自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

文化勲章受章者、二木医学博士の生命論~腹式呼吸~(1)

2018年11月21日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

病は原則、克服できる~と体験実感した背景 2018 11/21

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”生命医療”に関してかなり以前ブログで触れたことがある。

それは、自らの病の克服と患者の臨床的体験が基軸となって、

生命医療を提唱した内田医師の話だった。

今日から数回にわたり、その生命医療を彷彿とさせる、

医学博士 二木謙三氏(*1)の体験と健康実践方法などを

ご紹介したい。

 

博士は、昭和30年文化勲章を受章された。

私の手元に博士の著書(*2)ある。

ご一緒に紐解きながら、博士の自らの”体の機能への信頼”を、

具体的な病の症例とともに理解し、さらに、健康を保善する

食事’正食‘を考えていきたい。

博士は明治30年生まれ。

一歳まで生き延びられないであろうと、周りが認めるほど

生まれながらに病弱だったと、博士は次のように書いている:

“リンパ腺が晴れやすく、中毒にかかりやすい

皮膚に痒いものができ、それをかくと、腫れて膿をもつようになり、

それはだんだん広がり、慢性皮膚病となった。

かゆいので夜はねむれず、不眠症になり、目も悪くなり、眼精疲労

で目が痛く、明るい光で書物は読めない。

絶えず頭痛がし、胃腸は悪く、便秘や下痢に苦しめられた。” 

(以上引用)

 

不健康が原因で、小学校には遅れること3年、ようやく、

9歳にして入学できたという。

この時期、博士は食用療法の大切さを子供ながら、

初めて体験し、それが博士の提唱する”食”の考え方の

動機になっているように思う。

一昼夜、無尿症になり、尿毒症を起こしかけて、危篤に

陥ったときのことだった。 

漢方医であった、博士の叔父が小豆(あずき)の煮汁を

与え、体が改善に向かった。

博士の言葉を引用する: 

“塩物をことわって、毎日、小豆(あずき)の煮た汁を

飲まされた。

そうするうちに、不思議にも一日一日と尿が出るように

なって体がやせてきた。

私は子供心にも食べ物がこれほど、体に大きな関係を

持つのかと驚異を感じた”(以上) 

 

医食同源という言葉がある。

まさに、普段の食事の内容如何で、長い年月でみると

生きた薬となり、健康に一役かっているということだ。 

博士の子供時代の、急性腎炎は小豆汁によって改善をみた。

そのとき、痩せて青白くなったのだが、この状態をむしろ、

自然治癒力の発動した結果と、肯定的に、博士は

こう分析している。

 

“私は病気の時は顔色が蒼くなって体が痩せるのは、

血管が収縮して病気に対する抵抗力が強くなるせいだと

いうことを、身をもって体験したのだ。” 

 

体調が悪いと、食欲がなくなる。 

周囲から、顔色が悪いと言われると、何か、病気では

ないかと、不安が助長する。

しかし、博士は、このような状態は、自然治癒力の働きとして、

実際は、体の中で抵抗力が増し、病に対し闘うためだ

と理解した。

 

小学校から中学時代になると、神経衰弱にかかった。

高等学校にいくと、それがまたひどくなり、健忘症に

なった。具体的にいうと、万全の準備をもって試験に

臨んでも、土壇場で、試験用紙をみて頭がぼーっとして

しまい、何も思い出せなくなってしまう。

そのせいで落第したが、博士自身、健康になるために、

独自の健康法をこのころから実践し始めている。

“人並になりたいという一心で、人から何かよい健康法を

きくと、すぐやってみた。

特に複式呼吸、冷水摩擦、駆け足などは熱心に実行した。” 

と博士は書いている。

 

腹式呼吸は 胸式呼吸(*3)と異なり、臍の下、臍下丹田

から息を吐き、静かに、おなかの重心に息を吸い込んでいく

方法だが、これを続けることにより、虚弱体質だった博士が、

学校の徒歩競争に一番でゴールインしするほど体の力に

自信がもてるようになった。 

 

“私は最初から一等をとろうとは夢にも思っていなかったが、

しかし、古人の言の正しいことをしみじみと知った。

白隠禅師のすすめたとおり、腹式呼吸は全身の力を発揮させる

ものであることを痛感した。”

