自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヨガのイロハの教えと般若心経エッセンス

2021年03月05日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

不二一元論の凝縮したお経が般若心経        2021年3月5日

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前書き)

ヨガの大元とは、ヨガ理論の基本という意味で、そこには

ヴェーダ哲学の不二一論(ふじいちげん)説がある。

ヨガの語源はユージュナーというサンスクリット語で、

これは本来の自分の中にある神と、身体を持った

自分の意識を結びつけるというところから来ている。

インド古代からはヨガの熟練者をヨギと呼び、彼らはその意味で、

神と一体化する修行を積み、これが今言うところのヨガの源流

となっている。

様々な身体のポーズをとるハタヨガが、健康的体操のように

人気を博しているが、色々な種類のヨガがあり、

今、ここで皆様がこうしたものを読んでいらっしゃるのも、

ギャーナヨガと呼ばれる真理知識を吸収するという、

ヨガの行法の一つである。

同時に、この考え方は、自己セラピーの大きな決め手に

なるだろう

自己セラピーで大切なことは ”自分の内なる力で治せる”と

いう自信だ。

自信は、理屈ではなく、腹から納得して確信できる感覚である。

それを、言葉に表すと、”一元論の理論”の考え方とも言えそうだ


症状があるとき症状を無くそうとする。

それが回復させるとき、その回復を自分の生命力にゆだねられるか否か? 

どこまでゆだねられるか? 

自己の生命力を信じられると、薬で症状を抑える前に、その症状を

出し切ることが、むしろ、好転の手段だと、感じるだろう。

自然治癒に任せる場合、症状はカタルシスの役目を持っていると

身体が知っているからだ。

カタルシスとは、浄化作用でもある。

そのあらわれとしては、身体の随所が中から赤くはれ上がったり、

そこから、ドロっとした血膿みが出たり、場合によっては熱が上がったり、

水がたまっているように足首や関節が腫れるたり、

痛みが増したり、下痢をしたり、咳が激しく出たり、吐いたり、などなど

私自身が体験してきたカタルシスを語っても、まだ、足りないほどだ。(*1)

自分の生命力を信じられるということはどういうことか? 

それは”生命力”は、自分の持ち物ではなく、神様といわれる

宇宙の大きな叡智からお借りしているものであると認識からはじまる

さらに、この身体は夢のように儚いもので、生命力は、この身体とは

別物の、身体を使いこなしている次元の異なることを知ると

いうことでもある。

ごくシンプルに、自分という本当の霊的存在は、スピリチュアル的存在、

あるいは、魂は、不滅のものである、と、自覚することが、生命力の

理解につながるだろう。 

人はそのために、何憶年かけて、生物として誕生した時代から、

変わらない自己アイデンティティーの魂を持ちながら、

その魂の本質(ゴール)にいきつくゲームを(神からの視点でいえば)

何度も生まれ変わりを繰り返して、楽しんでいるともいえるだろう。

 

そして今日お伝えする般若心経は、このヨガの基本哲学のエッセンスが

凝縮されていると思う。

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般 若 心 経 口 語 訳 

 

仏説 摩訶般若波羅蜜多心経(ぶっせつ まかはんにゃ はらみたしんぎょう)

意味)

仏さまが菩薩(真理の求道者)のために~(*1) 

彼岸(あの世=転じて悟りの世界)

にいたるための大いなる智慧を説いた御経

*1) 菩薩=ボーディサットヴァ(原語)

=真理・安寧を求め修行する人たち(意訳) 

 

1・観自在菩薩* 行深 般若波羅蜜多時 照見 五蘊 皆 空 度 

一切 苦厄、舎利子、

 菩薩=ボーディサットヴァ(原語)

=真理・安寧を求め修行する人たち(意訳)

自らの内に存って在る(自在)(=自己の本性、本源、仏性)を

内観して[本来ここは、観世音菩薩と訳しているようです)

