自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ひふみ神示:霊人と地上人

2013年07月18日 | 健康と直結する”一元論”について

第6帖の神示・太陽が暗黒 平成25年7月18日

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以下、天明の 神示の一節である。

ここでは、

額に在る目(古代インドから言われる第三の眼)

真実を把握すること、

真理には第一義的と 

第二義的真理があるという。

第二義的真理とは

五感の制約を受けて 映像(reflect)

として映る真理をさす。

 

また、霊人も地上人の違い、

太陽が とてつもなく暗く感じる霊の存在、

だからといって、邪霊のようなものでなく、

悪い霊ではないことを強調している。

異次元の霊世界と呼んでもいいかもしれない。

 

霊能者の友人が、宇宙には 

プラスの気 と マイナスの気が

あることは知られているが、右回りの世界 と 

左回りの世界(気の流れも含めて)のことは、

だれも気が付いていない~と言っていた。

 

この世界での陰陽とは別の意味に、

もう一つ、我々の光りに対する

認識が全く異なる世界をさすという。

太陽が光の源である、我々の知っている宇宙、

しかし、その宇宙では太陽とは暗黒を示すという。

それと同様のことを、天明が述べているので、

私はとても印象的に読んだ。

また、歓喜の味わいについて書かれている。

文章はやや、抽象的だが、この6帖が 以下のような 

これまた、抽象的な絵文字から読解されたとすると、

そちらの方が、より、興味がもてそうだ。

 

霊界人は、その向いている方向が北である

しかし、地上人の言う北ではなく、

中心(*1)という意味である。

中心は、歓喜の中の歓喜である。

それを基として、前後、左右、上下そのほかに、

無限立法方向(*2)が定まっているのである。


霊界人は地上人がみて、いずれの方向に

向かっていようと その向かっている方向が中心(*3)

であることを理解しなければならない。

 

ゆえに、霊人たちは常に前方から光を受け、

歓喜を与えられているのである。

それは絶えざる愛であり、真理と受け取られ、

それを得ることによって、

霊人たちは成長し、生命しているのである。

要するに、それは霊人たちの呼吸と

脈拍の根本をなす(*4)ものである。

地上人からみて、その霊人たちが

各々異なった方向に向かっていようとも、

同じく、それぞれの中心歓喜にむかって、

座し、向かって進んでいる。

 

上下、左右、前後に折り重なっていると見えても、

それは、決して、地上人の在り方のごとく、

霊人たちには傷害とならない。

各々が独立していて、他からの障害を受けない。

しかし、その霊人たちは極めて、密接な関係

におかれていて、全然別な存在ではない。

各自の眼前に、それ相応の光があり、

太陽があり、歓喜がある。


それは、霊人たちが目で見るものではなく、

額で感じ、受け入れるものであるが、(*5)

 

その場合の額は、身体全体を集約した額である。

地上人においても、その内的真実のものは額でのみ、

えるものであって、目に見え、目にうつる

ものは、地上的約束下に置かれ、映像された

第二義的なものである。

 

映像として真実であるが、第一義的真理ではない。(*6)

ゆえに、地上人の肉眼に映じたままのものが、

霊界に存在するのではない。(*7)

 

内質においては、同一であるが、顕れ方や、

位置においては、相違する。

ゆえに、霊界人が現実界を理解するに苦しみ、

地上人は霊界を十分に感得しえないのである。

 

霊人の中では 太陽をもっとも暗きもの(*8)

と感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長して

いるという。

地上人には、理解するに困難なことが多い。

要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、

かつ、受け入れて生活しているので

あるが、そこにもそれ相当な歓喜があり、

真実があり、生活がある。

歓喜の受け入れ方やその厚薄の相違はあるが、

歓喜することに於いては、同様である。

 

歓喜すればこそ、彼の霊人たちは太陽に背を向け、

光を光として感得しえず、闇を光として感得して

いることを知らねばならぬ。

この霊人たちを邪霊とよび、邪鬼といい、

かかる霊人の住むところを地獄なりと

多くの地上人は呼びかつ感じ、考えるのである。

 

しかし、それは本質的に、地獄ではなく邪神、

邪霊でもない。

霊界に置いては、思念の相違するものは、

同一の場所には存在しない。

なぜならば、思念による思念の世界につながる

故である。

現実的にみては折り重なって、この霊人たち

が生活するとも,全然その感覚外におかれる

ために、その対象とはならない。

 

地上人においても、原則としては、同様であるが、

地上的、物理的拘束のもとにあるため、

この二者が 絶えず交叉混交する。

交叉混交はしても、同一方向には向かっていない。

そこに地上人としての霊人にあたえられていない

特別の道があり、別の使命があり、

別の自由が生じてくるのである。”

 

以上であるが *印の注釈に関してと、

次の話題は明日に譲らせていただきたい。

 

 

 

*出典 ”ひふみ神示” 2011年 

岡本天明著 太陽出版 

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岡本天明氏について

1897年(明治30年)12月4日 - 1963年(昭和38年)4月7日

画家神道家、また、神典研究家である。

岡山県倉敷市玉島出身。

本名は信之、天明は「雅号」である。

信之は1944年(昭和19年)に

千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の

麻賀多神社末社である天之日津久神社を参拝する。

その直後、同神社の社務所で『日月神示

(別名:『ひふみ神示』、『一二三神示』)を自動書記する。

この自動書記現象は約17年間にわたって続き

後に全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられた。

なお書かれた文体は漢数字とカナ文字と記号などからなり、

書記した 天明自身、当初はまったく読めなかったといわれる。

(以上 ウィキぺディアより抜粋)

 

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