!と、気楽に見限れる。

 だがなぁ、2時間ものの映画となると、こうは気軽に飛びつけない。大丈夫か?最後まで付き合えるか?駄作だぁ!つまらねぇ!で、時間つぶすことになってもぶつくさ言わないか?原則、席を立たない、って、映画館の習性が染み付いちまってんだよな、きっと。

 で、『浅草キッド』だ。2時間6分、一本勝負だぜ。

 ネトフリ作品って言っても、日本映画だしなぁ・・・日本のドラマ制作力、完全に立ち遅れだし、それは『日本沈没』のたわいのなさで懲りてるからなぁ。ビートたけしの原作本も読んでるしなぁ。あれは良かった、からなおのこと、立ち止まっちまうのさ。

 いやいや、浅草ものだろ、ストリップ小屋での話しだろ、浅草のコント芸人の話しだろ、脚本・監督が劇団ひとりだろ、こりゃたとえ期待外れだとしても見なきゃならん映画だぜ。自称コント書きとしちゃ、多くの喜劇役者、喜劇作家を生み出した浅草、聖地のようなもんだからな。コロナでサスペンデッド舞台になってるけど、ストリッパーの物語も書いてる身なんだし。

 いや、それだけに心の準備が・・・なんて言ってないで見る、見る。

 ビートたけしの修行時代、ストリップ劇場のエレベーター係りから幕間コントの端役、さらに力をつけて漫才ツービートとして世間に飛び出すまでの出世物語だ。大学中退、人生を一度切った若者が厳しい師匠の下で必死で芸を磨き、己の芸風を築き上げ、育てられた場を踏み台にして飛躍して行く。このメインストーリーは、まぁ、よくある話だ。バレーなら『リトルダンサー』とか、タップダンスなら『スウィングキッズ』とかの名作たちにゃ見劣りするよな。社会性の鋭さ深さとか、仕上がり完成度から言ったら、太刀打ちできないよ、残念ながら。ローカルだもの。日本だもの、浅草だもの、コントだもの、漫才だもの。

 でもなぁ、視点を芸人深見千三郎に移してみりゃ、なかなか見応えのある映画だったぜ。たとえストリップの場つなぎ芸であろうと、磨きに磨きを掛けて、名人技を誇る師匠・深見千三郎。コントは間合いがキモだ、とか、グロテスクな化粧や演技で笑いをとっても、それは客に笑われたんだ、笑わすのが芸人だ、なんて、そうそう、それよ!って手を叩いたね。

 駆け出しの頃のたけしのギャグを見て笑った観客に、深見が舞台上から客に啖呵切るシーン、「こんなくだらねえ芸で笑うんじゃねぇ!こいつの演技が伸びねえじゃねえか」ありゃぁスカッとするよなぁ!俺も一度でいいかに叩きつけてやりたいよ。ダメだ、ダメだ、セリフとちって笑いとって喜んでるようじゃ。

 古き良き、そして懐かしき浅草芸人だなぁ。芸にかける意気込みだけじゃない。生き方、暮らしぶり、立ち居振る舞いが、すべて全盛期の浅草を背負っている。たけしの上達したタップダンス見て、シューズをくれてやるシーンでも、「おまえが履いた靴なんて履けるか!」って捨て台詞で靴を与える気前のよさ。でも、そのあとすぐに「500円な」と付け加えざるを得ない、ギャグと恥じらいの感覚、いいなぁ。神さんからなけなしの金せびって、たけしたち若い者を飲みにつれ出すやせ我慢のきっぷの良さ。落語に出て来る江戸っ子のようじゃないか。

 右手指先をすべて失った身で、ギターから芝居から、ダンスから何でもござれの芸人深見、浅草で一番のコント役者と羽振りを利かせた深見。時代はすでに、浅草を、ストリップを見捨てて、日劇や新宿に、漫才ブームへ、そして、テレビ全盛の時代への足早に駆けて行く。取り残される深見、変わることのできない頑なな芸人魂。弟子のたけしはその時勢をしっかりつかみ、おのれの才能も発揮して時代の寵児へと駆け上って行く。

 これだぜ!時代から取り残される者の悲哀、今と結び合う手がかりを奪われた者の戸惑い、諦め、恨みつらみ、これがなんかすっごく心に響いて来るんだ。精いっぱい肩肘張って、胸をそらせて生きて来た男だから、浅草芸人としての誇りを満身にみなぎらせて闊歩して来た男だから、その凋落は切ないのだ。

 同じような設定の芝居を作ったことがあった。戦後、米軍キャンプでは和製のジャズやポピュラーのライブがもてはやされていたが、進駐軍の規模縮小とともに演奏の場を失いミュージシャンたちは職を失う。コンビを組んでリードしてきたギターリストと売れっ子になった少女の歌い手、それそれぞれが別の道を歩み始めるってシーンだ。これ、かなり客席の涙を誘った。

 時の流れって奴は、無慈悲だ、非情だ。それまで精一杯生きて来た者を、頂点に立っていた者を、容赦なく振り払い見捨てて行く。波をつかんだ者は、その勢いに乗りさらに遠くへ高みへと上り詰めて行く。いつの時代にも避けて通れぬ光景だ、断絶だ。

 『クロスロード』!交差点!そう、これが菜の花座の舞台のタイトルだった。かつて出会い、日々を過ごし、すれ違って別の道を歩んで行く。そこに確実に時代の刻印が押されて行く。

 波に乗り切れなかった者たち、置いて行かれた者たち。かつての栄華を懐かしみつつ、ブラウン管に映る成功者、かつての弟子を妬み心と讃嘆の念をない交ぜにしつつ見守るしかないのだ。

 出世した弟子と心地よい酒を飲み、俺も今一度!と野望に火を着けたたその晩、燃えたのは己の体だった、って。

 「急ぎ過ぎですよ師匠。自分で火つけなくたって、死にゃ焼き場で焼いてくれるんですから」。「得しましたね、師匠。半分焼けてたんだから、焼き場の費用も半額でしょ」。

 遺影に向かうたけしの、いかにもらしい痛烈なギャグが見事に最後を締めくくった。

 

 

 

 


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