悟りに至る、至上の教えの 深い行をなしたとき、

すべての現象世界に知覚できる

あらゆるもの=五蘊(色・受・想・行・識)は 

空(くう)であることを悟り、現世の苦しみ一切から放たれ 

自由になることができた。

 だから、シャリシ(弟子の名前、呼びかけ)…次の行へ。

 

2・色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是、舎利子、

意味)

物質は空(くう)と異なることなく、

空(くう)は 物質と 異ならない。 

この世に形あるもの=色(しき)の本質は、

空(くう)である。 

空(くう)が(現象界に)形あるものとして現れている。 

想いや行動、識別なども これらもまた(空(くう)*1)

そうであって空が本来の姿なのだ。

(*空については下記に説明してます) 

だからシャリシ(弟子の名前)よ、・・・ (次の行へ)

 3・是諸法 空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故 空中 無色 

無受想行識 無眼耳鼻舌身意

意味)

法(真理)は、空そのもの、それは、本来の実相(本来の実存)

であり、生まれたり、滅したり、汚い・清い、増える・減る

とかいう(この世のすべてに当てはまる)二元性

(たとえば、陰と陽、プラスとマイナスなどの相反する姿)はない。、

空の中(*2下記に説明してます)とは、現象世界・つまり、

物質や 感覚器官で受ける感覚、感覚から派生する想い、

想いから派生する行動、行動から派生する

認識(これらすべて合わせて受・想・行・識という) 

は、空の中である現象界に存在しているように見えているだけで、

実存性(永劫不滅)はなく、一時的な現れだ。

 現象世界(この世=空が質量を持って物質として表現されている、

三次元の現象界)には、それを受け止める感覚器官である、

眼や耳・鼻・舌・意識などがあるが、それらも一時的で永遠に

変わらない”実存”ではない。

 4.無色聲香味蝕法 無眼界 乃至 無意識界 無無明 亦 無無明尽 

乃至 無老死 亦 無老死尽 

意味)五感(前に述べた目や耳、鼻、舌、意識をさす)器官が”

無い”という意味は、その器官によって認識できる、

物質や聞いたり、嗅いだり、味わったり触れて感じる感覚も

確かなものではない。

目で見えている現象界でもそうだし、意識界で感じていることも、

実質はない。

無明 (明るくないつまり意訳して悟っていないこと)は

実存していない(ということは、わたしたちの魂では

もう悟っている)のだから、無明を滅しようとするのは本来ない。 

同様に、死も老いる事も有るかのごとく見えているだけなのだから

(死んだら魂だけの老化も病もない姿にもどる)

老いや死を超越すること本来もない。

 5・無苦集滅度 無智 亦無得 以 無所得 故 菩提薩埵 依 

般若波羅蜜多 故 心 無罣礙 無罣礙 

(意味)苦しみや迷いは本来、無い。

現世の知恵は本当の智慧ではないから、その知恵で真理を

得れるかと言えば、得ることはできない。

だから、菩提薩埵(菩薩のこと)~サンスクリット語では

ボーディサットヴァで意味は、修行して心の安寧・

真理を求める人は、バンニャー(般若)の智慧

(=人間の知恵を超えた真理に至るための智慧)を

良く理解することで 心に解脱して何も捕らわれるものが無くなる。

 6・故 無有恐怖遠離一切顛倒夢想、 究境 涅槃 三世 諸仏 依 

般若波羅蜜多 故 得阿耨多羅 三藐三菩提

(意味)(真理の智慧を知れば、現象世界に捕らがなくなる)ゆえに、

恐怖から遠く離れ、価値観がさかさまの、夢のような一切の想念から

放たれる。

この般若(バンニャー)の教えによって、三世にわたって、菩薩は

阿耨多羅三藐三菩提=アヌッタラー・サムヤック・サンボーディー

(梵語原語)=すべての人が平等に到達できる至高の悟り(意訳)

を得ることができるのだよ。

 7・ 故知 般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 

是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故 説 般若波羅蜜多 呪 即説呪曰 

(意味)

