自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

不安と戦争(社会的に身体的に)//愛の対極

2015年08月21日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


一、二、三 の隠れた意味と純粋創造について  

8・21・2015

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先回の続きになるが 一、二、三 の数には、

一(創造主)~愛と平和~、 二(対極)~不安と戦争、

そして 三(反作用)~純粋創造を続ける~という意味がある

というのが今日のお話し。


三の持つ意味を考える前に、一と二の持つ意味は?。


一は在って在るもの、存在するもの、という意味だから、

”一元的”というのは、”唯一絶対なる創造者が宇宙を創造し、

万物は、その’一’の現れ 

顕現されたもの”とする見方だ。

 

ここでよく質問されるのが、創造主が善ですべての力を

もつのなら、


何故、人生苦しみが多いのか? 

世界には戦争、個人には不幸があるのか? 

この世には神も仏もない“ という疑問だ。

 

この疑問の裏には、

”神のみが存在するのなら、そんな不幸をつくるはずがない。 

やはり、悪があるから戦争や悲惨なことが起こる”という、

暗黙の同意を求めている。


そうなのだろうか?

悪があるというのは ”二”つめの存在を認めている。


それは、”一”の神に対立する存在を指す。 

神と悪魔、善と悪、幸と不幸、美と醜、高低、悲喜、

などなど。


それへの解答として、一つの答を ある本から引用させて

いただきたい。 (以下引用部分)


“素朴な関係は、常に二元的である。 

崇高な領域の関係は、必ず三元的である。


左右、上下、大小、寒暑、など、被造物の中では最も偉大な

ニ元的要素、男女。


これらの二者には その間 というものはない。 

一方が他方より、比重が大きい小さいかの違いが、みられる

だけだ。

日常生活の体験のほとんどは二元的な関係があてはまる。


一方、崇高な領域の関係では、対極はない。 

すべては一つであり、一方から他方へと変転しても、終わり

のない循環を繰り返す。“

 

質問(一);現在の世界にもそれは当てはまるのか?


世界が今のような状態なのは、ほかの在り方ができず、

物質的に素朴な領域にあるからだ。


地震やハリケーン、洪水、竜巻など、天災と呼ぶものは、

一方の極から対極への要素への移動にすぎない。 


病や不調は、健康と快調の対極の間の行き来きだが、

あなたがたの要請に応じて現実になる。”

 

質問🉂自分たちの要請とは?

どこかのレベルで(対極の移動中)自らが引き起こさ

なければ病気にはならない。


元気になろうと決意さえすれば、快くなる。 

個人的失望も、自分で選んだものだし、世界的災厄や

世界的な意識(人類意識)の結果である。”  (*1)

 

質問(3)なぜ、戦争があり、常に不幸な状況が人には

起こり得るのか?

自分で選んだものなのか?

一という 善なる、オールマイティといわれる

創造エネルギーはそれを望んでいるのか? 

あるいは その一なる存在が、実際、創りだしているのか?


“あなたは,幻想の中で生き,そのために不安を感じる”(以上

**********

病は、創りだされたものではない。

私たちの 不安が嵩じて、名実化して現実になる。

幻想といえども、夢芝居の中のように、私たちはそれに

踊らされているだけだ。


この話は以前何度も聞いたことがある。

それは ヴェーダ哲学の中に・・

サンスクリット語でいわれる ”マーヤー”と呼ばれる幻想だ。


別名 神の遊戯(play) リーラ とも呼ばれる。

私たちは顛倒夢想の中で生きていると、般若心経は

説いているではないか。


その不安が戦争をもたらす?のかもしれない。

不安だから、資源を確保する、勢力を増す、多大な

ハイエナ的儲けをねらう武器商人(多国籍企業)の存在が

介在して、彼らの頂点に立とうとする、一握りの権力者

のエゴ意識が、戦争の影に見え隠れする。


こうした人々がいることを知っている地球族と、地球族を

コントロールしようとする大きな欲望、その欲望が、

脅かされるかもしれないという不安が、戦争の要因だ

という。

 

再び、本に戻る・

私たちの行為の定石の一つ、繰り返されていることとは?

“一番大切なものを愛し、次に破壊し、それから再び愛する。”


質問4)どういうこと?

“深く探ってみれば人間の行動には二つの動機しかない。

不安か、愛か?

