局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

今年の牡丹

2007-04-22 16:55:10 | 記憶の箱
実家から自宅に戻った。
おととい急に気分が悪くなり、血圧も急上昇して知り合いの病院に駆け込んだ母だったが 昨日の朝一で MRI 心電図 血液検査などをしていただき すぐに結果も出てその段階では脳内も 心臓も 生化学的にも何も異常がないことが判明 ここ一週間で動きすぎによる疲れが出たのじゃないかという結論に達した。
おとといの夜間に飛び込んで 次の日の午前中 そこまでの検査と診断をしてもらえてひとまず安心できたのはよかったし、一晩安定剤を飲んでしっかり寝たらだいぶ母も調子が戻ったようだったけど・・・

一週間様子を見て、またいくつかの検査をすることになったが、母に「何か忙しいことしたの?」と尋ねて判明したこと。
父や自分の友人たちの何組かを招いて 牡丹を見る会を催したらしい。

確かに実家の庭の牡丹は綺麗だ。

 

犬も喜び庭駆け回っておりまする




父の仕事の関係のご夫婦、自分の仕舞や謡のおけいこの友達オババ その方々を招いて お弁当をとってお昼を一緒に食べたり、和菓子とお茶を出しておしゃべりしたりと忙しい社交の一週間を過ごしていたらしい。その上私も行って遅くまでしゃべったり買い物をしたりしていたから、気づかないうちにかなり無理をしてしまっていたのだろう。

ちなみに家の中も牡丹でしつらえてあった

客間の床の間の掛け軸も牡丹



玄関の違い棚の花あしらいも牡丹



なぜ、こんなことを細々アップしたかと言えば、今回のことで私はやっぱり危機感を覚えたからだ。こういう風景、こういうしつらえ。私は東京に嫁に来て、かなりコンパクトで気軽な暮らしをしている一方、ふるさとの育った家には 大事にしておきたい自分の原点となっている風景を保持している。それはとてもいい所取りであること、このような状況がいつまでもあるとは限らないことというのが、今回の母のことで現実に突きつけられたこと、それが危機感である。
いつまでも変化しないで欲しいと思っても、人も物も変わってしまうのが世の常だと思う。こういう庭と家のしつらえを もう年取った父母だけにまかせて 自分の都合のいいときにだけそれを味わいにくるというのが もうそろそろ限界かもしれない。残しておきたいのなら私自らが残せる努力をしなければならないのだろう。
ただ、60年の時を経た日本家屋と手入れを必要とする庭を今後維持する力を私と弟で持っているかはとっても不安。私には地理的な条件もあるし。二人の配偶者の意見もあるから私達兄弟だけでは決められないとも思う。
それに、まだ元気でいる両親があって、病気になったらとか ましてや 亡くなった後の事とかできれば考えたくないし、そういった仮定のもとで彼らの前で話をすすめるのもなんとなく控えてしまって 後回し後回しにしてしまう。

だから 今年の牡丹は今年の牡丹で私の中で大事にしておきたい。両親ができるだけ元気で、ここがいつまでも変わらず私を迎えてくれることを願いながら。
コメント (4)
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