と記している。

実際、複式呼吸は、瞑想でも、ヨガでも、ストレッチ運動でも、

呼吸はその効果を発揮するための要(かなめ)となっている

ことは、今ではよく知られている。

 

息と精神とは密接な関係を持っている。

たとえば、興奮すると、息が荒々しく、いわゆる、息が

上がった状態になり、精神的にますます、落ち着かなく

なるものだ。

耐久力が必要なことをするときのみならず、歌唱や演説、

声を出すときに腹式呼吸でハラの底から力を出すと、

聞いている人の心に届きやすい。

 

普段から腹式呼吸を意識して行っていると、自然と、

身についていくものだとも思う。

さて、博士はこうして、自分自身の体験を通して、

健康法を、健康になりたい一心から試みていたが、

ついに胃腸病を克服するときがきた。

それは大正9年のインフルエンザ流行の年だった。

当時、伝染病研究所の部長をしていた博士は、胃酸過多

で悩まされていた。本文から引用する:

 

“大正9年インフルエンザが大流行したので、私は昼食

を食う暇とてもなく、しばらく昼食をやめていた。

すると、胃の具合がたいへん良くなったので、それからは

忙しくなっても、二食にしていた。

その後一食にしたらどうだろうかと、当時玄米を研究的

に食べていたので、最初冬一か月だけ、寒げいこのつもり

で玄米一食にしてみたところ、胃酸過多症が

なおってしまった。”(以上引用)

 

二木博士はこうして、それから、玄米一食を貫いた。

60歳のときには、ますます健康に自信がでて、合気道の

創始者、植芝氏に師事し、10数年間、毎朝道場に通って、

合道の稽古に励んだ。当時の日課をこう綴っている。

 

”朝4時に起床、禊(みそぎ)をして、牛込若松町に

ある合気道本部道場に新宿西大久保から通い、

合気道の稽古をして、6時に帰宅、それから一日一食の

朝食をとった。

玄米ご飯一杯と、野菜の二分間煮(無塩、無糖)と

果物という簡素さだった。”(以上引用)

 

まるで仙人のような食事だ。

博士は、小食であればあるほど、睡眠時間が少なくて

済むという。

玄米食は完全食だとよく聞くが、博士の体験をもって

語られると、それも説得力のある話だと思う。

 

さて、ここまでは博士の持論の背景となったご自身

の病気の克服の手記であるが、次回は、

博士の具体的な病理学理論に触れてみたい。

 

 

 

*1)明治6年 秋田佐竹藩の藩医の家に生まれる。

20歳までいろいろの病気に悩み、玄米食の実行により、

健康となった。

明治34年東大医学部卒、駒込病院勤務中伝染病の研究

をしながら、栄養学的に食物の研究に努力する。

ドイツに留学し、天然免疫性に関する医学界に

おける世界最高の業績を残す。

帰国後、赤痢駒込菌を発見し、鼠咬症病原

スピロペーターの発見によって、学士院の

恩賜賞を受けた。

かたわら、二木式腹式呼吸を発表、玄米・菜食、

すなわち完全食を提唱した。

その間、当で愛教授、都立駒込病院長、

日本学士院会員、養生会会長、豊島丘女子学園理事長、

修養団団長、その他多くの要職を兼ねる。藍綬褒章

を賜り、その後昭和30年11月3日、

文化勲章を授与せられた。

*2) “健康への道” ~完全正食の医学~ 

東京書院発行、昭和32年

*3)腹式呼吸は二木式腹式呼吸なるものを博士は

発表している。

それを簡略してみると、以下のような方法でできる。

“平田篤胤(ひらたあつたね)先生が述べているように、

寝る前に、体を仰向けにした状態で、

足を強くふみのばし、下腹に力をいれて、息を

数えながら、胸から上を虚にし、腹から

下を実にするという心持で行うのが良い。・・・・

呼吸時は、吸うときは、腹のふくれるように

少し腹が固くなるように息をすい、

あまりいきまないように少しとらえて、精神を

落ち着かせて、静かに吐き出す。

 

胸の方から先に空気を出す。

次に上腹部にある空気が胸を通って、外へ出て

下腹に少し残るように出す。

吸うときも吐くときも下腹には力をいれて、

長く徐々に吐いたり出したりすることが大切だ。

また、呼吸は鼻でするのがよい。

この呼吸は八分いれて八分出すことを数回繰り返して

あまり疲れない前にやめるとよい。

 

 

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