さて リーズナブルなチャイニーズでお腹を満たしたあとで 私達三人はちょっと落ち着いたところでお茶を飲みながら今度はおしゃべり心を満たすことにした。
私はAと幼稚園の最終学年から高校まで同じ学校で学び、大学進学とともに東京に出てきた。それからなぜか住居や職場が近いとか 偶然に共通の知り合いがいるとか 不思議な縁で結ばれて 40年を超えてずっと連絡をとりあってきた一番古い友達だと思う。
しかし遡るとDとはもっと古い頃から知り合いだったのよね。
私の祖母がやはりDの祖母と女子師範の附属校(私の出身校の前身)で一緒だったらしく私は幼稚園に入るか入らないかの時に祖母に連れられてDの家に遊びに行った事が何回かあったのだ。
もうおっそろしく昔のことだから(笑)記憶も彼方だけどお父さんが開業していた医院の奥に大きな庭をへだてたお屋敷があり その頃は珍しかった毛の長い室内犬がいた(その当時は座敷犬といっていた)
一人っ子だったDはとてもおとなしくて口数が少ない少女で恥ずかしがり屋だったけど、祖母同士がおしゃべりに興じている間に私はDの部屋で一緒に本を読んだり人形で遊んだりしながら待っていた覚えがある。
Dは小学校で何回か同じクラスになったがその頃とまったく変わらないおとなしくて寡黙な少女で、「おっとり」とか「深窓のお嬢様」とかっていう言葉は彼女のためにあるようなヒトだった。
私はどっちかと言えばもっと活発な女の子集団にいたので小中時代はDと敢えて一緒には居なかったけど、昔の縁もあってかお誕生会とかには必ずDは招待してくれたことを覚えている。
高校から東京の学校に進学してしまったDちゃんのウワサはバッタリ途絶え、おばあちゃまはもちろんお母さんももう10年以上前に早世してしまわれたのでその後のDちゃんの話は 「歯医者になったらしい」「結婚したけど成田離婚したみたい」としか耳に入ってこなかった。
それほどDちゃんはおとなしくて自己主張しない子だったのよね。
そして5年前の同窓会でずっと出てこなかったDが同じテーブルに座り、その姿や佇まいの印象がまるで昔と変わっていなかったのでびっくりしてしまった。
名刺をもらったら都心で開業しているというので更にびっくりした。
以前と変わらない小さな声で静かなしゃべりかたと物腰 他人を雇って仕事をしている感じがまるでないんだもの。
その後何度か同窓生の集まりで顔を合わせたけど 相変わらずニコニコしてヒトの話を聴いてはいるが 自分から話をふることもなく 私も私であれこれ忙しいので特に個人的に話を深めることもなかったけど、こうやってAと三人で話をしてみてなんだか感慨深い気持ちになった。
細かいことは聞いていないが、結婚して離婚して開業、お母さんを亡くしなんて色々あったにもかかわらず今でも おっとりしたその苦労のようなものが一つも彼女に陰を落としてないように見られるところ、Dみたいなヒトってホントは強いんじゃないのかしらねえ・・・
「Dちゃん仕事忙しいの?」ってAがふったら
「ううん ヒマなの~ それに色々制度が変わって収入激減よ このままだとウチっってつぶれるかもしれないわ~」 と深刻な事態を話すのもあくまでもおっとりした口調だった。
私も歯科の保険点数が下がったり規制がきつくなったりしているのは興味を持っていたのであれこれ聞くと まじめに厚労省の指示通りに診療して保険請求をするととてもじゃないけどやっていけない事。
「なんだか歯科医って淘汰されてるみたいな気がするわ~」とため息をつきながらDちゃん。
「ホント厚労省ってバッカよね」と極端な局意見に対して初めて 「そうなのよ バカよね。 現場を知らないヒトが制度を作ってるとしか思えないもの・・・」とその時は真顔で答えたけど、やはりあくまでもおっとり。
「バカよね」って言う根拠は、前も書いたけど あまり点数を抑えてマジメに保険診療でやってる歯科医をいじめるとそのうち自費診療のところしか残らなくなっちゃうのではないだろうか?ってことである。
そうすると困るのは患者である私たちなのよね。
* * *
そんなこんなで性格も立場も違う女三人だけど 話は尽きずに夜は更けた。
後でAと 「Dちゃんって大変かもしれないけど せっぱつまってギスギスしたりはこの先も絶対ないよね」
「なんかDちゃんと話してると 私達がすんごくガサツな女って感じがしちゃうよね」
「ホント三つ子の魂だよね。あそこまでお嬢だと死ぬまでお嬢だよ きっと」という結論に達した。
イーサンさんの好奇心のために(笑)
Dちゃん、きれいですよ。でもAみたいな都会風な美人じゃなく ふっくら(ぽっちゃりじゃなくふっくら)していてクラシカルな感じ。
