5つの種類の知識と活用 2021年4月13日
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まえがき)
すでに、南インドのサイババ師が、肉体の衣を脱いでから7~8年
たつのだろうか・・
これまで、自然治癒力協会では自然治癒力という意味を、
多方面から見てきた。
最近、本当に私が皆様にお話ししたいことは、
”メタフィジカㇽヒーリング”と呼ばれてきた”、形而上的癒し”
についてのことであると思った。
”メタフィジカㇽヒーリング”とは、簡単に言えば、自分の本質
”アートマ=神性”に心を振り向けることで、身体の波動を替え、
順気の流れを良くして、自然治癒力の発動に拍車をかけることが
できる、ということ。。。。
その根本的な考え方を、サイババ師は独自の言葉で講習して
くださった記録が手元に残っている。
それを基にして、今回の、”ヨガのイロハ=ヴェーダ一元(いちげん)思想
’”シリーズを書かせていただいている。
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先先回は、サイババ師の、身体の中のアートマと、苦行の関係に
ついてのお話しでした。
今日は、その続きからです・・・・
”身体は水のアワのようなものです。
アワは自ら現れて、しばらくの間、水の上に留まり、また、元通り、
水に溶けていきます。
同様に'ナラ’(人)と呼ばれるアワも、’ナラヤナ’(神)とよばれている
水から現れて、また、元の水に戻って、溶け込みます。
人間のこのような神聖な起源を認識する時初めて、私たちは正しい
やり方で人間の身体を、維持し使用するようになるでしょう。
身体はただの道具ですが、その用い方は定められた基準と限界に
したがって、規制されなければなりません。
この世のあらゆるものは、何らかの規制によって、支配されています。
そのような規律を守らずに何らかの成功、または、進歩に達することは
できないということはあります。
身体もまた、在る規制に支配されています。
私たちは自分の想念、感情、外観、行為において、純粋性を発達させる
べきです。
他方、もし、人が自分の感覚と四肢を不純な方法で用いるのならば、
人の性質は人間的というより、悪魔的に堕落するでしょう。
私たちの人生は企業(Limited. Company) に喩えることができます。
その理由はこうです。
人間の体温は98度Fですが、たとえ体温が99度Fに上がっただけでも、
それは病気の症状になります・
わたし達の血圧は、120/80mmですが、もし、それが上下したら
病気と考えられます。
わたし達の眼球もある範囲内に限って、光を見ることができます。
その範囲からの逸脱は、網膜に損傷を起こすでしょう。
私たちの耳は、一定の範囲内の音を聞くことができますが、その限界
を超えれば、鼓膜が傷つけられるでしょう。
このように、私たちの身体をLimited Companyと呼んでも
いいでしょう。
わたし達が身体を使用しながら、これらの限界を守っているわけです。
口に入れる飲食物でも、話したり、聞いたりする言葉でも、事実上、
あらゆる生活習慣において、主音(基調)として、節制と中庸が
守られるべきでしょう。
限界を超えれば、危険を招くからです。食べ過ぎや話過ぎは、
心の変調をもたらしますが、適度の食事と話は、人生の喜びを
もたらします。
身体の使い方をそのように、気をつけていれば、人間の生活にも
喜びが生まれます。
人間の知識は、五つのカテゴリーに分類されます。
こんにち、最も広くいきわたっている種類の知識は
①書物による知識です。
それは、表面的なものにしか過ぎない、書物の知識を得るために、
私たちは多くの時間を浪費しています。
このために、
②一般的知識
③常識
が著しく少なくなってきています。
この二つ、一般的常識と一般的知識は、書物からは得ることが
できず、実際の日々の生活、特に社会への奉仕を通じて、種々の
体験から得られるものです。
④番目は識別的な知識です。
この種類の知識は現在、利己的な目的のために歪んで
用いられています。
これは、識別力の正しい生かし方ではありません。
かけているのは、利己的な個人の利益ではなく、社会全体の
集合的利益を失い種類の識別です。
若い人たちは、自分の利害のための識別力の悪用を正当化
することを、避けなければなりません。
普遍的な識別の力、それが大切です。”(以上スワミの言葉)
利己的な識別と普遍的な識別、違いはなんだろう?
以下のようにスワミは方程式を使って説明した。
”3-1=1、というのは、霊的計算による方程式です。
あなたがたはこの方程式を間違いだと言うが私はそれが、正しいことを確信を
もって、主張します。
なぜなら、この方程式は、世間の計算に基づくものではないからです。
世間的というのはとかく利己的ですね。
霊的計算の方程式は、普遍的な福祉をめざしている、無我のアートマ(人間の神格)
の計算によるからなのです。
もう少し説明しましょう。
神とマーヤー(幻)と宇宙、この三つの実体を考えてください。
神は実質であり、マーヤーは鏡であり、宇宙は神の反映です。
もし、鏡を取り去るならば、マーヤーも宇宙も存在しなくなります。
そのとき、神だけが残ります。それだから、3-1=1になるのです。
世間の人はこういうことを理解できません。
なぜなら、彼らには⑤番目の種類の智慧が欠けているからです。"(以上)
こうして、スワミは5つの知識のうち、4つまでを説明した。
一つ目は、書物の知識、二つ目と三つ目は一般的な知識、一般常識、特に、
社会でのそれぞれの立場で習得する知識、4つ目は識別的知識だった。
では、5つ目は何かというと、実際的知識だという。
(スワミの講義はカルナタカ語で行われ、英語の通訳が入る。
よって、それを日本語にするので、知識の名付け方よりも、スワミが説明している
内容を重視していただければ有り難いと思う。)
それは何を指しているか?
社会福祉への関心、身体へのせわ、食べ物への注意などがはいるようだ。
スワミの講義の内容がそれを、詳しく語っている。
”多くの人は自分自身の面倒をみるだけで充分だと思ってます。
しかし、総ての人は社会の一員でもあります。
社会全体の福祉に関して、自分自身のことのように、関心がいだかれるべきです。
太陽とその光線、海と波の関係、それらにはまったく差がありません。
太陽と光線は一つ、海と波は一つです。
同様に、神と愛のあいだには、何の差別もありません。神は愛の本源だからです。
身体とアートマの関係も同様です。
この二つは相互に深く結び合っています。
身体は かりそめのものですが、アートマを実現するまでは、正しくその世話を
しなければなりません。
多くの人々は身体を無視し、多くの病気にかかる危険があるのです。
4つのプルシャルタス(人生の目的)があります。すなわち、ダルマ(道徳律)、
アルタ(富)、カーマ(欲望)モクシャ(解放・解脱)、それらを達するためにも、
身体の健康は絶対に必要です。”(以上スワミの言葉)
この続きは次回で・・・・
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