昨夜は友人の父上のお通夜に出かけた。
Nと一緒に開始時間の10分前くらいに会場に入ってコートを預けようとウロウロしていたところ、すっとんきょうな声で
「おっ N! 局! わざわざ来てくれたんか 悪かったな 遠いのに」といきなりAの声。
彼が気落ちしてるかと思っていたがなんだか拍子抜けしてしまった。
焼香がすんで帰ろうとしていたら、 Aがわざわざ親族の列を抜けて
「急がないなら お清めしてってくれよ。俺んちの親戚だからみんな気の置けないのばかりだからよ。気にせず残ってくれ」と言うので、Nと二人ちょっと残ることにした。
お父さんは10年前 胃がんのオペをしてそれは成功したそうだが、5年前に大腸がん、それも克服されたが 去年すい臓がんになって それから黄疸が出て、だんだんと衰弱されて亡くなったそうだ。
ただ、亡くなった時は 医師である長男の自宅にいて身のまわりの事は自分でしながら、急変して病院に運ばれて1日で静かに亡くなったそうだ。
だから家族も本人もはある程度覚悟もできていたし、85歳といった年齢もあり、大往生といった認識なのか、あまり遺族にも悲壮感もない感じだった。
親戚のおばさんたちも、Aの三兄妹の子どもたち(高校~大学生)が大きくなっただの その中の一人の女の子が 今年薬学部に合格したのを聞いて 「OOちゃん、おめでとう。あら、こんな席でおめでとうもないわね~~」なんて口を押さえているような感じだった。
と言うか、このあっさり感とじめじめしてないのは Aの一族独特なものなのだろうか・・・
まあ Aのお父様もAはともかく 三人の子どもとそれぞれ二人ずつの出来のいい孫に囲まれて そう周りに世話をかけることなく静かに逝って、傍目からみると幸せな一生であったのではないだろうか。あやかりたいものであります。
そして 今日、息子と私の父と三人で東京に戻ってきた。
前にも書いたが、息子が父に靖国神社を案内することになっていたからである。
父の次兄はフィリピンで戦死して遺骨も帰っていなかった。
父は前から一度お参りしなくちゃな~と行っていたからだった。
本殿にお参りして、遊就館もゆっくり見られたと 父は満足そうだった。
そして今日の夕食 作る時間もなかったので近場で外食することにした。
隣の駅に インド人が作っているアジア料理の店があり、そこのカレーとナンがなかなかおいしい。父はカレーが好きなので そこで食べることにした。
週末だったので1階は満席で2階にどうぞと言われたが、上の階からすごくうるさい複数の子どもの声がしたので非常に嫌な予感がした。
二組の夫婦に子どもが5人。
この写メを撮る前、5人ともこの柵のようなところをジャングルジム代わりに上っていたんですよっ!
そしてそのガキが大声ではしゃいでサル山状態でもも知らん振りで酒を飲み続ける大人たち。
私が思い切り 迷惑! 軽蔑!のオーラ満載のガンを飛ばしまくったあげく やっと一人のおっかあが 「ほら 危ないから降りな」と注意した。
{危ないからじゃないだろ、人に迷惑だから、それにそこは上っちゃいけないところと 何故言わない・・・}と怒り倍増。
その後 DSかなんか始めてやっとガキは静かになったが、大人のしゃべり声のうるさいこと。声のコントロールができないって無教養の印だね。(なんとでも書いてやるわ、この際)
カレーもナンも本当においしかったが、あの両親とバカガキのおかげで消化が悪かった。
上海とか北京とか行くと こういううるさい子どもがたくさん居て、周りもホントにそういう子どもたちに優しいもんです。
私は上海のおしゃれなカフェで 幼稚園の年長くらいの男の子が紙ナプキンをあたりに遊びで投げ散らかしているのを見た。
ブランコカフェで下に敷いてある小石を投げ合っている 小学校低学年くらいのガキも見た。
周りの大人たちは注意もしやしない。大声で話しながら。
こういう方たちはかの国で暮らしていただきたいものであります。