その般若の智慧を顕わした、この真言=般若波羅心経に書かれている

真理=ほど、偉大な真言はなく真理を明らかにした真言もなく,

他にこれ以上の真言はなく、これに等しい真言もない。

すべての苦しみを 取り除くことができ、真理を説き、虚はなく、

それゆえに般若波羅蜜多=バンニャーバラミーター

=(浄土へ悟りとともに到達できる智慧)を説きあかしたのだ。

その心経を要約した真言(マントラ)とは、以下だ。

 

8・掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆詞 般若心経

(ギャテイギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボジソワカ)

日本語漢字訳音読み発音

ガテガテバラガテ バラサムガーテ ボディ・スワァハ)~

インドのお釈迦様の時代に唱えられていた発音(梵語)

 

最後のこの 神呪=マントラ(真言)は、意味をあえて訳しません。

それは、この言葉の波動そのものに意味があるとされ、この波動が、

般若心経の教えをすべて含んでいるということだからです。

この 最後の2行のマントラの意味を説明した真理が、

600巻の般若経のエッセンス、般若心経 という御経で 意味を

解説され、最期のマントラをもって、結ばれます。

 

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(注)空(くう)とは何ぞや!

*1 空 とは何も無い事でも、状況次第で変わる現実の本質でもなく、

無ではもちろんありません。

皆様にご想像していただきたいのは、図形の円です。正しく円を

描くためには中心がぶれないことが大切ですね、

コンパスを使います。

そのとき、その針が刺さる中心に位置する、それが空の点です。 

ここでは、時間と空間を超越してます。なぜなら、そこはエネルギー

の塊りの点で、プラスとマイナスの電気や、タオ思想にあるような

陰陽の力が全く均等に押し合いへし合いしている、

動 にして均衡が保たれている静の極致と言えるでしょう。

時空を超越しているのはまだ人の想、念、識がないため物質世界とは

一線を画しているからです。

少し言葉が飛びますが、もし、皆さんが今生きている時のこの身体が

必要になくなったとき、つまり、死んだときは、時空を超えた体験を

きっとなさるでしょう。

 

さて、この中心点がなければ、円は存在しないと同時に、

すべての現象界に存在するものもまだ、表現されていいない

ところです。

現実に生きている現象界の本質のみがここにはあるわけで、

それが開かれたとき、展開して、色、五蘊(ごうん)~受、想、行、識

(般若心経上記の説明ご参照)が出てきます。

この点は 死も老もなく、すべて凝縮されて展開を待つのみですから、

ある意味”智慧”の光で満たされていると言えましょう。。 

また、生まれたり、滅亡したりという 二元的価値観は存在しない

次元です。 

それを、一元論の次元と呼んでいるわけで、これが今、書き記している

ベーダ哲学の説く、アドヴァイタ哲学に相当する考え方です。

(空の意味する、”真善美”の完全世界のみが本当の実在しているものとする)

 

*2 ですので、”空中”の意味は、”現象世界”のことでもあります。

円の中に直径を2本、90度の角度でひくと そこにクロスされた縦線、

横線の意味とは何でしょう?

縦線は時間で横線は距離が、そして時間と距離があれば空間ができて

きます。

つまり今生きている現象世界です。 

この、現象世界は、空という中心点から派生した時間と空間が

できた現象界です。

それを、空の中 と私はここで、定義しました。

 

* 1・観自在菩薩 行深・・の部分は、すべての解説書には

観世音菩薩がという訳になっています。

この教えはもし、太古のインドから伝わるベーダ聖典の

アドヴァイタ思想(不二一元説)が基になっているとしたら、

観世音菩薩はインドには存在していませんので、お釈迦様が

観世音菩薩が云々と説くはずがないので、これは観自在の菩薩

というもともと、菩薩という漢字がボーディ―サットヴァと

いうサンスクリット語の漢字当てしたものなので、

それを基本に考えました。

つまり菩薩とは真理を探究する求道者ですので、その修行者が

自分の内に在る空を観る観想の修行をしたときと解釈しました。

 

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