死後のパノラマ映画と鬱病の子供・・・ 2012.11月10日 (土曜日)
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ホスピス的という言葉は、日本では、末期の病人の方達の心の
安寧と関連して、医療現場で多く使われている。
もともとの意味は、病と身体と心の密接した関連性を指す。
死ぬと魂はどこに行くのか?
無に帰するのか?
そんなお話しを気楽に語りあえる場も雰囲気も、ケアー施設にも
日常の周囲にも、あまりないように思う。
そんな環境があれば、もしかしたら、死 に対しての 恐怖感を
密閉せずに、オープンにすることができると思う。
死とは、すべて無に帰するのではなくて、”新しい再生の一歩”である、
と私は思う。
死のとらえ方は、個人の自由だが、様々な角度で考えてきたかどうかで、
今生きている人生の在り様に差がでることもあるだろう。
残された、人生の向き合い方が違ってくるかもしれない。
そして、いずれ、みな体験する死 を 見送る側も、行く側も、心乱さず、
冷静に厳粛に受け止めることができるだろう。
そう考えて、死後について、考えることは無意味でないと思った。
筆者のクライアントさんで、あの世に行ったものの、
”まだ、来るのは早すぎる” と この世に、帰された方がいる。
また、ごく近しい親せきで、一度は棺桶にいれられ、荼毘に付される前、
病院の棺置場で目を覚まし、ふたを懸命に叩いて、
看護婦さんを驚かせたという体験の持ち主もおられる。
あるいは、小学校の時、死ぬか生きるかの状況で
幽体離脱した思い出を語ってくれたクライアントさんもいる。
或る時、病室の天井あたりに 浮かんでいる自分が下を見ていた。
そして、ベッドに横たわっている、自分の体と、自分の名前を呼びながら、
死に行く体を激しくゆすっている家族を、不思議な気持ちで
上から眺めていた記憶があるという。
今までにも 多くのこれに似た 死後体験記があるが、
次のお話しを、引用させていただきたい。
”光の生命は、死の世界を体験している人間自身の
全生涯をパノラマのように映し出して見せる。
多くの事例から判断して、光の生命は、死後の世界を体験している
人間の全生涯を手にとるように、見ることができ、
あらためて情報を必要としていないことは明らかである。・・・・
一瞬のうちに終了してしまうにもかかわらず、信じがたいほど
鮮明でリアルだったと報告されているし、ほぼ例外なく、
映像でしめされたという。” (*1)
著者レイモンド博士は、哲学と医学博士号を持っている。
現場の症例から共通する事象をまとめ、報告している。
ここで 博士が、記している光景のことを 少し補足させていただく。
死ぬと、閻魔大王の前で ”善行と悪行” を計られて、
悪人は地獄に行って舌を抜かれるという話を子供の時に聞かされた。
作り話しだと、後で思ったが、実際、死ぬと、同様のことを
体験しなければならないようだ。
もちろん、地獄はない。
でも、本人が地獄のようだと感じる瞬間 がやってくる。
上に引用した文章は、その瞬間のことを 書いている。
博士が書いているように、死んだ人は パノラマ映画で、
”自分の一生一代記” を見せられる。
そこで、自ら、生前の、善行と悪行の反省を促される。
過去の自分の行いのすべてが、自分が忘れていたことまで、
詳細にそこで再現されるという。
同時に、自分が 他者に与えた苦しみや悲しみ、
自分が抱いていた、嫉妬や高慢さ、怒りや抑えていた感情なども、
はっきりと見せつけられる。
さらに、自分の相手にとった、行動と、その行動で相手が受けた
痛手や悲しみなども、相手の心に 入り込んだように、
自分の胸に伝わってくるという。
相手がどんな気持ちだったか、どんなに傷つけてしまったのか、
相手の心を追体験するのだ。
その時点で、自分自身が感じる、恥ずかしさや、心苦しさ、申し訳なさ
などは、筆舌に顕せないほど、大きなものだという。
地獄のような苦しみというのは、ある意味でこの時の悔悛と苦しみ
の気持ちをいうのだろう。
二度と戻ってこない時間を巻き戻して、見せつけられた
”自分の未熟で勝手な 振る舞いと 相手に与えた苦しさ” は
何倍にも膨れて自分自身の魂に返ってくる思いだろう。
こういう、自己反省の機会を与えてくれる、生前の映像が、
瞬時に映し出されるというのだ。
以上の、レイモンド博士が述べた現象を、チョープラ博士も認め、
著書で、こう述べている。(*2)
" 人々が臨死体験をするとき、彼らは一瞬、いつもより高い周波数で振動し、
そして通常の震動周波数に戻ってくるのです。
人はよく死ぬ最終段階において、ほんの、一瞬の間に、
自分の一生を目のあたりにします。
それは、この体験が光速で移動するフォトン(光子)を
通して生成されるからです。”
チョープラ博士の言葉の中で、”高い周波数で振動する” という言葉と、
”通常の震動周波数” という言葉に注目してみたい。
ここでは、生から死 に入るときの周波数の話だが、実は、
今も私たちは周波数を放っている。
その波動は、肉体と心、で周波数が異なる。
肉体の波動は心のそれと比べて、もっとも荒く、次に心(マナス)、
記憶 (チッタ)、そして、”人格者”と評価される基準の 心 [ブッディ]
の順に 波動は精密になっていく。
だから、自分の波動といっても、局面的に顕れる その時の自分が
