ヨギの取るべき食餌~食事だけに限らないという話 2021年3月8日
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前書き)
ヨガの大元とは、ヨガ理論の基本という意味で、そこには
ヴェーダ哲学の不二一論説がある。
ヨガの語源はユージュナーというサンスクリット語で、
これは本来の自分の中にある神と、身体を持った
自分の意識を結びつけるというところから来ている。
インド古代からはヨガの熟練者をヨギと呼び、彼らは
その意味で、神と一体化する修行を積み、これが
今言うところのヨガとなっている。
様々な身体のポーズをとるハタヨガが健康的体操のよう
に人気を博しているが
色々な種類のヨガがあり、今、ここで皆様がこうしたものを
読んでいらっしゃるのも、ギャーナヨガと呼ばれる
真理知識を吸収するという、ヨガの行法の一つである。
自然治癒力が私の協会の主眼だがそのために、この知識が不可欠だ。
その理由は、ヨガの根底に流れる考え方が、私たちの意識を
生命力につなげることができるからだ。
そこで回数を何度かわけて皆様に16年のインド生活と13年の
大学院での研究生活の成果として、ヨガのイロハ
をお伝えしている。
その意味は、大きい。なぜなら、自己セラピーをするときに、
こうした知識があるかないか、
最終的に気合いを身体に流す時に大きな分かれ目を味わうことがある。
つまり、自分の生命力にゆだねられるか否か、の、その瀬戸際で、
人は最終的に信じてきた方向に向くものだからだ。
もちろん、現代医療に異議をとなえているからではないが、
自分の生命力を信じられれば,国民の薬代は大きく減る事だろう。
自分の生命力を信じられるということはどういうことか?
それは”生命力”は、自分の持ち物ではなく、神様といわれる
宇宙の大きな叡智からお借りしているものであると知ることだ。
そして、そのためには、この身体は夢のように儚いもので、
それを生かしている生命力とは全く
次元の異なることを知るということでもある。
言い変えれば、不二一元説という理論、これは難しい学説
ではなく、ごくシンプルに自分という本当の霊的存在は、
スピリチュアル的存在、あるいは、魂は、不滅のものである、
というものである。
それを知るということは、本当の自分は宇宙の実存的(変わらない)
存在、あるいは、神(完全調和態)から派生しているものだと
目を覚ますことにある。
もちろん、目を覚ますということは容易ではない。
頭でわかっていても目を覚ますことにはつながらない。
それは言い換えれば俗に言う、悟りを開くとか、大悟すること、
または、解脱することだから。
人は言い換えれば、そのために、何憶年かけて生物として
誕生した時代から、変わらない魂を持ちながら、
その魂の本質(ゴール)に,いきつくゲームを(神からの視点でいえば)
終わらせるために、何度も生まれ変わってきているともいえるだろう。
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先回は身体を正しく用い、善い想念を持ち、善い行為をして、
善い結果を収穫するお話しだった。
今日は食事の規制について。
純粋な食事をサンスクリット語でサットワ的な食べ物と呼ぶ。
ヨギ(ヨガの達人)や僧侶、修行中の人は
決して動物食は口にしない。その意味はこうである。
私たちの想念は食べ物の種類によって決められると考えるからだ。
たとえば、燻製を造るとき、薪にどの種類の木を使うかによって、
火も煙も変わってくるようなものだ。
インドではサンダルウッド(白檀や紫檀)は香りも貴重で
最高級の木材だが、これを燃やせばお香となる。
中には燃やすと悪臭を漂わす木もある。
燻製を造るのにはそれにふさわしい木材を使うのと同様、
食物もそれによって想念の種類が変わって
くるから、ヨガをする人はそれにふさわしい食べ物をとる
ことが要求される。
避けなければならないものは、食べて体内で毒ガスが溜るもの、
血液が清浄になるもの、脂肪がたまり
血管が収縮するもの、そして頭に浮かぶ想いが良い思想を産むもの
・・・などで、サイババ師は講義ではっきりと、
”わたし達の思想は自分が食べる種類の食物の結果です。”と教えた。
ヨガの目的は?
