”悪と善”二元的価値が対立する世界 2022年4月1日
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青い文字が、一二三神示からの引用です。
悪的感覚と 悪的実態は、おのずから、別である。
この実情を感覚仕分けたうえ、悪を悪なりと
定めてしまって、悪はすべて祖先より、あるいは
原因の世界より伝えられたる一つの因果であると
いう平面的、地上的考え方の誤っていることは、
以上のべた処で明白となり。
己を愛するは、まず、悪の第一歩なりと考える。
その考えが悪的であることを知らねばならぬ。
スダ注:傍線部分のご注目ください。
物質的世界の特徴は、因果で物事を判断すること。
そして、それは一二三神示によると、平面的で、
地上的という形容詞がついています。
さらに、己を愛すること、それは、とても大切な
ことであるのにもかかわらず、
エゴイズムの一歩ということで、悪いことと
考えられているのが、残念であります。
来るべき新天地には、悪を殺さんとし、悪を悪として
憎む観念はなくなる。
しかし、それが、最高の理想郷ではない。
さらに弥栄して、高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れる
ことを知り、努力しなければならない。
スダ注:悪を殺さんとし、悪を悪として憎むのが
私たちの地上の世界の常識的正義です。
でも、それは、限られた智で判断する私たちの
正義であり、限られた智慧というのは、
現世を生きるための五感の感覚機能を主体とした
肉体に属する知恵のことです。
それは 前回お話した、量子的世界や、
空の世界という、超越意識の中で直観的に
真理を知る第三の眼でみる、智慧とは
区別されています。
人の良識で判断すれば、悪が許され、大手を振って、
往来を闊歩するこざかしい人たちに
その権力だけで追随している人たちを含め、
公平さに欠けたさまざまな、世界的な
理不尽な事象が目につくことでしょう。
何も、悪いことをしていないのに、どうして
善人たちが、こんな目にあって、
悪いことをしている人が、繁栄するのだろうと
疑問にもなります。
ここで、神示は、そういう事象も、その事象で
悪が出てくることも真の智慧をもってみれば、
必要悪であるゆえに、地上人の言う長い目でみれば、
善 が生きて、強くなるための踏み石になり得ると、
前回ご紹介した中にもありました。
本来悪はなく、暗はなく、地獄なきことを
徹底的に知らなければならない。
という神示の言葉がそれに続いていました。
悪的感覚と悪的実態は自(おのず)から別で
あるが、この実情を、感覚仕分け得て
体得する霊人は極めて少ないがごとく、
地上人に至りては、きわめて稀であることを
知らなくてはならない。という神示とともに・・・
とはいうものの、この 悪いとする感覚からくる
信念と、実際の必要悪であるという賢い判断は、
なかなかできずに、実態があるから、悪がある
とは限らず、悪があるから、必ずしもその実態が
そうであるとは限らないという考え方は、
わかりずらく、ややこしい話です。
これらの複雑な要素を、きちんと、仕分けられる、
体得する霊界の人は、きわめて少ないと
神示で延べられ、さらに、我々肉体を持っている
人間に至っては、その境地に達することは
それ以上に稀で、難儀である以上、このことを
心底、理解するためには、相当な修行が
必要でしょう。
霊界にいれば、実際、肉体はないから、悪 という
感覚的判断を、想念機能でするのですが、
それでも、肉体の目よりは、かなり緻密な
霊的感覚をもって判断出来えることでしょうが、
真理の実態を 悪 の観方を、つかみきることは
難しいのなら、我々人間にとっては
なおさらと言えるでしょう。
それをつかむためにどうしたら良いかといえば、
私は、”己を愛する”ことだと思います。
神示では、これこそ、悪の第一歩なりと
普通に考えられがちだと述べられています。
”その考えが悪的であることを知らねばならぬ”
と断固として言い切られているのは
どうしてでしょう?
この中でいうところの、”愛”、自己愛は、
決して、地球人的意味合いのそれではなく、
むしろ、自分の実相を知り、それを愛する
ことであるから、とても必要な愛といえそうです。
自分の実なる姿は、天明の書記にあるように、
歓喜そのものです。
それによって、人に対する、観方も変化する
だろうし(4)で述べられた、他者や環境が
自分に投げかける’悪的行為’も 今までとは
違う局面から観ることが可能になるでしょう。
そのことは、以下の神示に こう示されています:
これは生前、生後、死後の区別なく、すべてに
通じる歓喜である。
一の天界に住む、天人が、二の天界に上昇
したとき、一の天界はきわめて低い囚われ
の水の世界であったことを体得する。
さらに、一段上昇、昇華して、三の段階に
達したときも同様である。
地上人的感覚によれば、二の天界に
進んだとき、一の天界は悪に感じられ、
三の天界に進んだとき、一の天界は
最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い。
天界にもいくつもの層があることは知られている。
その層を 一つめ、二つめ、三つ目、
と段階を追い上に昇るごとに、前の層は
今より劣っていると感じられる
悪に感じるというのは、ここでは、劣って
いるものとして、感じられるということ。
こうして、人の魂は次々に 北を目指して
中心へと向かって、本来の魂に帰化するために
生長し続けているといえるのでしょう。
引用部分: ”ひふみ神示” 2011年
岡本天明著 太陽出版
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