自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

殺傷は罪?・社会問題・国家のエゴが生む殺害 

2015年08月15日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

 終戦記念日に寄せて~純粋な創造 に向けて 8/15/2015

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次のメッセージをお届けしたい。

数回にわたり、引用するもので、この出典は最後のブログの

ページに発表させていただきたい。


そのまま引用させていただく・・・・

”何にせよ、間違ったことは何もない。

間違っているというのは相対的な言葉で あなたがたが 

’正しい’と呼ぶことの対極を示しているだけだ。


では’正しい’とはどういうことか?

貴方がは、本当に客観的に判断できるだろうか・・・・・・


日ごろ、自分自身の理解をもとに、何が正しく、

何が悪いかを決定している人達はほとんどいない。

重要なことになると、ますます、その傾向が強くなる。 


重要なことであればあるほど、

誰か別の人の考えに従いかちだ。


そう考えると、あなた方の人生のある、領域をコントロール

する力を 完全に失ってしまった理由も、人生経験の中で

ぶつかる疑問も理解できる。”

 

質問① その領域や疑問は何をさすのか?

”魂にとって、とても重要な課題を含んでいる”領域だ。


”’神の本質’、’真のモラル’、’本当の現実とは何か?’、

’戦争’、’医療’、’堕胎中絶’’安楽死~生と死の問題’、

’個人の価値観やその構造’、’判断の実体’などだ。


こういう問題のほとんどをあなたがたは放棄し、

他人任せにしている。

自分で判断を下したくないのだ。


’誰かが決めるだろう! 私はついていけばよい。

それでよいのだ。’

とあなたがたは叫ぶ。 


’何が正しく、何が間違っているか、誰かが教えて

くれるだろう。’”

 

”さて、殺害についてかんがえよう。

何かを殺す正確な理由は在るのだろうか?

自分で考えて観給え。

偉い人に教えてもらったり、難しい情報を与えられたり

する必要がないことはわかるだろう。


自分で考え、どう感じるかを見つめてみれば、

おのずから答えは出てくる。

それらに従って行動するだろう。 


それが自らを権威として行動するということだ。”


質問② その反対は?


”他者を権威として行動すると、わけがわからなくなる。


国家は政治的な目的を達するために、人を殺しても

良いのか?

宗教は教義に従わせるために、人を殺して良いのか?

社会はルールに違反した者を殺して良いのか?

宗教的説得法として、社会問題の解決策として、

殺害という行為は適切か?”

 

③いまどきの集団的自衛権とやら・・・を考えると?


”さて、誰かに殺されそうになった。 その時、

あなたは相手を殺せるだろうか?


愛するものの命を守るために人を殺せるだろうか?

あなたが知りもしないものを守るためにはどうか?


殺されそうになって、ほかの方法で身を守れないとき、

自衛のために人を殺しても良いのか?


殺意のない人殺しと、計画的殺人とは違うのか?

国家は政治的課題を達成するために、正当な人殺し

はある、と信じるようしむけるだろう、 


権力機構として、存続を維持するために、国家は

その言葉を信じさせる必要があるのだ。


宗教は、自分たちが定めている真実を広め、教えを

維持し、守らせるためには、人殺しもやむを得ない、

と信じるようにしむけるだろう。


権力機構として存続するために、宗教はその言葉を

信じろを命じる。


社会はある種の違反行為(その行為はいずれは、

時代によって変わるのだが)を犯した者を罰するために、

死刑を必要だと信じるようしむけるだろう。


権力機構として存続するために、社会はその言葉を

受け入れさせなければならない。


あなたはこうした主張が正しいと思うか?

他者の言葉をあなたは受け入れるか?

あなた自身はどう思うのか?”

 

質問③ どうなのでしょう・・・

間違っているのですか?


”こうしたことには’正しい’も’間違っている’もない。


だが、あなたの決断はあなたが何者かを映し出す。

実際、国家はその決断によって、それぞれの姿を

映し出してきた。


その決断によって、いつまでも消えない印象

を作り出してきた。

社会も、その決断によって、自画像を作り出してきた。


あなたは、今、自分の姿に満足しているか?

宗教の姿は、あなたが望んでいるモノか?


今の社会の自画像はあなたが何者か正しく 繁栄しているか?

・・・・・こういう疑問に目をむけてごらん。”


”人は自分で考えて選択しなければならない。

そういう選択~過去の知識にたよらない決断~それが 

純粋な創造 と呼ばれるものだ・


そういう決定をしたとき、自分自身を新たに 造りだして

いることに気が付く。


あなたがたのほとんどは、この重要な仕事には関心がない。

他人任せで生きている。


だから、自分を創造せず、

’習慣の生き物’’外部から創られる生き物’に甘んじている。”

 

質問④ 習慣の生き物は困ったときはどうする?


”他人からどう感じるべきかを指示され、それが

自分の本当の気持ちとは違うと、深い心理的葛藤を

経験する。 


本当のあなたは ’他者の言うことと、自分の想いとは

違う’と語りかけている。


それではどこへ行けばよいのか?

どうすればよいのか?

 

そこで、まず行くのは 宗教者(あるいは霊能力者や

占い師・・須田補足)のところだ。


あなた方は僧侶やラビ、牧師、先生(霊能力者や占い師 

・・須田補足)のところへ行く。


大方、彼らは、あなたの心の声に耳を傾けよとは言わない。


ひどい人たちにいたっては、あなた方を脅し、脅えさせて、

直観的に知ったことさえ、捨てさせようとする。


彼らは 悪について、悪魔について、悪霊について、

呪いについて、考え付く限り、恐ろしいことを語り、

慰めを見出す唯一の場所は 彼らの思想、カンガエ、

教義であり、彼らが定義する正邪、善悪であり、彼らが

考える あなたの姿だと説く。”


自分の価値観を持ち、考え、自分自身でそうした

さまざまなことを決定する?


一隊 自分は何様のつもりだ?~という声が聞こえる。

そんな力は私にはない。まだまだ未熟だから。


”そう、お前は何ものか という問いに対して

あなたはいつかは答えることになる。


その仕事は、たった一人でしなければならない。

報酬も無く認められもしない。

気づいてもらえないかもしれない。”


質問⓹ そんな思いをして 何故 自分探しの旅を

続けなければならないのか


”良い質問だ。

どうしてそんな道へ歩みださなければならないかって?


自己探求と創造の旅に出ることで、何が得れるのかって?

どこにそんなことをする理由があるのかって?


その理由は、ばかばかしいほど 単純だ。

ほかにはどうしようもないから’” (引用以上)

 

皆さんは101匹の猿 の お話しを覚えておられるだろうか?


私たちが自分探し、創造的生き方 を追及していけば 

池に落とした石の波紋が広がるように、 いつか、何かが

劇的に変わる可能性を示唆しているような気がする。


たとえば、私たちが心底、戦争を反対するという

気持ちがあるのなら、’経済的な発展のために

~戦争特需~’とか、’他国からの協力(特に米国)

得られずらくなるから’とか、もろもろの資本主義に

生きる現世的構造の歪みの中でも、


純粋にそれを求めるのなら、


”今この瞬間、核兵器を捨て、地球のどこかで行われている

紛争を含め平和は突然訪れる” 日が来ることも夢ではない~

という気がする。

 

続く・・・

 

 

コメント
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