自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヒマラヤに行ってる間に母は骨折

2015年04月20日 | 介護と自然治癒力

ババジの洞窟へ行く・・               2015・4・20

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前置き)

勿論、まだ 現在進行形で 

結果は出ていないのかも

しれません。

母の認知症と全面的に

向き合ってひと月。

その間、私を救ってくれた

言葉が”有難う””愛しています”・・・

唯心所現という仏教の真理を

ご紹介していながら自分で

実践できなければ絵に描いた餅・・

自分の心を整理して見つめ直して、

やっと一つの山場を過ぎる事が

できました。

夫には感謝してもしつくせません。

何故 母の介護を 引き受けてくれたの?

インドに立つ前に聞くと

”この階段を登らなければ次の

ステップに行けないと自分の魂が

言っているから。。。 

お母さんのためのようで自分の

ためかもしれない。”

”たった、2週間限定だから

できるんだよ。”

この言葉で夫に母を任せることは

大丈夫と何となく納得できました。

 

それから起こったいろいろな事、

心の流れと惑いや憂鬱と心配、

私は実のところ、胸骨を骨折して

町田の自宅で母を介護していた

20日間の疲労がたまっていた

のか、デリー到着後、1週間は

自宅の部屋でごろごろして

いました。

どこにも行かず、印度人の親友

たちにも連絡せず、とにかく

ぼーっと過ごしていました。

サントシさんは私がインド生活

をしていた頃からのお手伝い

さんですが、私が帰印したときは、

毎日世話に来てくれています。

 

一日目、デリーに着いた私を見て、

どうしたのですか?げっそり痩せて、

すっかり頬がこけて、やつれてしまって

・・・”と痛々しそうに私を見つめ

ました。

 

今回の目的は休養・・・でもただ、

一つ ありました。

ヒマラヤのふもと、そう、ババジが 

クリヤヨガを現代に広めようとして 

前世の弟子だったラヒリマハサヤ師

に声をかけ 呼び止め、案内した、

あの洞窟にぜひ、今回 行って

みたかったのです。

その洞窟で 前世で、マハサヤ師は 

師匠だったババジと共に瞑想し、

修行した所でした。

今世で 市井の社会人として結婚し

働いていた、マハサヤ師は

すっかりその過去を忘れていた

のでした。

ババジは 当時、ヒマラヤを

散策していていた、マハサヤ師

を呼び止め二人が前世で、ともに

生活していた、洞窟に案内します。

 

そこで、過去生で使っていた毛布を

見たとき、突然、自分の前世を

想いだしたマハサヤ師にババジは、

この愛弟子の最後のカルマをとる

ために、この場所に私がお前を

呼んだのだと言いました。

マハサヤ師をヒマラヤから流れる

冷たい川の水に数時間浸るように

命じて心身を浄化させました。

そして、マハサヤ師の最後の欲望、

宮殿の中を観てみたい、という

カルマ満たし、放つために

ババジは、あの、“幻の宮殿”を

その洞窟あたりにエーテル化させて

現実化させたのでした。

 

さらに、これからの時代、クリヤヨガ

を、一般のレベルの人達に伝える使命

を、マハサヤ師にこの洞窟で告げるの

です。

今度 デリーに行ったらそこへ行こうと 

密かに願っていました。

 

 

着いた2月下旬から滞在中の3月上旬、

デリーは異常気象でした。

雹(ひょう)が降るほど寒かったり、

雨季ではないのに、スコールのような

雨が降ったり、おかげで私の部屋の

窓わくから雨水がしみこみ小さな

滝のように、壁一面から水が

流れ、ベッドの下まで洪水後の

ように水が溜まってしまった

ほどでした。

3月6日には 初夏を迎える 

春の祭典 ホーリーが始まると

いうのに、ぐずついた日が続いて

いました。

 

サントシさんに 到着して

数日後、この、洞窟行のプラン

を伝えました。

すると、信仰には厚い彼女は、

すぐ、興味を持ってくれました。

女性一人では泊まれないアシュラム

に、宿泊を予定していたので一緒

に行く人も見つけなければ

なりません。ヒマラヤに行くの

には、信頼おけるハイヤーの車の

調達が必要です。

 

体調も悪く、状態が整っていない

まま、予定がたたないまま、

時間だけが過ぎて行きました。

3月2日朝4時ごろでしたが、

時期に似合わない、蚊のチーン

と耳沢襟な音で目がさめました。

そして、何故か、“明日たとう。”

と 決めました。

その朝、仕事に来たサントシさんに

“明日行きたいのだけど一緒にどう?”

と聞くと、“主人と家族に相談して

・・”と“OK”の返事をもらい、

即座に、車を手配して、翌日朝

5時にデリーを出発しました。

 

4月3日 大雨の早朝4時半、

10時間以上かけて 車を走らせ、

目的地に到着しました。

アシュラムがその洞窟から車で

1時間ほどの距離にあり、

そこで泊まることにしました。

今まで幾度となく宿泊している

外国での宿泊施設には、必ず

パスポートの提示が必要という

常識が 慌てて準備を整える中、

なぜか頭から抜けていました。

 

当然、現地では、“パスポートが

なければ宿泊できません。”と

宿泊を拒否されました。

“なぜ持ってこなかったのですか?”

私も、何故だろう?と思いました。

たぶん、このアシュラム自体が

私にとって、外国にある宿泊施設

という観念がなかったからでしょう。

ホテルの予約もしておらず、

道中、ハイヤーの中で到着数時間前

に電話して 

“今晩、泊まれますか?”と聞く

ほどの無茶ブリでした。

 

むしろ、ババジの招待であの

洞窟に行けるのだから、

泊まれない道理がないと

心の奥底で確信していた

としか言いようがありません。

 

結局、デリーの息子に電話して、

自宅においてきたパスポートの

顔写真部分をPDFでその

アシュラムのパソコンに

送ってもらい、この問題は

解決しました。

翌日はカラッと晴れて 

ハイヤーで1時間ほど徒歩で

さらに1時間かけてババジの

洞くつを訪れることができました。

誰もおらず、神秘的な時間を

超越した空間で一人静かな時間

を過ごしました。

 

そういえば、一昨年もこの時期

はインドのガンジス川の

アシュラムにいました。

忘れもしない、4月1日、その時は

日本に残してきた、愛犬のチュチュ

が、突然、心臓発作でなくなり

ました。

しかも、携帯電話で連絡できない

場所でしたので、その事実を知った

のは数日後でした。

今回も4月3日 ヒマラヤに着いた

その日、母が夜11時に転び 

大腿骨骨折して、翌朝、病院に

運ばれていることを知る由も

ありませんでした。

宿泊先になっている、このアシュラム

では瞑想や共同活動時間は

携帯電話を切っていました。

母の入院・手術のことは、デリーへの

帰路、ハイヤーの中で4月5日

知りました。

後から聞くと、毎晩、母は夫を

深夜、何度も、起こしていた

そうです。その夜も “おなかが

すいたからラーメンつくる”と、

母が台所に立とうとしたので

夫が慌てて “ころびますよ。

僕ば冷蔵庫を調べてみます。”

と体を起こして立ち上がり、

台所の冷蔵庫を開けようと、

母に背中を見せたとき、

後ろでドスンという音がして、

母が転倒していたそうです。

 

頭を打った様子もなく、

そのまま 布団に寝かせたら

寝てしまったということで

命に特別の危険がないと判断。

翌朝 妹が来て、救急車を呼び、

病院へ運んだということでした。

続く・・・・

 

 

 

 

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