自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

カエルの子はカエル?トンビは鷹を生まない?

2015年08月03日 | 健康のための心の波動

生命の揺らぎと真実       2015・8・3・

******************************

 

先回は生きていること自体、心身共に揺らぎがあるから

こそというお話しだった。


昨日の自分と今日の自分、状況も環境も変わっていない

ように見えていても実は変わっている。


立ち止まることを知らない、常に動いている、

それが 生きていることだから。


長い目で見ると、その変化がわかるものだが、

一日一日の中でそれに気がつかないのは

ちょうど、たまに会う人から‘大きくなりましたね’

とわが子の生長を言われても、親にしてみれば、

”確かに・・” と 改めて、客観的に認識する

ようなもので、毎日見ていても、その変化に

気がついているわけではない。

 

生長というのは心身ともにいえるが、年とれば

代謝が衰え、体が弱くなる


精神的にも 無気力や意識が低下しやすいというのは

人類の作り上げた常識の中で通用するものだ。


その証拠に野生の動物たちは、外見から判断しても 

人間ほど、際立った差はなく、せいぜい赤子と

大人の違いはわかっても、何歳ぐらいか 

正しく推定できないものだ。

 

老木でもこぼれるような花々を咲かせ、

自然界の想念(イディア)には‘年取る=生命力の低下’

という観念はないようだ。


自然に変わる姿を 実際刻々と変わっている姿を

ただ受け止めているだけだから、

そこには恐怖心はないわけだから、生命そのままが

その姿に映されるのだろう。

 

さて、千島学説の中で、こうした変化、自然の推移

をどうとらえているのだろうか?


揺らぎの存在がある以上、安定 とは反対の観念の中

で生命が存在している以上、万物には、常に、

推移がそこには当然あってしかるべきだろう。


極端に聞こえるが、千島博士は 

“細胞は同じ状態でとどまるわけではなく、

変化するのが自然” と捉えて、

赤血球が白血球になり、白血球が核を持つ細胞にも

変化するということを発見した。 

 

“恐怖なければ、病も苦しみもない”という

一元論的な考え方に深く傾倒してそれを

信じ得た人の癌細胞が いつの間にか、

自分を信じることで、恐怖心を無くし、同時に 

癌細胞が激減したり、滅しうる体験をする。


私の体験でもそうだし、セラピー施術後の体験でも

そういう方はいた。


このように、細胞が同じ状態でとどまることはない

と言うのは形而上的セラピーでは

当然だが、今の医学では常識外の話だろう。

 

もし 癌細胞が正常な細胞に変化する位の変わり

ようには、“突然変異的”という形容詞がつくだろう。


進化論で、生物の進化の過程で、突然変異が起きて

遺伝子が変化したという言い方もその一つかもしれない。


現在の遺伝学では親のDNAは、子に代々受け継がれる

とされているがもし、遺伝子の核が赤血球で造られる

としたら、上記に述べたように、赤血球も変化する

わけだから 長い年月の内には、遺伝子が少しずつ

異なってくるのは自然だ~ということもいえる

のではないだろうか?

 

自然に適応した 調和できる状況に身体を置くために、

気の遠くなるような歳月を重ねて 生物の体は

同じ種族でも棲息している地域ごとに異なってきた。


元は同じ遺伝子でも 長い年月の間に各地に

散らばった種族がそれぞれの環境に適応した身体を、

そして、遺伝子を子孫に残してきた。

 

蛙の子は蛙 という諺があるが、これは 生まれつき

親の資質をうけついで誕生した子供は、その後、

その子供の生き方によって、新たな遺伝子を

創りだすことはないという考え方。


一方、この両親にどうしてこんな美人が生まれたの?

とか 天才が生まれたのか?