実は感情の源もこの二つだけだ。


魂の言語にはこの二つの言葉しかない。

是が‘相対性’というシステムを可能にする二点、α(アルファ)

でありΩ(オメガ)だ。


この二点、物事に対するこの二つの思考がなければ、

ほかの思考は存在しない。


人の思考も言動もすべて、愛か不安かどちらかを根拠

としている。

他の考え方はすべて、この二つから派生したものだ。“

 

質問5)その二つの対極の想念が、人間の存在の

動力源でもあるわけですね?


“人が、何度も何度も同じ体験を繰り返す理由もここに

ある。


人が愛し、次に破壊し、そして愛するのもそのためだ。

常に一方の感情から他方の感情へ揺れ動くからだ。

愛は不安を支え、その不安は愛を支え、その循環の

繰り返しだ。”

 

質問6)戦争と平和もそのカテゴリーに入るのですか?

“人間の行動のすべては、愛か不安に根差している。

人間関係だけではない。


ビジネスや産業、政治、宗教、子供たちの教育、国家の

社会問題、社会の経済的目標、そして戦争と平和、襲撃

したり、防衛したり、攻撃すること。 ・・・


団結したり、分裂したり、すべての意思決定は存在

しうるただ二つの考えから発している。


愛か不安か。“

 

質問7)愛と不安の定義をもう少し・・

“不安は縮こもり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、

傷つけるエネルギー。


愛は広がり、解放、送り出し、とどまり、明るみに出て、

分け合い、癒すエネルギー。


・・・不安はしっかりと抱え込み、愛は優しく抱きとる。

不安はつかみ、愛は解放する。


不安はいらだたせ、愛はなだめる。

不安は攻撃し、愛は育む。“

 

質問8)戦争は不安に基づき、平和は愛に基づいて

いるのですね?

“愛が存在するためには、そして純粋なる愛である自分を

知るためには、対象となるものが存在しないことを

知っていた。


正反対のものが、存在する必要があった。

そこで神は偉大なる極~愛の絶対的対極~にあるもの、

愛ではないあらゆるものを造りあげた。


それが現在‘不安’と呼ばれるものだ。

不安が存在した瞬間、愛もまた、体験し得るもの

として存在し始めた。“

 

質問9)それでは、なぜ人は不安の最大の現れである 

戦争を起こすのでしょう?

“それは神の無数の部分に(霊を持つすべての存在に)

神と同じ創造力を与えられたから。


あなたがたの宗教の中では、‘人間は神の姿をかたどり、

神に似せて造られた’というのはその意味だ。


物質的な似姿ではなく、本質的なものの継承者として。

つまり、あなたたちの能力には、宇宙から物質的な現実を

創出する力が含まれているということだ。“

 

質問10)戦争は、だから不安の要素(自分の権威に

しがみつく政治家たちや、様々な欲望が満たされる

ための手段)を満たすために、戦争が現実化するのですね。


そして、その戦争の悲惨さと体験を通して人類は平和への

渇望を知るということですね?

“愛を示す(理解する)ためにはまず、愛さない(愛が無い状態)

があるということが可能でなければならない。 


完全無欠の一元的絶対世界は別として、それ以外では対極

の存在なしには、なにも存在し得ないのだ。”(引用以上)

 

戦後70年を迎え、多くのメディアが戦争の爪痕、犠牲者たち

の家族の声、命を賭した特攻隊の番組などを組んでいた。


その当時の現場の中に引きずられ、当時の人たちの想像を

する苦悩と辛抱、忍耐、人間性を無視した当時の

不条理の社会を目の当りにして、現在の平和と対比してみた 

人たちは大勢いたことだろう。


犠牲になった一人ひとりの命に築かれている現在の平和を

実感したことだろう。


そして、永遠に生きる生命体として 彼らは今も天国で

穏やかな愛に包まれていることだろう。

現象世界、私たちが生きている この地球上の社会では 

対極の存在なしには、何も存在し得ないという上記の言葉、

死も生も、そういう意味では同じだけの重みをもったもの

として受け止められる。


そして、何よりも、戦争や平和を論じる際に、私たち一人

ひとりの心に、どれだけ愛があるのか、不安はないのか、

それを見つめなおす、良い機会なのかもしれないと

いう気もする。

 

*1) 

記事内の、本文(  )内の言葉は 

須田の補足です。

 

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