局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

母校の変身

2016-05-06 02:26:53 | 記憶の箱
両親のことで殆ど費やした今年のGWだったけど、そこは私のこと、合間を縫っておいしいものを食べたり友達と会ったりしましたよ。

その中の一つ。
私の出身高の某音楽関係の部活による公演を見に行ったこと。

前回の帰省の時だったっけ? 市の広報に載っていたこのクラブのプレ公演が我が家の近くのホールで行われるという、その整理券を配っていたので興味を持った。
最近のわが母校のその部の活躍は耳に入っていたので。
そして演目は宝塚でも人気の元はブロードウェイミュージカル

lineグループでそれを揚げたら、親友Aと宝塚観劇仲間のMちゃんが、「私も行きたい」と。
そしてなぜか 兄代わりのAちゃんも
四人で鑑賞






全部で80人を超える部員がいるという。生オケでミュージカルするなんて大したものである。

オケもちゃんとしてたし、ミュージカルも初々しい中、ジェンヌにもなれそうな美貌とオーラを持った子たちも何人か観られ、「あら~やるじゃん、我が後輩」と嬉しく鑑賞できた。

鑑賞終わって みんなで地元デパートの食堂街の中のイタリアンに行ったのだけど、卒業生女子三人の一致した感想として
「あの学校も変わったねえ・・・」
「ホント 私たちの頃ってなにか一生懸命がんばったって記憶がなにもないもんね」

共通項は私たちが小中附属組、そこで受けた教育に影響を受け、その時の仲間で今でもつるんでいるが、その後男子と女子と別れて進学した高校ではなんとなくシラケて日々を過ごした感じ。
そしてそこそこの大学に進学のために上京してそのまま東京にってパターン。
なぜか、高校への母校愛に欠けているのである。(小中の仲間にはしょっちゅう会ったり同窓会には出ているけど高校の同窓会はスルー)

当時は部活も盛んではなくて、先生は日教組が多くて休講も多く、進学指導もイマイチ熱心じゃなかった。建築学科に行きたいと志望したNちゃんなんて
「じゃ、これ読んで調べたら」と蛍雪時代を渡されて終わったと笑い話がある。

小中の熱心な先生方との格差があまりにも大きいことの戸惑い、しかし校則はなきに等しく、制服も着崩し自由みたいなもんだったので、放課後といえば学校帰りに喫茶店に寄ってダラダラ過ごしたとか、他の男子校の生徒と放課後待ち合わせて勉強と称して図書館で遊んだりとか・・
当時も進学校ではあったので今よりは少なかったがT大とか国立医やK、Wに行った友達もいるが、元々の素頭が良くて、そのまま入っちゃったみたいな人たち故、そんなに必死に勉強してたイメージもなかったのである。

ところがビックリ。
今の我が母の進学実績や評判などをネットで見てみたら(今回のことで初めて見たってくらい母校に愛着がなかったw)堂々たるというかびっくりぽんな文武両道進学校になってたのね。文化部同様に体育系部活でも実績がありそうだし・・・。しかも女子だからか現役合格が多く、それでの数字ってことにビックリ。地方っていうハンディも多少あるのに。
そりゃ、悪い気はしないけどなんだか自分のいた頃のあのでれ~~っとした雰囲気はまるでないんだろうなあ。そういえば制服もちゃんと着ているw 違う学校の話を見ているみたい。



今の雰囲気のこの学校に入ったらどういうJK生活を送っていたのかしらねえ。なんて話にもなった。
「局ちゃんはこういう公演の脚本でも書いてたんじゃない?」とNちゃんが言ったけど、ん~~ そういうのも面白かったかも。なにかきっかけがあれば、人と一つのものを作り上げるってのは嫌いではないはず・・・
しかし あの三年間、あそこでもうちょっとどうにか意識的に動いて将来の事を考えていればキャリアウーマンになれた?あるいは自分の本当にやりたいことを職業にできた?
まあ同じ環境だった親友Aは世間で知られるくらい自分の得意なことを活かして活躍しているから私が怠け者だったのかもしれないけど。

多分三人三様でもう一度高校生に戻ったらと脳内で想像しつつ、予想外においしかった田舎デパートのイタリアンで昼ワインのグラスをかたむけたのであった。







コメント (2)
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