どの心を強く意識しているかで、違ってくる。
自我意識の波動、つまり、”私は” ”私の” という (アハムカーラ) は、
周波数がそれらの中でも 特に精妙だ。
だから、ブッディ(知恵)のある人(人格者)ですらも、
時として物質に執着したり、迷いを生じたりして揺らぐのだ。
それは、ブッディ(知恵)の波動のほうが、アハムカーラ(自我意識)より粗雑なためだ。
アハムカーラは こうして、細かい水蒸気がつくる霧のように、
心のすべての領域に、浸透している。
この何十年、私の心に しばしば 浮かんでくる言葉があった。
”我が国はこの世の国にあらず ”という 聖書のキリストの言葉だった。
自分自身の周波数と現象世界の周波数が異なる時に出る、
呟き(つぶやき)だった。
人は本来、様々な周波数に自分を合わせる適応能力を持っている。
人間関係・社会の中での、ルールやマナーの教育を
庭や学校、職場で受けている。
それでも、なかなか、その周波数に適応できない人たちも、
なかには、いるのだ。
うつ病や潔癖症、登校拒否の 人たちと、セラピーを通してつながってきた。
うつ病になったり、登校拒否をする子供たちは、
普通の人たちの周波数と 自分の出す周波数が異なることを
自覚している。
そして、無理やりそれに合わせることが苦痛である。
我が儘だとか、自分勝手とか、マイペースだと 周囲から受け止められても、
本人がそれに、構わない神経をもっていれば、まだ症状として出てこない。
だが、周りからの注意が非難や批判になり、誰からも理解してもらえないと
感じ始めると 状況が変わってくる。
一般周波数に合わせなければならないと自分を抑えるほど
”自分は人とは違う” という自覚が劣等感になり、増々
心の内に閉じこもる悪循環があるように思えた。
著者の息子は、ニューデリーの日本人学校に通っているとき、
登校拒否になった。
担任の先生が 家庭訪問の形で、何度か話し合いに来てくださったが、
原因がわからなかった。
先生のお話しを聞きながら、思い当ったことがあった。
”息子さんは、休憩時間、水槽の金魚ばかり見ていて、
みんなと外で遊びたがらないんです。” という先生の言葉に、
皆と同じことをしないと仲間外れになっていくのは
当然だという響きがあった。
その後、”クラスの中の、競争がいやだ・・・” と 息子の口から本音が漏れた。
翌年、彼は、英語の特訓をして、インターナショナルスクールに編入した。
そして、見違えるよう元気になっていった。
”競争はないの?”と私が聞いた。
”あるよ。 でも、”自分の中”で どれだけ、”上達したか?” が大切で、
人との競争は二の次だって。
人と同じことしなければ いけないかって?
迷惑さえかけなければ、いいんじゃない?
人と同じ意見ばかりで、自分らしい意見を言わないと、
考えていない人と思われるよ。”
10歳の息子が見つけた、小さな自信だった。
自分の家は、あまり、心地よくないなあ、 とか、
私はここでは私らしくなれないとか、生まれてこなければよかったんだ、
とか、 死にたいなあ とか、そういう感情を持っている
子供たちは意外と多い。
表面は何事もないように、笑って過ごしているが、
その実、心の中では大きな葛藤をかかえているのだ。
一つ提案させていただきたい。
子供たちに、自分で考えるという時間(余裕)を
持たせてあげる事。
大人(親)の価値観で ”駄目よ” と否定しないで
子供を信じて待ってあげる事。
自分が居心地が悪く感じるということは、そこに、
成長があり、自分らしさが生まれていくということかもしれない。
人との違和感を感じることは、すでに、自分らしい創造が芽生え、
新しい自分へと飛躍していく予兆かもしれない。
波長が違う、波動が異なる というのは、生前 と 死後 だけの
事ではなくて、通常の私たちの生活の中で経験
していることでもある。
そして、波長が違いすぎると感じて、自分の殻に閉じこもっていく
若い命は、時として、だれにも理解されていないと感じ、
うつ病になり、昂じて、自ら命を落とすこともある。
話しのまとまりが、なくなってしまった。
死から、周波数の話、そして、登校拒否の子供たちの話になったが、
波動という言葉の持つ意味を考えているうちに、死後の世界が
現実への逃避の世界へと話が移行してしまったようだ。
*1 ”垣間見た死後の世界” P.87 レイモンド・A・ムーディ・Jr. 中山 善之訳 評論社 昭和58年
*2 "Power,Freedom,and Grace" p.97 Amber-Allen Publishing, Inc. 2006
かつて 登校拒否をした息子と 南インドで: 2012年 3月
皆と合わせる事も出来ず、集団生活も苦手で、おまけにスポ
ーツも苦手、学校へ行かない事で勉強も後れ、ますます行き
たくなくなり、毎日親や学校からのプレッシャーでついには、他の悩みも重なり、だれにも理解されないような絶望感で、何度か自殺未遂をおこした事があります。
今思えばうつ病になっていたのだと思います。
波長、波動が合わない・・当時を振り返りもしかすると、そうだったんだ・・と感じました。
今はあれから年を重ね、色々な方々とお話をしたりするこ
とがとても楽しく、沢山の学びの中で日々を送っています。
あまり学校へ行かなかった事で勉強がかなり不得意な恥ず
かしさはありますが・・
でも今は、有難い事にとっても幸せです。