トマス・ハリス著 新潮文庫より 彼の4作目になる ハンニバル・ライジングが出版された。
これは、「羊たちの沈黙」 「ハンニバル」と続くレクター博士ものの三作目。ここで彼の出自や少年時の悲劇、つまり すべての家族を第二次世界大戦中に失い、心に深い傷を負った経緯。その後 叔父夫婦にひきとられ、日本人である叔母から彼の美意識の根幹となる影響を受け、医学教育を受けながら自分の失われた記憶を呼び覚まし、妹を殺した者たちへの復習をとげるといった青年時が描かれている。
前二作があまりにも強烈だった上、今度の本はそうボリュームもないので幾分さらりと読めてしまった感があって 今ひとつインパクトに欠けるような気がしないでもないのですが、さすがはトマス・ハリス、もちろん最後まで飽きさせずに読ませてくれはする。
ストーリー展開も標準以上なんだけど 今度で面白かったのは 叔母 「紫夫人」の存在である。日本からきたフランス大使の娘でハンニバルの叔父にあたるレクター伯爵の夫人となったという存在で、彼女が青年時代のハンニバルに 日本語を教え、書、水墨画、琵琶などの邦楽器、あげく 与謝野晶子の短歌や源氏物語などの日本文学までレクチャーしているという設定である。
それらはまた間違ってはいないんだけど やっぱり外人から見た日本文化って言うところも垣間見られ、本を読みながらついニヤニヤしてしまう部分もあった。
紫夫人が文に小枝をつけて送るところなど 夕顔(源氏の)かい?などと・・・ だいたいハンニバルの叔母設定とするなら昭和一桁生まれ?いくらなんでもそこまで古典的なワザはしないだろ とか。紫夫人を侮辱された青年時のハンニバルが肉屋に復讐する時に手にした琵琶が べん と鳴るとか・・・ 古典的なチャンバラ映画の演出みたいで面白かった。
トマス・ハリス自身も 紫夫人と言うのは 世界最初の偉大な長編小説源氏物語の作者紫式部に由来し、彼女とハンニバルの別れは源氏物語にその雛形があると言及している。血はつながってないにせよ、叔母と甥という禁じられた間柄に生まれた愛情と別れは、源氏の義母だった藤壺と源氏の禁じられた関係と、それを断ち切って出家していった藤壺の潔さなのかしらとか想像は広がる。
私が以前(2006年6月9日)に源氏物語の講義を受けて書いたブログからもう一度引用してしまうけれど 私が師事している源氏の先生があげたサイデンステッカー氏の一文。欧米人インテリの中でどれほど源氏物語が読まれているかということで上げられた文章である。
ーー殆ど誰でも知っていながら 殆ど誰も読んだことがなく (中略) 生きた文学として読まれることのこれほど少ない作家というのは、ほかに類例がないのではあるまいか。
だが欧米では、なるほど翻訳を通じてではあるにしても、「源氏」は生きて読まれている。日本ほど恐れをなして敬遠されてもいないし、偉大であっても手の届かない古典として祀り上げられてもいない。
そこで私は、日本人読者に申し上げたい気がするのである。紫式部(レディムラサキ)は今ではあなたがた日本人のものというより、むしろ我々欧米人のものとなりかかっているのではないかと。ーー
エドワード・サイデンステッカー(米)
東大で日本文学専攻・元コロンビア大学教授
なるほどね~ こんな感じでトマス・ハリスも源氏物語っていうのを親しいものとしているんだなあって意味でこの時の講義が改めて納得できた。
映画はG.W.に公開されるらしい。これは見なくちゃだと思った。
これは、「羊たちの沈黙」 「ハンニバル」と続くレクター博士ものの三作目。ここで彼の出自や少年時の悲劇、つまり すべての家族を第二次世界大戦中に失い、心に深い傷を負った経緯。その後 叔父夫婦にひきとられ、日本人である叔母から彼の美意識の根幹となる影響を受け、医学教育を受けながら自分の失われた記憶を呼び覚まし、妹を殺した者たちへの復習をとげるといった青年時が描かれている。
前二作があまりにも強烈だった上、今度の本はそうボリュームもないので幾分さらりと読めてしまった感があって 今ひとつインパクトに欠けるような気がしないでもないのですが、さすがはトマス・ハリス、もちろん最後まで飽きさせずに読ませてくれはする。
ストーリー展開も標準以上なんだけど 今度で面白かったのは 叔母 「紫夫人」の存在である。日本からきたフランス大使の娘でハンニバルの叔父にあたるレクター伯爵の夫人となったという存在で、彼女が青年時代のハンニバルに 日本語を教え、書、水墨画、琵琶などの邦楽器、あげく 与謝野晶子の短歌や源氏物語などの日本文学までレクチャーしているという設定である。
それらはまた間違ってはいないんだけど やっぱり外人から見た日本文化って言うところも垣間見られ、本を読みながらついニヤニヤしてしまう部分もあった。
紫夫人が文に小枝をつけて送るところなど 夕顔(源氏の)かい?などと・・・ だいたいハンニバルの叔母設定とするなら昭和一桁生まれ?いくらなんでもそこまで古典的なワザはしないだろ とか。紫夫人を侮辱された青年時のハンニバルが肉屋に復讐する時に手にした琵琶が べん と鳴るとか・・・ 古典的なチャンバラ映画の演出みたいで面白かった。
トマス・ハリス自身も 紫夫人と言うのは 世界最初の偉大な長編小説源氏物語の作者紫式部に由来し、彼女とハンニバルの別れは源氏物語にその雛形があると言及している。血はつながってないにせよ、叔母と甥という禁じられた間柄に生まれた愛情と別れは、源氏の義母だった藤壺と源氏の禁じられた関係と、それを断ち切って出家していった藤壺の潔さなのかしらとか想像は広がる。
私が以前(2006年6月9日)に源氏物語の講義を受けて書いたブログからもう一度引用してしまうけれど 私が師事している源氏の先生があげたサイデンステッカー氏の一文。欧米人インテリの中でどれほど源氏物語が読まれているかということで上げられた文章である。
ーー殆ど誰でも知っていながら 殆ど誰も読んだことがなく (中略) 生きた文学として読まれることのこれほど少ない作家というのは、ほかに類例がないのではあるまいか。
だが欧米では、なるほど翻訳を通じてではあるにしても、「源氏」は生きて読まれている。日本ほど恐れをなして敬遠されてもいないし、偉大であっても手の届かない古典として祀り上げられてもいない。
そこで私は、日本人読者に申し上げたい気がするのである。紫式部(レディムラサキ)は今ではあなたがた日本人のものというより、むしろ我々欧米人のものとなりかかっているのではないかと。ーー
エドワード・サイデンステッカー(米)
東大で日本文学専攻・元コロンビア大学教授
なるほどね~ こんな感じでトマス・ハリスも源氏物語っていうのを親しいものとしているんだなあって意味でこの時の講義が改めて納得できた。
映画はG.W.に公開されるらしい。これは見なくちゃだと思った。