自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

留守中、夫から申し出てくれた母との介護生活

2015年04月23日 | 介護と自然治癒力

私がインドに行っている間に母は緊急手術入院  

2015・4・23

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私がインドに行く前、試験的に2日間夫は母と、暮らして

くれましたが、母は何十回となく私の居場所を 夫に

聞いたということでした。

これは、試験的にケアマネさんの助言から、私が不在でも

母と夫が生活できるか、という、試験的試みでした。

インドに旅立つ前の1日半は、私はあえて、母と離れていましたが、

夫に母は、ヤスヨはどこへ行ったの?と聞き続けていた様子でした

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そしてインドに立つ数時間前の、深夜、

夫は初めて、母の今まで知られざる側面を見ることになりました。

夫、自ら、”お母さんに、付き添うから、最後のインド旅行に

なると思うから、今回は、行っていらっしゃい”と言ってくれた

夫も、その母の行動で、明日からの’介護’の二文字の重さを知る

ことになったのです。

母は夫にいつもの通り、恭代はどこにいるのか聞きました。

 ”どこにいるの?” 

”このビルの中にいるの?” 

”え、そうなの?もうじき来るの?(…数分後に、夫に対して)

この嘘つき!来ないじゃない!”

そういうと、やおら、手当たり次第、夫めがけて、傍に有るものを、

投げつけ始めたそうです。

これにはさすがの夫も驚きました。

階下の部屋で、数時間後に出発の最後の、旅の準備をしていた私に、

夫から携帯メールが入りました。

”お母さんがパニック状態だから、すぐ上に上がってきて!!”

時計を見ると、夜10時過ぎでした。

”ヤスヨがいなくなる。”

そして

たぶん、私を避けている、もう帰ってこないかもしれない”

という 母の、不安と、思い込みが、このとき頂点に達していたの

でしょう。

翌朝、私が、インドに立った後も、

”ほんとうに帰ってくるの?”

”何故、手紙をよこさないの?”

”電話もないの?”と、寄り添う夫に質問攻め。

私は、実際には、ほとんど毎日、日本時間の夕食後を見計らって

国際電話はれてました。夫は、母に言いました。

 ”昨日、インドから電話 あったじゃないですか・・”・

と夫の決まりきった答え。

”え、そう?、…覚えていない。” と母。


こんな会話の繰り返しが ケアから帰ってきた直後

から、深夜、寝るまで、続いたあとに、最後は決まって

母は怒り始めるのです。

”(娘が)家に帰ってきても、うちにいれない! 

もう親子の縁をきる!” とわめき、夫には グサリと

胸に突き刺すような、極め付きの言葉を浴びせたといいます。

”ここは私の家よ! あなたは乗っ取ろうとしているんでしょ!

出て行ってちょうだい!!”・・


冷静に、それまで、母に対処している夫も、この最後の言葉

には、認知症という病気から出ているとはいえ、聞き捨てならず、

言い返す言葉もなく、・・・ただ傷つく思いだったと言います。


母の、認知症の症状が全開すると、夜間は本当に長いのです。

寝付くまでが、長いのです。

寝付いても、すぐ、目を覚まして、要求を始めました。

そして、母は肋骨を骨折したものの、歩行には差し障りがありません

でしたから、どこへでもふらふらと、家の中を退屈になると、

歩き始め、カンガエもなく思いついたことを思いついたときにする・・・

介護側も、母の行動に目が離せず、危ない行為に、反対したり、注意

すると、突然、怒りだす。。。の繰り返し。


とうとう、夫は不眠症になりました。

私が帰国して、母を夜中、夫が、観る必要がなくなっても夫の

不眠症は後遺症のように続いていました。

目を離せない・・・・それは、夕方5時から翌朝9時、ケアに

行くまで続きます。

ある深夜、母は、お茶を飲もうと台所に入り、ガスコンロの火

をつけ消し忘れ、朝までつけっ放しだったとか・・・

どんなに気をつけていても、ふっとした隙に、そんな事が

起こってしまうもの‥火事にならずに良かったというものの

ますます、夫の緊張は高まっていきました。

 

或るときは 深夜、布団の中に母がいないので家中探した夫。

母の姿がなく、徘徊が始まったのかと思いきや、母は、寒い

2月の夜気に当たりながら、テラスに佇んでいたそうです。

粗相して、汚してしまった下着を脱いで、干そうとしていた

ようだ・・・と夫は言っていましたが、下半身 何も身に着けず、 

寒い中、ベランダで、立っている母を見て、慌てて、介護用パンツ

とズボンをはかせた夫でした。

”何が起きるかわからない。”こうした小さな事件を通して 

夫の夜の緊張感は、本当に、半端ではなかったと思います。

 


夫の心身の疲れはマックス状態でした。

特に、デーケアのない日曜日は、母は夫に、一日中、深夜を含めて

つじつまの合わない話を取り留めなくして、夫に質問をし、

その答えに腹をたて、いらついて、行動も不安定になっていく

という悪循環でした。

母は、頻尿症状があり、15分に一度”トイレ”と言われ、外に

連れ出して気を紛らわせてあげたくても、トイレには一緒に

入れないので、母と、自宅に籠ることが多かったようでした。 

一度は、間に合わず、母を男性用トイレに、連れて行ったと、

話していました。

 

ところが、こうした最中、事件が起きました。

母の転倒です。

転倒前日の深夜も、玄関の鍵がかかっているかどうか、心配

になった母は、ふらふらと寝室から出て、玄関の段差に躓いて

頭をどこかに強く、打ち付けたというのです。

そして、その翌日の夜 もっと、大きな転倒をしました。

お腹がすいたという母に、夫が台所に、たって、背中を母に向けている

その少しの間に、母は転びました。

そして、大腿骨を骨折、手術を要する入院となった転倒~もしかしたら、

脳卒中?脳梗塞?の可能性もあるという状況で~を起こしたの

でした。

“ねえ、一緒にお茶を飲みましょう。 

一人じゃ寂しいからここに来てちょうだい”

夫は眠気の中、母の要求に応えようとしたのでしょう。

お茶をいれに台所に立ったその矢先、ドスンという音がして

母が倒れていました。

それは、夫が母との共同生活9日めの晩でした。

 母は 転倒し、病院に運ばれ 入院の運びとなりました。

奇しくも2月、救急車で胸骨が折れたときに運ばれたときと同じ

病院でした。

手術もあり、一ヶ月は入院生活になると思うと医師に言われ、

夫は正直お母さんに悪いけど、自分の心身が少し解放されて

ほっとした”と本音を漏らしました。

その知らせをデリーで受けた私も 母の骨折はショックで

したが、夫の気持ちを考えると、同感でした。

 

 

 

 

 

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