辰年が明けたとたんに世の中が騒然としてしまっているが、私の周りもバタバタですよ。
3日は年末年始をお嫁ちゃんの実家で過ごしてきたムスコが単身で帰京
お歳暮ほA5放出 とっておきの佐賀の銘酒光栄菊の月光(無濾過生原酒)も放出
「新政に似てるなー 酸味がうめー」と母と同じ感想にほくそ笑む
次の日一泊して行ったムスコを送り出し、ムスメ宅へ
ムスメ宅は座れる電車一本で行けるのは楽なのだが時間はそこそこかかる。1時間ほど。
孫③がこのイベントに行くため孫④のお預かりでした。イベント自体は30分ほどらしいが、事前に整理券を入手するとかで乳児連れは無理らしく、下の子のお守りはばーちゃんの役目だ。
ところがそのお守りしている間に実家地方の弟から電話。
実家の母が調子を崩して救急搬送という。熱が38℃台、意識もなくなっているという。
先月会った時もまたずいぶん痩せたので心配はしていて、この週末には様子見に行こうかと思っていたところだった。
そりゃ大変、とりあえず行かないとと家族LINEにそれを告げると、ムスメは大急ぎで帰ってきて、さっき別れたばかりのムスコは「じゃ、俺も一緒に行くよ 途中で拾って」と言う。
ムスメの家から引き返し、20分で実家に何泊か泊まる用意をして、犬も連れて実家を出る。年末年始で溜まっていたゴミを集めて、お隣の奥様へしかるべき日にちについでに出してくださいと頼むのも忘れなかった。
ムスコを道端で拾い高速1時間乗って母の入院先へ
かなりの頻脈で酸素も吸入中
呼びかけても答えず
これは今日明日かもしれないと思いながら暗澹として実家に帰宅
この日は食料まで持ち出す時間はなかったので、弟の住む実家の冷蔵庫には何もなく(正月だと言うのに)、弟も母の入院に付き添った後は仕事でお年始回りがあるので帰りは遅いと言う。
仕方ないのでムスコと年始なのに寂し過ぎる地方都市のシャッター通りを彷徨う。
「すげーなぁ このさびれかた」
確かに‥
ワタシの知る限りでちょっと美味しいお店もまだ正月休みでオープンしてなく、空いていた沖縄料理の店はドアを開けたとたんにかびくさすぎてそのまま逃げ出し、やむなくこれならまぁマシかな くらいのカウンター居酒屋へ
うむむむむ
久々に外れた、が
2日連続でムスコと食べて飲んで、色んな話が出来たのはよかったな。
主に海外相手の仕事なので、日本で正月休みをとっても昼夜なくメールが来たりオンラインで話したり
「あいつら空気読まないからなー」と言いつつも、仕事中の片鱗を見せるムスコは頼もしかった。局家、オットは職人気質だがムスコはビジネス気質である。ちなみにムスメはゲージュツ気質 色んなDNAが入り混じって体現化ってもんですね。
この日から週末までオットは職場をはなれられない状況で、ムスコが間髪を入れずに
「オレも行くよ 運転もするし」と言ってくれ、お嫁ちゃんも
「行ってきてーいつ帰ってきてもいいよ」とすぐに電話かけてきたそうだ。
その点は気が揉めながらも嬉しかった。
そして今日は
酸素も外れ頻脈も少し改良し熱も下がっていた。昨日より熱も下がって呼吸も落ち着いていた。
この分だとまた回復するかもしれない。
去年も冬に調子を崩してもうダメかと思ったのですが、今度も◯◯女の根性で回復して欲しいものである。
この病院の面会は家族2人のみ 10分だけ制限。
これでも緩和されたらしいけどコロナ?インフル対策?
6人部屋で向かいのベッドのお婆さんが手を拘束されててひっきりなしに「はずしてー」と大声を出している。
看護師さんが「外すと危ないのよー、◯◯さん点滴抜いちゃうからねー」となだめていた。
まあ仕方ないんだろうが、毎日ムスコの顔が見られて快適な個室で下をも置かれずに最期を迎えられた義母とつい比較してしまう。
意識がないからまだいいもののかわいそうな母‥
そしてムスコ
さっきは頼もしいと言ったけどさ
高速1時間➕一般道30分かかる所から
自転車で帰ったんですよ!
「正月でカラダなまったからさー」河川敷のサイクリングロードを通ると遠回りになるから130kmの行程らしい。
実は昨日彼を拾った時に自転車を積んだのでヤバいと思ったのですけどね。
こうやって無謀なところは中高時代から変わってないのねー
さっきLINEしたら東京にはたどり着いてるらしいけど。