Nと一緒に開始時間の10分前くらいに会場に入ってコートを預けようとウロウロしていたところ、すっとんきょうな声で
「おっ N! 局! わざわざ来てくれたんか 悪かったな 遠いのに」といきなりAの声。
彼が気落ちしてるかと思っていたがなんだか拍子抜けしてしまった。
焼香がすんで帰ろうとしていたら、 Aがわざわざ親族の列を抜けて
「急がないなら お清めしてってくれよ。俺んちの親戚だからみんな気の置けないのばかりだからよ。気にせず残ってくれ」と言うので、Nと二人ちょっと残ることにした。
お父さんは10年前 胃がんのオペをしてそれは成功したそうだが、5年前に大腸がん、それも克服されたが 去年すい臓がんになって それから黄疸が出て、だんだんと衰弱されて亡くなったそうだ。
ただ、亡くなった時は 医師である長男の自宅にいて身のまわりの事は自分でしながら、急変して病院に運ばれて1日で静かに亡くなったそうだ。
だから家族も本人もはある程度覚悟もできていたし、85歳といった年齢もあり、大往生といった認識なのか、あまり遺族にも悲壮感もない感じだった。
親戚のおばさんたちも、Aの三兄妹の子どもたち(高校~大学生)が大きくなっただの その中の一人の女の子が 今年薬学部に合格したのを聞いて 「OOちゃん、おめでとう。あら、こんな席でおめでとうもないわね~~」なんて口を押さえているような感じだった。
と言うか、このあっさり感とじめじめしてないのは Aの一族独特なものなのだろうか・・・
まあ Aのお父様もAはともかく 三人の子どもとそれぞれ二人ずつの出来のいい孫に囲まれて そう周りに世話をかけることなく静かに逝って、傍目からみると幸せな一生であったのではないだろうか。あやかりたいものであります。
そして 今日、息子と私の父と三人で東京に戻ってきた。
前にも書いたが、息子が父に靖国神社を案内することになっていたからである。
父の次兄はフィリピンで戦死して遺骨も帰っていなかった。
父は前から一度お参りしなくちゃな~と行っていたからだった。
本殿にお参りして、遊就館もゆっくり見られたと 父は満足そうだった。
そして今日の夕食 作る時間もなかったので近場で外食することにした。
隣の駅に インド人が作っているアジア料理の店があり、そこのカレーとナンがなかなかおいしい。父はカレーが好きなので そこで食べることにした。
週末だったので1階は満席で2階にどうぞと言われたが、上の階からすごくうるさい複数の子どもの声がしたので非常に嫌な予感がした。
二組の夫婦に子どもが5人。
この写メを撮る前、5人ともこの柵のようなところをジャングルジム代わりに上っていたんですよっ!
そしてそのガキが大声ではしゃいでサル山状態でもも知らん振りで酒を飲み続ける大人たち。
私が思い切り 迷惑! 軽蔑!のオーラ満載のガンを飛ばしまくったあげく やっと一人のおっかあが 「ほら 危ないから降りな」と注意した。
{危ないからじゃないだろ、人に迷惑だから、それにそこは上っちゃいけないところと 何故言わない・・・}と怒り倍増。
その後 DSかなんか始めてやっとガキは静かになったが、大人のしゃべり声のうるさいこと。声のコントロールができないって無教養の印だね。(なんとでも書いてやるわ、この際)
カレーもナンも本当においしかったが、あの両親とバカガキのおかげで消化が悪かった。
上海とか北京とか行くと こういううるさい子どもがたくさん居て、周りもホントにそういう子どもたちに優しいもんです。
私は上海のおしゃれなカフェで 幼稚園の年長くらいの男の子が紙ナプキンをあたりに遊びで投げ散らかしているのを見た。
ブランコカフェで下に敷いてある小石を投げ合っている 小学校低学年くらいのガキも見た。
周りの大人たちは注意もしやしない。大声で話しながら。
こういう方たちはかの国で暮らしていただきたいものであります。