hermitage 静観の棲家

第78話 冬暁 act.6-side story「陽はまた昇る」
本当は、最初から決まっていたのかもしれない。
「英二に川崎の家へ連れて行かれた時は本当に驚いたよ、あの湯原家だとはな?」
静かな低い声のテーブル、からり、グラスに氷が融ける。
冬の午後、重厚クラシカルな空間は他の客も無いままジャズのビート穏やかに凪ぐ。
こんな静かな時間も存在するんだな?そんな感想と座るチェスターフィールドで英二は微笑んだ。
「俺こそ今ちょっと驚いてるよ、こんな隠れ家を父さんは持ってたんだ?」
すこし窪んだ一隅の席は店内どこからも見え難い。
けれど此方からは置かれた観葉植物を透かして周囲を見渡せる。
ここなら密談でも何でも出来るだろう、この隠れ場所にグラス傾け父が笑った。
「誰にも内緒にしといてくれよ?特別な話じゃなければ座らせない席だから、」
「だったら俺も特別な話のとき使わせてもらうよ、」
さらり笑って答えた斜向かい切長の瞳が困ったよう笑う。
なにを言っても効かない息子だ?そんな父の眼差しに笑いかけた。
「この店を父さんに教えたのは湯原博士、晉さんだろ?」
きっと父ならそうするだろう?
ただ確信と笑いかけた真中で穏やかな瞳ゆっくり微笑んだ。
「どうしてそう想う?」
「ウィスキーにイギリスの家具、オックスフォードにいた晉さんの好みだから、」
想ったまま笑いかけた先、切長の瞳かすかに細くなる。
いま悟られないよう目を細めさす、そんな父の貌に笑いかけた。
「あの小説が届いて、読んですぐ晉さんに会ったんだろ?新聞記事のメモと不起訴記録の写しと一緒に、」
法務省訓令 記録事務規程 第25条
この訓令により検察官は不起訴記録を区分に応じ、不起訴の裁定をした日から起算する定められた期間保存する。
その該当期間内に父は司法試験を合格している、そして何より強い伝手が使えた事実そのまま言葉にした。
「人を死亡させた罪で禁錮以上の刑に当たるものは、無期の懲役または禁錮に当たる罪の事件なら30年、死刑に当る罪なら25年は保管されるだろ?
小説が届いたのは大学4年の冬で司法試験合格後だ、事件から17年で不起訴記録の保管年限を超えてないし宮田検事正も現役だろ?写しの伝手はある、」
法務省訓令 記録事務規程 第25条 不起訴記録の区分期間
1 事件事務規程第75条第2項第16号から第18号まで、又は第20号の裁定主文に係る不起訴記録
(1) 人を死亡させた罪であって禁錮以上の刑に当たるもの(死刑に当たるものを除く。)について
ア 無期の懲役又は禁錮に当たる罪に係る事件のもの30年
イ 長期20年の懲役又は禁錮に当たる罪に係る事件のもの20年
ウ ア及びイに掲げる罪以外の懲役又は禁錮に当たる罪に係る事件のもの10年
(2) 人を死亡させた罪であって禁錮以上の刑に当たるもの以外の罪について
ア 死刑に当たる罪に係る事件のもの25年
これは現行の規定になる、だから今あの事件は「処分」だろう?
それでも見つけた可能性に笑いかけた真中で怜悧な瞳が微笑んだ。
「我が息子ながら英二は怖い男だな、父にそっくりだ、」
祖父と似ている、そう言われることは素直に嬉しい。
だから自分には褒め言葉だ?そんな想い綺麗に笑った。
「お祖母さんも俺はお祖父さん似だって言うよ、職場でも言われた事あるけど、」
「父は司法の世界では有名だからな、英二も検事に向いてるだろうに?」
すこし困ったよう笑ってくれる眼差しに4年前が映りこむ。
あのとき父は驚いていた、そして一昨年も驚かせたろう事実に笑いかけた。
「俺が警察官になったことはギャップイヤーだと思ってる?」
「そうなるかもしれんとは思ってるよ、」
確定と未定、そんな回答してグラスへ口つける横顔は微笑んで見える。
この微笑は何を望んで「黙秘」してきたのか、その推定と尋ねた。
「不起訴記録の写し持っていますよね、今、その鞄に、」
きっと持ち歩いているだろう?
