自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

宗教と触れ合う心療内科の癒しの基盤

2015年08月27日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

全体性の中の一(神)を自分の身体の中に見出す     

2015・8・27

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先回の続き・・・

例えば、心療内科を日本で初めて創設した 

池見酉次郎医学博士だ。

博士は 心理学、宗教学、哲学 などすべての道を

深く極められて、画期的な医療への

提言をされてきた方でもある。


セルフ・コントロール することで、健康になるという、

癒しの鍵を知っていた方だ。


セルフ・コントロールについては 次回に譲るが、

セルフ(自分)を知り、様々な自分をその本当の自分に

照準してバランスを保っていくということになる。


池見博士はさまざまな宗教の真髄も勉強されたのだろう。

”仏教であれ、キリスト教であれ、そのほか諸々の宗教、

宗派であれ、洋の東西を問わず、あらゆる宗教の中心を

なすものは、一体性、ないし、全体性の概念と

体験であると思われる。”と言っている。(*1)


一体性というのは、森羅万象、すべての人や事象と、

自分 とは切り離せない存在であるということだろう。


先にブログで話題にしたように、自分の念や想い、

などのエネルギーは必ず目に見えない、波動体として

瞬時に宇宙に向けて放出され、それがもとで現実に

コトを起こしたり、自然災害をも引き起こすという話だ。


つまり、自分とまわりのすべてとは、そういう意味で

無関係ではないということ。


全体性の概念と体験’というのは、こうした自己と全体との

位置づけを知ったうえでその体験を重ねる。


愛と不安 どちらかに分類される感情や想念しか

存在しないと ’全体を知るもの”は言う。


愛(プラス思考、思いやりやオープン性、明るさ)を

標準とした想いで行動していけば、それがひきつける環境、

協調や助け合いなどの行為をともなった状況を

引き寄せるだろう。


不安は それと反対のマイナス想念、嫌悪、過剰プライド、

嫉妬、悲しみなどに心を支配させていると、いつの間にか 

健康も損なわれ、環境の改善はなかなか計れない

ということになる。


そういう、全体と自分、環境と自分の想念、何よりも、

宇宙を支配している同様の想念(創造性と宇宙的法則やルール)

と自分とが一体であるという’一体感’が 悟りにつながる

ということなのだろう。

 

仏教でいうところの 悟り、については 博士は、

以下のようにのべている。


”’悟る’とは、自分と自分が住む世界の実体に

目覚める事である。

これを私どもは、医学心理学の立場から、

’意識の拡大’と呼んでいる。

そこで、人間が自らを知ろうとするためには、

その生みの親である自然(地球と宇宙)を

知らねばならない。”

 

自然や宇宙に内在する隠された秩序を知ると、

人間は自然と協調して生きていく存在であることがわかる。


自然を統括し支配する立場として、人間の横暴や傲慢な

態度を容認せざる得ない矛盾をはらむ、西洋文明から 

近代医学は生まれた。


だから人間不在の医学 とか、人間性を忘れた医学的治療 

という言葉が生まれるほど、機械的なマニュアル的な、

データ中心で 細部に専門が別れるがために

検査続きの診療となるのだろう。


池見博士は、自然と一体化して生きる人間性を重んじる

東洋的医学と対比している。


西洋的近代科学は”分析的な思考の上に推し進められて

きたために、自然と人間との関わり合いを、全体的に

理解しようとする 総合的思考に欠けやすい”と 

分析心理学のマスター、 ユングの言葉を博士は

引用している。

 

”西洋人は、自然に対して悪魔のような優越性を

持とうとしている。


しかし、自分自身が自然の支配下にあることを

見落としている。


このままだと、彼自身の自然が彼を滅ぼすだろう。

東洋人は自己の自然を知るのみならず、自己がどの程度

にまで自然そのものであるか知っている。”

 

さらに 博士は現代科学のこうした盲点のもとに

’人間不在の医学’となった近代の医学に対して、

古代の医学を "人間を心身一如の存在としてとらえ、

全人的治療を行うものだった”

と心身一如という観方の大切さを強調する。


この点が心療内科が生まれる原点となったのだろう。

 

さて、冒頭の話、私たちの想念エネルギーが物質化して

現象的にさまざまな様相で目の前に現れているという

お話しと池見博士の心身一如の話との共通点を探ってみたい。


同著から引用する:

”当科に入院してからも なお堅固に不定感情を訴え

続けていたが、交流分析(平易な精神分析)の集団指導

に参加するようになって、これまでの感情に走り過ぎた

反応のありかたについての自己分析が始まった。


其の後は、長い間抑圧していた、夫に 対する不満や

憤りについて、主治医を交えて夫とも話し合えるように

なってきた。


これによって、夫婦間の感情のしこりがほぐれるに

つれて、次第に症状は好転。


半年後には退院して、東京の夫のもとに還ることができた。

難聴と耳鳴りが突然消滅したのも、このような夫婦間の

軋轢(あつれき)がほぼ解消した当時のことである。”

 

この女性は夫に対して不満や憤りを心に抑えながら

暮らしていた。 

そのマイナスの想念が飽和点に達し、体に不調和を

きたした。 

そして 話し合い理解すること、心を解放するという 

愛 の一行為によって、退院したあと、同時に 

それまでの難聴 が解消したという。


難聴は”聞きたくない”という心の顕れといわれる。


夫人は、夫の行動に不満があり、そういう時の心境では、

どんな夫の言葉も’聞きたくない’という潜在意識が働き、

耳触り なものであったのだろう。

 

博士はこの例をとりあげた理由として、

医学的な処置に際して、人間性への適切な配慮が、いかに

必要であるかを感じさせられた”

からとして、次のような感慨を述べている:


”この例を通して、私どもが感じたことは、夫婦間の

感情問題もさることながら、医学的にできるという

ことと、それによって、患者が幸せになるという

ことは必ずしも一致しないということだった。”

 

医学的な 通常多くの医者や患者に支持されている常識が

必ずしも、その患者に適応されるかどうかという疑問だ。


一般患者の対処療法として効果が出ても、それが根本的

な治療になっているのかどうか?


セルフコントロール の大切さを説く池見博士にとって、

医療は、”心身一如”という観方を基盤にして ”心”の部分に

しっかりと”切り口”をいれない限り、本当の治癒が

見られないということになるのだろう・

 

 

*1)セルフ コントロールの医学 日本放送出版協会刊 昭和58年

 

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