自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

集団と個性の関係:生命と死の方向

2015年08月09日 | 健康のための心の波動

千島博士の感慨     2015・8・9

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先回AFD現象のところで

お話しが終わっている。

集合 と 融合 と 

分化発展しながら全体を

創り上げるという法則をさし

千島博士が自ら名付けた造語だ。

自然生命から 社会的組織に

いたるまで AFD現象はみられる。

 

自然世界でいえば、原生動物の

ゾウリムシは バクテリアから発生する。

バクテリアが多量に集まると、融合する。

融合して発展していくと、ゾウリムシ 

という名前のつけられる生命体になる。

 

社会組織も例外ではない。

一人では文化は生まれない。

違う個性を持ちあった個人が

集まると、似たような者同士

が繋がりあうので

その組織には独特の雰囲気が

できあがる。

その独特の個性を持った組織

がさらに、違う個性をもった

組織と融合していくうちに

よりよく改善されるところや

見直しが行われ その特質

が磨きだされていく。

音楽にたけた集団なら 

音楽的文化、美術的に秀でて

いれば 美術工芸的文化

が生まれるだろう。

こうして、融合(組織同士)

から発展(文化などの構築)

が見られる。

 

もし、集団を構成する個人が

切り離されたり、関係が

保てなくなると、負の方向に

いくので 発展よりは退行

する形になる。

地球上で今、ワンワールド運動

と呼ばれる、耳には何となく

スムーズに流れる響きを

持った言葉がはやっている。

それは逆に言えば、

民族文化の衰退(ワン・ワールド

と称して地域性を重視しない傾向)

につながる。

日本で 明治時代前半までは

ちょんまげ、着物、日本髪という

当たり前の風習がすっかり 

現代では、西欧式のズボンと

スカート、断髪、パーマと

いったように変わっているし、

インドに帰ると、数年前までは 

パンジャビスーツ、サリーと

いった伝統的な服装姿が

若い人達の日常服だったが、

最近はジーンズ一辺倒になっている。

 

少しずつ 伝統的文化が崩れて

いくのに慣れると、外から内

なる無形の文化に対しても

無関心になっていくという

のが 世界共通のシナリオ

のようだ。

こうして 民族意識が薄れ、

自国の良さや尊厳について

考えなくなると、他国への

文化や、尊重する意識も

薄れがちだ。

自国の利益や自国中心の物差し

で他国を計る 薄っぺらな

自意識だけが強まって行けば

平和への道も実際は遠くなりがち

だろう。

組織を構成している個人の

分離は 組織のもろさを作り出す。

言い換えれば、こうした良い意味

での民族的文化意識の伐採は、

地球を支えている根っこを

絶っていくのに似ていて、

地球の上での真の融合からは違った道を

歩いているような気がしてならない。

 

 

枠山氏によると、千島博士は

次のような感慨を述べたという(*1) 

”組織学の実験で学生を指導

していて、つくづく考えた

ことがある。 

組織学の教科書には血球

あるいは、細胞の定型的な

特性を備えた図が記載されている。

しかし実際に顕微鏡を

のぞいてみると血球と

それぞれの組織細胞との

中間移行型の細胞が見える。

これはいったい何なのか?

もし、学生からそのような

質問をされた場合、

教授たちはなんと答えるの

だろう?

私は大きな疑問をもった。 

おそらく、世界中の組織学者

や病理学者は私が疑問に

思ったのと同じような場面

に出会っているに違いない。

なのに、誰もそのことの

解答していないし、その

中間型の細胞の説明は

できていない。

それは、現代の科学が形式

にとらわれて、AともB

ともつかないものは、

無意識にあるいは意識的に

見逃しているからではない

だろうか?

血球とも細胞ともつかない

その中間移行型のものを

説明するには、私の学説に

よれば簡単に解けるのだ。”

 

中間移行型とは どちらとも

つかない領域にいるわけ

だから、漠然としているし、

あえて言えばAとBとの

境に位置しているものを

さすのだろう。 

限界領域 ともいわれる、

この地帯の事象は今の科学

ではうやむやにされがちだと

千島氏は述べ、敢えて自ら、

この領域の解答を求め

研究を続けてきたのだった。

先回ご紹介した千島学説

の弁償法の中で、

”すべての事物には経過途中

の中間点がある”という

ポイントがある。

AがBに変化できる可能性

を示唆している。

卑近な例でいえば、

渋谷区と世田谷区が同性同士

のカップルを認めたという

ことで最近話題になった。

データによれば日本人の

50人に3人ほどは 同性同士

惹かれあい、

性的に反対の資質のほうが

多いと自覚していると言われる。

誰でも自分の中をのぞいて

みれば女性らしい部分と

男性らしい部分、男女問わず、

知っていることだろう。

男性資質、女性資質、

どちらの割合が多いか?

性的発動として 感情的に 

どちらの性の特徴が

勝っているか?

の違いに過ぎないことも頷けるだろう。

 

言い換えれば、この中間点

という性的な限界領域の

境界線を誰でも行ったり来たり

することができるともいえる。

千島博士はこの原理から、

実験を重ねて ”赤血球が時間

と場所と条件によって、

白血球となり得て、それが

細胞にも変化していく”

ということを発見した。

 

自然界にもこれと似たような

ことは起きている。

たとえば、ラジウムは

2千年ほど経過すると、鉛に替わる。 

変化していく経過途中をそれが

発見された地層などを利用して

調べていくとそうしたことが

わかる。

限界を超えるのに、時間が

さほどかからない事例もある。

例えば、生物で両性具用の

ものがいる。 

雄が雌になったり、その逆も、

環境や条件によって、可能な

生物だ。

オフリオツロカという 

体調数ミリの虫は 海にすむ

ゴカイの一種。

メスとオスの違いは環節

の数でメスは30、

雄は15以下だ。 

メスは産卵後 体力消耗

して反対にオスは肥えて

環節数を増やしていく。 

するとその時点で限界領域

の境界線を越えて、オスは

メスになる。

このような変化を一生のうち、

何度か繰り返して、役割を

分担しながら夫婦生活を

するという。

 

千島学説によれば 限界領域

が曖昧であるということは

ある意味、自然界のみならず、

人体の組織は、すべての部分

が間接的に、有機的に関係し

合っているということになる。

これは、東洋医学的な見地と

共通認識にたつ土台である。

だから、博士は ニワトリの

生殖腺の研究において、

生殖腺に付着しているウォルフ体を 

普通は切り離して標本をつくる

やり方をせず、一体のもの

として附着させたままで

標本をつくった。

二つのパーツはそれぞれ

別でも、元のできはじめは、

連続的で境界がないとする

博士の信念だった。

この標本をもとに 博士は

種々の新説を打ち立てること

ができたのだ。

 

*1~よみがえる千島学説 

間違えだらけの現代医療 

枠山紀一 なすなワールド出版2014年

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