神との合一である。神との合一とは、具体的には心の安寧、
心身の調和、老齢の超越、新陳代謝や
免疫システムの活性化・若返りなどをさす。
先回のお話しにあったように、この身体はマンディールと呼ばれ、
神聖な社(やしろ)でもある。
でああるのならば、二つの食品はまず避けなければならないだろう。
誰もお宮の中で酩酊状態になるまでアルコールを口にする人はいないのと
同様、お酒はほどほどにということ。
もう一つは、お宮の中で異常に感情を高ぶらせる人は
外に放り出されるのと同様、激情を燃え立たせる(ラジャス的)
食品は避けるべきだということになる。
肉類は肉食系男子という形容詞に使われるように、
エネルギッシュで活動的なイメージを与えるとおり、
激情を燃え立たせる食材である。だから、ヨギは菜食主義者となる。
以前ブログでも書いたように、万物には三つのグナ(性質)がある。
サットワ、ラジャス、タマスの三要素だ。
これはすべての物に人に状況に適応されるグナなのだが、
食べ物にも当然この三つの種分けが可能だ。
サットワ的な食べ物とは、バランスのとれた心つくり、
激情を押さえ、穏やかにさせるもので、木の実、乳製品、果物、
野菜、全粒粉の小麦粉や米などがあげられる。
ところが、サイババ師はこのような食材、口で消費するものだけが
身体に入る食物ではないという。
身体に入る食物~エネルギーとしては、眼や耳、鼻や手などの
感覚器官からも外界からの物体を消費するからだ。
すべてこうした五感の器官から入ってくる情報がサットワ的で
あることが真の意味で、心を清め安らかにするとサイババ師は教える。
たとえば、耳。
耳も純粋な食べ物を必要としている。それは何を指しているかと
いえば、耳は”神聖な言葉と神に関係する話を中心に耳を傾け、
噂話や悪口、マイナスの言葉に耳を傾けて、汚された情報を入れない
ように選択して耳を守ることが大切だという。
その上で口でサットワ的な食べ物を体内に消化させたとき、
真の意味でそれを消費したといえる。
鼻の器官を例にとれば、鼻を通して、決して毒ガスのごとき
汚染された空気の匂いを体内に入れるべきではなく、清浄で
新鮮な空気を入れることに注意しなさいということになる。
もし、本当の悟りを開くヨギ(パラアートマ~至高の魂)
に達したければ、5つの汚染に心すれば可能だとスワミは教えた。
その5つとは、言葉、見るもの、聴くもの、思想、行動である。
食物だけサットワ的な食べ物に注意していても、諸感覚で
こうした純粋でないものを取り入れていることをゆるしていれば、
結局、身体が清まることはできず、想念思考も至高の高みに
いたることができないと、言う。
スワミは身体を寺にたとえたが、五感の器官をその寺の門に
なぞらえて、私たちに説明してくれた。
寺の門を入れるものは、その寺の神を礼拝するために来たものか
帰依者に限られるというのだ。
身体も同様、5つの門があり、それが身体に備わった五感の扉
と言った。
五感の扉を開けて中にいれるべき対象は神聖であるものや考えで、
そうでないものを無差別にいれていては身体は神聖な寺院では
なくなると注意した。
さて、次に"ヴィハーラ”の問題を考慮しなければならないと教えた。
ヴィハーラとは場所や人、物などに関連する活動を意味している。
どんな場所に行くか、どんな種類の環境を作るかどんな種類の人たち
と付き合うか、ということだ。
ここで興味深い例をスワミは出した。それは”怒り”を制御するため
に森や人里離れた僻地に籠り、
修行や瞑想三昧にふける苦行者への提言だった。
ヴィハーラが大切なあまり、人間同志の付き合いを避け、
神を想うための瞑想の場所を見つけ、家族も捨てて孤独の生活
に入る苦行者は当時のインドでも決して少なくなかった。
すると、そのような純粋なサットヴァ的な生活をしていた
修行者にスワミは次のような質問をした。
”あなたは森の中に隠遁して難行苦行をしているようだが、
それで心の弱い要素、怒りや憎しみ、
などを征服することができると考えていますか?”
さらに、こう続けた。
”怒りや憎しみは人々といる時に起こるものであるのなら、
それを征服するのは同じ環境においてするのが妥当ではないですか?
なぜなら、森の中の孤独な生活では確かに静けさを保って
いられるが、いったん、群衆の中にもどれば、
前と同じ怒りが湧いてくるのは必然でしょう。
自分の諸感覚をコントロールしたいと思うのなら、
宗教的苦行でそれができると想像するのは錯覚にすぎない。
身体の微妙な働きかたを理解しなさい。
そうすれば簡単にあなたの目的は達成できる。”
私たちが巻き込まれる厄介な人間関係や問題というのは、
人間が自分の身体を正しく用いる術を知らないからだというのだ。
それは新車を買っても、新車の装備の働きを知らなければ、車を
動かすことができないのと同様だ。
さて、ここで又、食餌の話に戻る。こうして身体を正しく使う
ことを知らないということは、冒頭に述べたような毒ガス
を出すような食べ物を毎日数回、身体の中に投げ捨てていれば、
どのようになるかということだ。
どうして、身体が毎日、不浄な食べ物を食べ続けていても、
人はそう簡単に病気にならないでいるのか?
それは、身体の中にはチャイタニアと呼ばれる’意識’が
働いているからである。
それでは次回はこのチャイタニアと呼ばれる身体の意識と身体を
活動させているアートマの働き、スワミの言う身体を正しく
使うための、ヴェーダで教える身体の機能について、お
話しを続けさせていただきたい。
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