父なら自宅を安全だとは考えない、それは「家」の為でもある。
あの事件に関わるもの全てを家に隠すなどしないだろう、この推定に父が訊いた。
「持っているとして、なぜ持ち歩く必要がある?」
「家にあれば宮田の家が巻き込まれます、母さんが見つけて鷲田の祖父に伝わっても厄介です、」
考えのまま答えた向こう切長い瞳が見つめてくる。
沈思に涼やかな眼差しは写真の俤を映して、その血縁あらためて微笑んだ。
「小説はお祖母さん宛てに贈られたけど、晉さんが本当に読ませたかったのは父さんだろ?お祖父さんはフランス語を読めないけど父さんなら読める、
だから晉さんは全文をフランス語で書いて大学の冬休みに送ったんだ、正月なら必ず帰省して読むって考えてさ。自筆の単語も父さんへのメッセージだろ?」
祖母に贈られた一冊には単語ひとつ晉の自筆で記される。
あの言葉は祖母宛だろう、そして父宛でもあった事実に笑いかけた。
「Confession 、告解とか有罪の告白って英語だろ?あれは父さんに全てを話そうっていう晉さんのメッセージだ、その話を俺にしてくれませんか?」
“ Confession ”
そう晉が記した意味と意志は「告解の面会」だから二人は会っている。
そして両家の音信は途絶えることになった、その舞台になったチェスターフィールドの席に微笑んだ。
「チェスターフィールドのウィングバックチェア、これと同じ椅子が晉さんの書斎にあるけど、この席で父さんは真相を聴きましたよね?
小説と不起訴記録は同じ事件だと聴いて、血縁関係も隠す方が安全だって絶縁を言われたんだろ?だから母さんとの結婚も承けたんだ、保障として、」
全てを知った、だから父は鷲田の娘婿になり姻戚関係で家を護った。
そんな選択を責めるなんて誰にも出来ない、それだけの重荷を22歳で選んだ男は静かに笑った。
「英二なら違う選択をしたんだろうな、でも私は卑怯で臆病だ、私は…馨くんも晉伯父さんも見殺しにしたんだ、」
見殺しにした、
その言葉に父の三十年が傷む、そして責められない。
どんなに卑怯でも選択した願いは血が通う、その温もりに問いかけた。
「後悔してる?」
従兄伯父と三従兄、親族ふたり犠牲にしてしまった。
そこにある後悔も卑怯も臆病もすべて自分が負いたい、そんな願いに父の瞳は微笑んだ。
「父と母を護れたから後悔はしないよ、でも、母さんも英理も英二も犠牲にした結果が痛いな?」
犠牲にした、そんな言葉に心臓そっと穿たれる。
こんなふうに父が想い続けていたのなら?その納得に尋ねた。
「母さんと結婚することで母さんを犠牲にしたって思うんだ?」
「思うよ、」
頷きながら父の指長い手がグラスとる。
からん、響いた氷の光ゆれる琥珀色に綺麗な低い声が微笑んだ。
「彼女の笑顔を一度も見たことがないんだ、心から幸せな笑顔は美貴子の顔で見たことない、」
どうして自分の両親はこうなのだろう?
