三という数字の持つ意味と生の揺らぎの意義 2015・8・18・
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ここで千島学説の中から “生命弁証法”の項目を振り返ってみたい。
千島学説の研究家 枠山紀一氏はその著(*1)で10項目を挙げて
そのうちの一つが
“すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進歩や変化の
原動力となる”
さらに、“生命の形態はアシンメトリーである。”というのがある。
生命の形態とは言い換えれば大自然の形態ともいえるだろう。
電子の小さな極点の形態から宇宙のしくみにいたるまで
左右対称、
陰陽のエネルギーが上手にバランスを取りながら全体として
平衡状態を保っている。
私たちがたとえば歩くとき、右足に全体重を預けるとき
左足は上に上がっている。
左足を前に一歩進めて、それから右足を挙げれば左足に
全体重がかかる。
こうして交互に左右不対象の動きを続けることで前進できる。
・・・・・・・
一、二、三、という数は象徴的だ。
もともとすべては一である。
一から始まる。
それが二つに分裂したかのように見える。
違う言葉でいえば 二つの相反する価値観が生まれる。
美と醜、善と悪、などなど・・
今の私たちの二極化された精神世界の中で
私たちは無意識のうちに 判断を下す。
好きか嫌いか、良い感じ、悪い感じ、楽しいか
苦しいかなどなど・・・
でも長所と欠点がほんのわずかな裏表の判断で
決まるように、この二極化された価値観が
アンバランスの中の前進を生む役目をするのだろう。
君子は豹の如く変化する~と言ったのは孔子
だっただろうか?
マニュアル的に一つの意見に固執するのではなく、
その時その時、人は変わっていくのも、生きている
証なのだろう。
それがたとえ振り返ってみて、誤った選択だったとしても、
だからこそ得られたものもあるのだろう。
生命も同様で生物の中の矛盾対立とよばれるように、
完全な平衡状態というのはあり得ることではなく、
多少なりともどちらかが,より力を持ったり、無くしたり
して、生体は保たれている。
風邪をひくのもその一つの矛盾対立が引き金になる。
体の中のアンバランスが崩れて、より良い平衡をつくろうと、
熱や鼻水、咳や痛みが伴う。体の自然治癒の働きの一つと
生体を知る人は考える。
水がたまるといって、心配する人がいる。
癌患者は腹水がたまる。 末期的症状といわれる。
これも、考えてみれば腹水をためて、芯の体温が上昇して
いくのを下げようと生体の自然治癒力が必要性に応じて
働いているからだ。
私たちが一口に、症状が出ているからどこが悪いのだろうと
言う前に, 生体はこうしてアンバランスを創りだして
体を整えようとする働きがあることを認め、その力を、
信じたい。
実験室で研究を重ねても、マウスと人とは異なる。
物理的法則は試験管内では100%外れはないだろうが、
生命は 物理的法則を取り込みながら生命法則を生かす。
外科手術で片方の腎臓や肺臓を切り取っても、片方が
大きくなって、その不足を補う。
そこには生命の力が動いているからで、こればフラスコや
試験管の中では知りえない生命の法則の一つだろう。“
千島博士の弁証論によれば、1と2という対極にある
価値観(症状)の間を揺れ動く、生命の揺らぎがあるから
三 という次の向上線に向かうことができるという
ことだった。
破壊と創造、戦争と平和、身体の崩れとその癒し、
常に二極双方のバランスを取りながら 人間の歴史は
時を刻み、生体は生命を保つための働きを休むことなく
行っている。
それを さまざまな観点から 先人たちは、三という
数字をもって顕わしてきた・
話が、前後するが、先回の記事で “正しい・誤っている”
というのは二元論の世界の言葉で、
”何にせよ、間違ったことは何もない。
間違っているというのは相対的な言葉で あなたがたが ’
正しい’と呼ぶことの対極を示しているだけだ。”
’ホップ、ステップ、ジャンプ’ という動作にも
あらわれているように、三という数字には”発展”と
”展開”が”破壊”を通して起こり得る、展開して
新たな”創造”を生み出す象徴的数字ということになる。
’
クリスチャンは 三位一体を ’父なる神’、息子なる’イエス’、
そして’聖霊’と表現する。
心理学者の中には、それを、’超越意識、顕在意識、潜在意識’
と分別する。
心霊学者たちは、’精神と肉体と霊魂’ という分け方をする。
科学者たちは ’エネルギーと物質、エーテル’と分類する。
哲学者は ’思考と言葉と行為によって、真実が図られる’
という。
インドのヒンズー教では ’創造の神ブラフマ、
破壊の神シヴァ、維持の神ヴィシュヌ’という神の
三つの側面をとらえている。
ヒューレン博士が世界的に有名にしたホ・オポノポノでは
’息子と母親と父親’というように精神を分けている。
私たちの日常の中にも、時間は、’過去と現在と未来’ と
三つに観念的に区別されるし、それを、’以前、現在、以後’
というように、分ける。
次回、もう少し掘り下げて 一、二、三 次元論をもとに、
戦争と平和について考えてみたい。
戦争は、国家間の不協和音である。
私たちの生体の不協和は病気と呼ばれる。
戦争を語り、実は 私は体の細胞の中の分子レベル、
量子レベル、そして波動レベルの原因を探っている。
次回に譲りたい。
続く~
(*1)“蘇る千島学説
”2004年 なずなワールド発行