床の間に置きたい系佳人です。
私はAと幼稚園の最終学年から高校まで同じ学校で学び、大学進学とともに東京に出てきた。それからなぜか住居や職場が近いとか 偶然に共通の知り合いがいるとか 不思議な縁で結ばれて 40年を超えてずっと連絡をとりあってきた一番古い友達だと思う。
しかし遡るとDとはもっと古い頃から知り合いだったのよね。
私の祖母がやはりDの祖母と女子師範の附属校(私の出身校の前身)で一緒だったらしく私は幼稚園に入るか入らないかの時に祖母に連れられてDの家に遊びに行った事が何回かあったのだ。
もうおっそろしく昔のことだから(笑)記憶も彼方だけどお父さんが開業していた医院の奥に大きな庭をへだてたお屋敷があり その頃は珍しかった毛の長い室内犬がいた(その当時は座敷犬といっていた)
一人っ子だったDはとてもおとなしくて口数が少ない少女で恥ずかしがり屋だったけど、祖母同士がおしゃべりに興じている間に私はDの部屋で一緒に本を読んだり人形で遊んだりしながら待っていた覚えがある。
Dは小学校で何回か同じクラスになったがその頃とまったく変わらないおとなしくて寡黙な少女で、「おっとり」とか「深窓のお嬢様」とかっていう言葉は彼女のためにあるようなヒトだった。
私はどっちかと言えばもっと活発な女の子集団にいたので小中時代はDと敢えて一緒には居なかったけど、昔の縁もあってかお誕生会とかには必ずDは招待してくれたことを覚えている。
高校から東京の学校に進学してしまったDちゃんのウワサはバッタリ途絶え、おばあちゃまはもちろんお母さんももう10年以上前に早世してしまわれたのでその後のDちゃんの話は 「歯医者になったらしい」「結婚したけど成田離婚したみたい」としか耳に入ってこなかった。
それほどDちゃんはおとなしくて自己主張しない子だったのよね。
そして5年前の同窓会でずっと出てこなかったDが同じテーブルに座り、その姿や佇まいの印象がまるで昔と変わっていなかったのでびっくりしてしまった。
名刺をもらったら都心で開業しているというので更にびっくりした。
以前と変わらない小さな声で静かなしゃべりかたと物腰 他人を雇って仕事をしている感じがまるでないんだもの。
その後何度か同窓生の集まりで顔を合わせたけど 相変わらずニコニコしてヒトの話を聴いてはいるが 自分から話をふることもなく 私も私であれこれ忙しいので特に個人的に話を深めることもなかったけど、こうやってAと三人で話をしてみてなんだか感慨深い気持ちになった。
細かいことは聞いていないが、結婚して離婚して開業、お母さんを亡くしなんて色々あったにもかかわらず今でも おっとりしたその苦労のようなものが一つも彼女に陰を落としてないように見られるところ、Dみたいなヒトってホントは強いんじゃないのかしらねえ・・・
「Dちゃん仕事忙しいの?」ってAがふったら
「ううん ヒマなの~ それに色々制度が変わって収入激減よ このままだとウチっってつぶれるかもしれないわ~」 と深刻な事態を話すのもあくまでもおっとりした口調だった。
私も歯科の保険点数が下がったり規制がきつくなったりしているのは興味を持っていたのであれこれ聞くと まじめに厚労省の指示通りに診療して保険請求をするととてもじゃないけどやっていけない事。
「なんだか歯科医って淘汰されてるみたいな気がするわ~」とため息をつきながらDちゃん。
「ホント厚労省ってバッカよね」と極端な局意見に対して初めて 「そうなのよ バカよね。 現場を知らないヒトが制度を作ってるとしか思えないもの・・・」とその時は真顔で答えたけど、やはりあくまでもおっとり。
「バカよね」って言う根拠は、前も書いたけど あまり点数を抑えてマジメに保険診療でやってる歯科医をいじめるとそのうち自費診療のところしか残らなくなっちゃうのではないだろうか?ってことである。
そうすると困るのは患者である私たちなのよね。
* * *
そんなこんなで性格も立場も違う女三人だけど 話は尽きずに夜は更けた。
後でAと 「Dちゃんって大変かもしれないけど せっぱつまってギスギスしたりはこの先も絶対ないよね」
「なんかDちゃんと話してると 私達がすんごくガサツな女って感じがしちゃうよね」
「ホント三つ子の魂だよね。あそこまでお嬢だと死ぬまでお嬢だよ きっと」という結論に達した。
イーサンさんの好奇心のために(笑)
Dちゃん、きれいですよ。でもAみたいな都会風な美人じゃなく ふっくら(ぽっちゃりじゃなくふっくら)していてクラシカルな感じ。
床の間に置きたい系佳人です。