いつも互いに見つめ合えない気づけない、そんな二人に「心から」など生まれない。
そして育まれなかった家庭の温度は幸せなど遠くて、その原罪となった過去に笑いかけた。
「母さんと結婚した理由があの事件なら、俺がグレた原因は父さんが事件を知ったことなんだ?」
「そうなるかな、」
静かに微笑んだ口許グラスつけて、端正な貌ほっと息ひとつ吐く。
ゆっくり瞬かす切長い瞳は涼しい、この眼差しに犠牲の俤を見つめて尋ねた。
「俺に償いたいとか考えてる?」
「大学受験のことは謝りきれないと想ってるよ、本当にすまなかった、」
綺麗な低い声は告げて自分を見つめてくれる。
もう6年経つ後悔、それでも消せない屈辱の記憶ごと英二は掌さし出した。
「謝ってくれるなら父さん、不起訴記録を俺にくれる?晉さんの話もぜんぶ聴かせてください、」
(to be continued)
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第78話 冬暁 act.6-side story「陽はまた昇る」
本当は、最初から決まっていたのかもしれない。
「英二に川崎の家へ連れて行かれた時は本当に驚いたよ、あの湯原家だとはな?」
静かな低い声のテーブル、からり、グラスに氷が融ける。
冬の午後、重厚クラシカルな空間は他の客も無いままジャズのビート穏やかに凪ぐ。
こんな静かな時間も存在するんだな?そんな感想と座るチェスターフィールドで英二は微笑んだ。
「俺こそ今ちょっと驚いてるよ、こんな隠れ家を父さんは持ってたんだ?」
すこし窪んだ一隅の席は店内どこからも見え難い。
けれど此方からは置かれた観葉植物を透かして周囲を見渡せる。
ここなら密談でも何でも出来るだろう、この隠れ場所にグラス傾け父が笑った。
「誰にも内緒にしといてくれよ?特別な話じゃなければ座らせない席だから、」
「だったら俺も特別な話のとき使わせてもらうよ、」
さらり笑って答えた斜向かい切長の瞳が困ったよう笑う。
なにを言っても効かない息子だ?そんな父の眼差しに笑いかけた。
「この店を父さんに教えたのは湯原博士、晉さんだろ?」
きっと父ならそうするだろう?
ただ確信と笑いかけた真中で穏やかな瞳ゆっくり微笑んだ。
「どうしてそう想う?」
「ウィスキーにイギリスの家具、オックスフォードにいた晉さんの好みだから、」
想ったまま笑いかけた先、切長の瞳かすかに細くなる。
いま悟られないよう目を細めさす、そんな父の貌に笑いかけた。
「あの小説が届いて、読んですぐ晉さんに会ったんだろ?新聞記事のメモと不起訴記録の写しと一緒に、」
法務省訓令 記録事務規程 第25条
この訓令により検察官は不起訴記録を区分に応じ、不起訴の裁定をした日から起算する定められた期間保存する。
その該当期間内に父は司法試験を合格している、そして何より強い伝手が使えた事実そのまま言葉にした。
「人を死亡させた罪で禁錮以上の刑に当たるものは、無期の懲役または禁錮に当たる罪の事件なら30年、死刑に当る罪なら25年は保管されるだろ?
小説が届いたのは大学4年の冬で司法試験合格後だ、事件から17年で不起訴記録の保管年限を超えてないし宮田検事正も現役だろ?写しの伝手はある、」
法務省訓令 記録事務規程 第25条 不起訴記録の区分期間
1 事件事務規程第75条第2項第16号から第18号まで、又は第20号の裁定主文に係る不起訴記録
(1) 人を死亡させた罪であって禁錮以上の刑に当たるもの(死刑に当たるものを除く。)について
ア 無期の懲役又は禁錮に当たる罪に係る事件のもの30年
イ 長期20年の懲役又は禁錮に当たる罪に係る事件のもの20年
ウ ア及びイに掲げる罪以外の懲役又は禁錮に当たる罪に係る事件のもの10年
(2) 人を死亡させた罪であって禁錮以上の刑に当たるもの以外の罪について
ア 死刑に当たる罪に係る事件のもの25年
これは現行の規定になる、だから今あの事件は「処分」だろう?
