局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

薔薇の記憶

2022-05-12 00:10:33 | 記憶の箱
我が家の周りの家並み、この時期薔薇を咲かせている家が目立ちます。
ここの所多くなってきたようにも思える。







お屋敷の庭からあふれて道に向かって流れるように咲きこぼれている薔薇を見ながら









ユーモラスな風向計とのコラボを楽しんだり





表札が入らないように、そうっと門の周りの薔薇を撮らせていただいたりしているわけです。



きわめつけはこちらのお宅 この日は自転車に乗ってちょっと遠出をした際に見つけたのだが、マスク越しにも感じられる芳香が漂っていた。

ところで、私の実家は、典型的な日本庭園で、芝生はあったものの 松、竹林、紅葉の間に石や灯籠が配され、花と言えば つつじがたくさん、あとは牡丹と紫陽花椿と山茶花と梅等の木の花が多くてあい愛らしい草花は少なく、裏の通路は南天とやつで みたいなので 子供心につまらないと思っていた。
多分幼稚園の頃、一度父が、どういうわけか同業者の自宅に私を連れて行ってくれたことがあり、そこは噴水があってたくさんの薔薇が咲いていて、二人乗りのブランコもある華やかな庭があった。そこの家のムスメとワタシが同い年くらいだったので、父も連れて行ってくれたのだと思う。
ワタシはそれが忘れられなくて、あの洋風の庭にあこがれて、祖父に「家の庭にも薔薇を植えてよ」と何度か頼み、そのたびに「薔薇は虫がつくからダメ」と言われて つまんないな~とがっかりした記憶がある。長じては実家の庭の良さもわかってきたが、そのころは本当に素敵じゃない庭だと思っていたのだった。
そして、父に「あのお家にまた行きたい」と言ったら「あそこの家は商売がダメになって売られちゃったんだよ。」と言われびっくりしたのを覚えている。数十年たった今でもそれを覚えているのは、あんなに素敵な所にもう二度と行けないことでっかりしたのと、一度だけ遊んだ可愛い女の子は今頃どうしているんだろうと子供心にも心配だったのだと思う。
多分、それが人生初の諸行無常感を知った出来事だったかもしれない。

そしてもう一つ思い出すのは家の近所の薔薇屋敷の思い出である。

一度コメントで書いたことがあるんだけど改めて書いてみる。

30年ほど前の話です。
家か道を挟むが3軒ほど離れたところに大きなお屋敷があった。地方ならそう大層な部類じゃないかもしれないが、この辺で100坪くらいの敷地は十分にお屋敷なわけです。

そこに白い壁に赤い屋根の二階家が建っていて、石の塀が囲んであった。塀が高かったので庭はよくは見えなかったが、門がアーチになっていてそこに小さな花が咲く薔薇の蔓がからんでいた。

ところで、そこに住んでいるのは当時around80歳のおばあさん一人だった。そしてそこに娘さんらしい中年の女性が二人、様子をみるようで出入りしていた。
そのおばあさん、いつみてもワンピース(それもかなりの頻度でひらひらの)のお出かけ姿、そして真っ白のファンデーションに遠目でもわかるくっきりしたアイラインで盛髪のアップだった。細身で姿勢はいいんだけど、歩く時は超独特で 「しゃなりしゃなり」というのを絵にかいたように歩くお方であった。その頃 ソノ子さんという美白の女王がいたが、あんな感じを想像してくれれば当たらずとも遠からじだと思う。

とにかくそんなソノ子であったが、その家は薔薇の季節には屋敷からこぼれでる花と香りで近隣を楽しませてくれた。
家が引っ越して来てすぐの薔薇の季節。ムスメと二階の窓から「綺麗だねえ」と見ていた所、ソノ子がエレガントな帽子をかぶり、手に花ばさみを持って出て来て、薔薇の花を切り始めた。
そしてびっくりしたことには、薔薇の花を片手にハサミを片手に くるりくるりとピルエットのように回ったのであった、それも三回ほど。

今見たのは何だったのか? びっくり仰天で顔を見合わせた母娘。
あとで昔から住民に聞いたら、ソノ子はその家でクラシックバレエを教えていたらしい。 で、納得。しかし薔薇を切りながら回るのが普通かどうかは疑問。。。その時から我が家では彼女を秘かに「薔薇切りお婆」と呼ぶようになってしまった。

しかしながら彼女は気品があるというよりはいかにも権高い女性で、道で会って挨拶してもあさっての方向を向いて無視することも多く、ゴミの出し方もその近辺で一人だけ守らずに結構困ったちゃんであった。
ソノ子の娘の一人は、ご主人だかパートナーだかが欧米人で、しかも音楽関係の人らしく、たまに滞在する時には家の中でオペラの一節を歌っていることもあった。
ちょうどゴミ出しをして出くわしたお向かいの奥さんと、彼が朗々と歌うリゴレットの一節が終わったところで 秘かに「ブラボー」とその家に向かって手を叩いて苦笑したこともあったっけ。(上手だけど傍若無人にデカい声だったのである)

そして、月日はたって この頃薔薇切婆さん見ないなあと思っていたところ、重機が来て、そのお屋敷はみるみるうちに取り壊された。高い塀も壊されて庭の全容が見えたと思ってからすぐに植栽も引っこ抜かれた更地になってしまった。

その後しばらくたって、そこは4分割されてそれぞれ二階建ての一軒家になった。駐車場がついて、少しだけ庭があるようなこじんまりとした家。30年たつとこのあたり、大きな屋敷が壊されて細分化されて、こういうパターンが増えていった。
ガレージには中くらいの車が一台と子供を乗せる電動自転車、三輪車や子供の自転車もならんでいる。
高い塀はなくてオープンなつくりか、あっても金属のフェンスなので庭の中もよく見え、そこにはたいていハナミズキかオリーブかユーカリの木と薔薇が植えてある。いわば、私が小さい時にあこがれた西洋風のミニガーデンである。

薔薇切婆さん屋敷に限らず、高い塀に囲まれ、誰が住んでいるのかもわからない家がなくなり、その代わりに子供連れのファミリーに置き換わられているこの界隈。
それは街の新陳代謝としては健全なのかもしれないが、あまりにあっけらかんとしていて、薔薇切り婆さんのいた頃のちょっと不思議で謎に満ちた空間は失われてしまった。



ワタシの一番好きなキリコの絵なんだけど、こういった陰影はもうこの界隈にはなくなってしまったのがちょっと寂しい。










コメント (6)
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