というような稀なケースがあるのも事実だ。


”まるでトンビがタカを生んだようだ” という

形容が使われる。

蛙の子は蛙、トンビがタカ・・・とは、まるで真逆な

表現だが、千島博士は、後者のトンビがタカを生む

ことは十分考えられることとして、受け継いだ遺伝子に

その子供独自の代に獲得された 新しい資質を

付け加えることが可能だと、考えた。

 

人の細胞にはそうすると、記憶する能力が

あるのかもしれない。


獲得された遺伝子、そして 受け継がれた遺伝子、

さらにその前に存在していた遺伝子、

その積み重ねが地層のように、人の細胞には記憶

されているのだろう。


その証拠に、私たちが子供を宿した時、胎児の姿を

月ごとに見てみると、エラを持ちしっぽが生え、

魚のような形になったかと思うと、体毛が6か月を

過ぎた胎児にはみられ、次第に人間らしい姿に

整ってくる。


人間が一つの単細胞が宇宙に生まれ出でて、

生物学的に人間らしくなるまでに

10億年以上の歳月がかかっていると

生物学者は言うが、もしそうなら、

そのプロセスの姿をきっと胎児の細胞の

原形質は覚えていて、胎内にいる間に当時の

生きていた様の片鱗を見せているのかもしれない。

 

千島博士は 獲得された資質が遺伝子の中で

次世代に受け継がれていくという論理から

単純な進化論を否定した。

つまり、


①    細胞の新生と自然発生の肯定

②    獲得性遺伝子の存在の肯定

③    生殖細胞は体細胞の一種である血球から変化した

④    生命の反復法則の肯定

の4点を挙げている。

 

最後の反復法則というのは ヘッケルがかかげた、

“ヘッケルの反復法則”を指す。


個体の発生は進化のプロセスを短縮して

[系統の発生を]を繰り返すということらしいが

簡単に言えば、人間が受精卵として卵の形で

母親の胎内で生長する際に先に述べた

人類進化の過程を胎内で繰り返すということだ。

 

つまり、細胞の原形質には記憶する働きがあり、

こうしたプロセスを記憶していると考えた。


それは私たちが何気なく日常を送っている中で 

卑近な例に、みられることでもある。


習慣と呼ばれるもの、当たり前で常識的な行為 

というのも、実は 私たち祖先が積み上げて

来た想念から生まれているのだ。


恐怖もそうだろう。

自己防衛意識 や 利己主義といわれる 

エゴイズムをそうだろう。 


反面 愛とか調和とか美への感覚も同様、人類が

生まれてこのかた積み上げられてきた想念の

顕れだろう。


その民族特有の価値観や性質も同様、細胞原形質

がその民族が発生してから 民族文化の中で

育てられてきた脳細胞、否、体全体の記憶に

すぎないのかもしれない。

 

何が良い悪いか、健康的か否か、西洋医学が

良いのか伝承的医学が無視できないのか

個人的な意見は分かれても、集団意識の中で 

主なる意識の潮流として、特定の考え方が

支持されるのは、一種の多数決のような

気もする。


長いものには巻かれろ ということわざもそんな

ところから生まれるのだろう。

反対しても、多数の他者から白い眼で見られたり、

つまはじきにされるのは 誰でも避けたい状況だ。

 

極端だが、集団的自衛権で白熱した議論をされて

まだ久しくないが、もし、戦争に進んだ

(巻き込まれそうになった)場合、今、なんと

政治家が弁明していても、その時の、権力と統制力

の中で個人の意見が尊重されない 


そういう独特の人類意識 が 世界中どの国にも、

共通に存在しているのかもしれない。


そうでなかったら、”戦争はばかげている”、

”戦争は絶対避けるべきだ”という 時変わらない、

場所を選ばない、市民の声が無視されるかのように、

今まで世界大戦が二回も行われる理由はなかっただろう。

 

長いものには巻かれろ~・・・その意識を破るためには、

一人ひとりの意識の発露~自分への覚醒が必要だろう。


常に洗脳されていないかどうか、コマーシャルや

マスコミ報道から、自分自身の信念が脅かされて

いないかどうか、アンテナをはりながら、信念に従って

どんな小さな場においても、”まあ、いいか”ではなく、

”イエス・ノー” と判断して、必要ならば、それを

伝えようとする勇気を含めて・・・

 

話しが飛んでしまったが、トンビが鷹を生む様に、

世界の共通意識からどのように

新しい人類意識を生み出すか・・・・これは 

一人ひとりの心の中で問い続けなければ

ならない半永久的な問題でもあるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする