variably 変転と永続
第78話 冬暁 act.2-side story「陽はまた昇る」
窓が白い、その硝子を冷気が透かす。
曇天に上がらない気温の地上は雪まだ残る。
降雪は先週末、もう4日経つのに片寄せられた雪は溶けていない。
奥多摩はもっと深く残っている、その白銀を西の空へ見ながら英二は扉ノックした。
「黒木さん?宮田です、有休の申請書を持ってきたので開けて下さい、」
差入だけならドアノブに架けてもいい、だけど書類は手渡さないとダメだろう?
そんな理由に敲いた扉の向こう気配は近づいて、かちり、開錠して開かれた。
「…ぅぁん、」
たぶん「すまん」って言ってるんだろうな?
そう推測する濁声かすかな顔はけだるげに赤い。
本当に声が出難くなっている、この様子に書類封筒とコンビニ袋を示し笑いかけた。
「ほんと声が出ませんね?申請書の提出も俺が行きます、引継ぎも伺いたいのでお邪魔して良いですか?」
「ん…ぃぁた、ぁぅぃぁぉ?」
また濁声で答えてくれる、そのたび顔顰めさす。
きっと喉が腫れて痛い、そんな先輩にレポート用紙を見せた。
「休みですけど、国村さんに引継ぎのメモ入れてから出ます。そんな顔と声じゃ黒木さんも小隊長の前に行けないでしょう?うつしたら大変だし、」
プライドの高い黒木は弱った姿など見せたがらない。
そう思って言った前、真っ赤な顔は首振ってしまった。
「ぃぁたっ、んぁぉとぅぅぁぇぁぃぁぉっ…ぅごほっ、ごほほんっ!」
ああ何を言いたいか何となく解かるな?
こんな理解に可笑しくって笑いたくなる。
だって「何を」の内容を知ったら第2小隊の皆はどんな顔するのだろう?
そんな想像また可笑しくて笑いたい、この意外なほど純情な三十男に提案した。
「そんなことするわけ無くても風邪はうつりますよ?インフルエンザかもしれないですしね、とりあえず部屋に入りますよ?」
穏やかに笑いかけて長身の肩そっと押し入る。
思った通り几帳面に片付いた部屋は素っ気ない、けれど本箱の充実に笑いかけた。
「黒木さん本が好きなんですね、似合います、」
並んだ背表紙は文庫本が多い。
どれもブックカバー綺麗にかけられている、その厚み薄いものから4cm程とバリエーションに富む。
様々なジャンルを読むのだろうか、それとも特化している?そんな推定しながら有給休暇の申請書とレポート用紙を差し出した。
「欠勤ではなく有休でと国村さんから伝言です、差入はスポーツドリンクが国村さんからで食糧は浦部さんと高田さんからです、岡田さんも昼に来ます。
あと診察室は行かれましたか?インフルエンザなら5日間は自室待機ですから届を出します、解熱しても2日はダメです、ウィルスの排出期間はNGですよ?」
預ったものと説明しながらペットボトル窓際に並べ置く。
これならガラスを透かす外気に冷たさ保ちやすい、その傍らで黒木がペン走らせ見せた。
“ 急性扁桃腺炎だ、薬もらって来た、今日明日寝れば治る、 ”
ちゃんと診察室に行ったらしい?
そんなメモに笑って釘を刺した。
「扁桃腺炎なら2日で大体治るでしょうね、でも薬や治療を途中で辞めると慢性化しますよ?無理せず体を休めて下さいね、」
言わないと無理しかねない、そういう堅物だと知っている。
こんな同類だから思考パターン解りやすくて止めを言った。
「今日は俺も休みで不在です、もし無理して業務に就けば部屋に運びこんで看病するのは国村さんでしょうね?小隊長の責任とか言って、」
これで黒木は完治するまで養生してくれる?
そんな意図に端正な困り顔は引継ぎ事項にペン走らせた。
さくり、さくっ、
街路樹の下は雪まだ残る、その梢も曇天に白い。
今日は一日こんな空だろう、そう観天望気と仰いだビルに英二は瞳細めた。
『おお、あの記者さんのことかな?彼もよく来てくれとるよ、』
山寺で老僧が告げた事実と一枚の名刺、あの通りメモした場所は確かにある。
だからと言って本当に彼が居るのかは未だ解らない、それでも確かめた所在に現実なのだと解かる。
―でも本当に記者かなんて解らないよな、
あの墓に来ていた「あの記者」はどちら側の人間だろう?
この答えは他の墓にも「v.g」の日付に行けば解かる、そして面会できるかもしれない。
もし「あの記者」と同一人物が他も毎年ずっと参っているのなら彼の正体は、たぶん探すターゲットだろう?
visita gravem 墓参り
visitacion gravem 重たい面会
この2つが馨の手帳に記された「v.g」に共通する。
この言葉たちに示す想いはその日付ごと添えられていた。
expiationum 贖罪
この3つの単語が示す本音、それは馨の日記に綴られる
Peccatum quod est non dimittuntur 赦されない罪
赦されない、そう告げたかった真相は何を示すのか解りすぎている。
この真相に馨は引きずりこまれた原点が「いつ」からなのか知っていたろうか?
それとも知らなかったろうか?そんな思案めぐらせ歩いても革靴は雪も滑らない。
降雪に強いと買って今が2度目の冬、そんな時の経過に一年前が泣きたくなる。
『この時計をあげます、だから英二の腕時計を下さい、』
ほら、幸せな冬の言葉が懐かしむ。
去年の12月は幾つ幸せを知っただろう、その結晶は今も左手首に時を刻む。
あの時間たち全ては現実だったとクライマーウォッチひとつに確かめられる、どの約束も諦められない。
腕時計を贈りあう事を婚約の証だと幸せな約束いくつも繋いだ、けれど自分は何を護れたのだろう見つけたのだろう?
唯ひとり、君の隣だけが自分の居場所。
そう言ったのは自分、それなのに他の相手を抱いてしまった。
そして二人とも傷つけた、あの夏から5ヶ月すぎて今は冬だ。
―俺の所為だ、光一ごと周太を傷つけたんだ、
後悔しても還らない夏、アイガーの夜。
あの夜を望んだのは光一からだった、それでも本当に望んだことは違うのだと今なら解かる。
それを一年も一番近くにいながら何ひとつ解らなかった、こんな自分が情けなくて欲深さに後悔が止まない。
―光一は雅樹さんと俺が別人だって納得したかっただけだ、その方法は他にいくらでもあったのに俺は、
ほら、また後悔は煩悶に廻りだす。
こんな想い抱いてしまう前も逢った最後はあのベンチだった。
あれから一度もあのベンチに座っていない、だから今も期待したくなる。
あのベンチに君と座れたら、もう一度だけ帰られる?
「…周太、来てくれる?」
ひとり想い零れて、そっと息が白い。
こんなふう悔やむ自分は弱いだろう、いっそ何が悪いのかと開き直れたら良い?
また後悔ごと自問しながら曇り空の雪道を見慣れた街並み眺め、懐かしい門に着いた。
「卒業式の日みたいだな?」
見つめた門に昨夏の終わりが懐かしむ。
別離と告白を見つめた記憶は晩夏の公園、この門に木洩陽はまだ青かった。
あのとき一秒でも長く隣にいたくて離れがたくて、そんな願いごと冬の門を潜って仰ぐ。
今は冬、それでも始まりの秋まで帰れる?
―周太、今どうしたら信じてくれるんだ、
さくり、さくり、雪を踏む道は白銀まばゆい森。
ここは都心の公園、それなのに奥多摩の森と似た静寂に鎮まらす。
この森を行けば逢える、ただ信じて雪踏みゆく先あのベンチが見えた。
でも、君はまだいない。
(to be continued)
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