それでも見つけた可能性に笑いかけた真中で怜悧な瞳が微笑んだ。
「我が息子ながら英二は怖い男だな、父にそっくりだ、」
祖父と似ている、そう言われることは素直に嬉しい。
だから自分には褒め言葉だ?そんな想い綺麗に笑った。
「お祖母さんも俺はお祖父さん似だって言うよ、職場でも言われた事あるけど、」
「父は司法の世界では有名だからな、英二も検事に向いてるだろうに?」
すこし困ったよう笑ってくれる眼差しに4年前が映りこむ。
あのとき父は驚いていた、そして一昨年も驚かせたろう事実に笑いかけた。
「俺が警察官になったことはギャップイヤーだと思ってる?」
「そうなるかもしれんとは思ってるよ、」
確定と未定、そんな回答してグラスへ口つける横顔は微笑んで見える。
この微笑は何を望んで「黙秘」してきたのか、その推定と尋ねた。
「不起訴記録の写し持っていますよね、今、その鞄に、」
きっと持ち歩いているだろう?
父なら自宅を安全だとは考えない、それは「家」の為でもある。
あの事件に関わるもの全てを家に隠すなどしないだろう、この推定に父が訊いた。
「持っているとして、なぜ持ち歩く必要がある?」
「家にあれば宮田の家が巻き込まれます、母さんが見つけて鷲田の祖父に伝わっても厄介です、」
考えのまま答えた向こう切長い瞳が見つめてくる。
沈思に涼やかな眼差しは写真の俤を映して、その血縁あらためて微笑んだ。
「小説はお祖母さん宛てに贈られたけど、晉さんが本当に読ませたかったのは父さんだろ?お祖父さんはフランス語を読めないけど父さんなら読める、
だから晉さんは全文をフランス語で書いて大学の冬休みに送ったんだ、正月なら必ず帰省して読むって考えてさ。自筆の単語も父さんへのメッセージだろ?」
祖母に贈られた一冊には単語ひとつ晉の自筆で記される。
あの言葉は祖母宛だろう、そして父宛でもあった事実に笑いかけた。
「Confession 、告解とか有罪の告白って英語だろ?あれは父さんに全てを話そうっていう晉さんのメッセージだ、その話を俺にしてくれませんか?」
“ Confession ”
そう晉が記した意味と意志は「告解の面会」だから二人は会っている。
そして両家の音信は途絶えることになった、その舞台になったチェスターフィールドの席に微笑んだ。
「チェスターフィールドのウィングバックチェア、これと同じ椅子が晉さんの書斎にあるけど、この席で父さんは真相を聴きましたよね?
小説と不起訴記録は同じ事件だと聴いて、血縁関係も隠す方が安全だって絶縁を言われたんだろ?だから母さんとの結婚も承けたんだ、保障として、」
全てを知った、だから父は鷲田の娘婿になり姻戚関係で家を護った。
そんな選択を責めるなんて誰にも出来ない、それだけの重荷を22歳で選んだ男は静かに笑った。
「英二なら違う選択をしたんだろうな、でも私は卑怯で臆病だ、私は…馨くんも晉伯父さんも見殺しにしたんだ、」
見殺しにした、
その言葉に父の三十年が傷む、そして責められない。
どんなに卑怯でも選択した願いは血が通う、その温もりに問いかけた。
「後悔してる?」
従兄伯父と三従兄、親族ふたり犠牲にしてしまった。
そこにある後悔も卑怯も臆病もすべて自分が負いたい、そんな願いに父の瞳は微笑んだ。
「父と母を護れたから後悔はしないよ、でも、母さんも英理も英二も犠牲にした結果が痛いな?」
犠牲にした、そんな言葉に心臓そっと穿たれる。
こんなふうに父が想い続けていたのなら?その納得に尋ねた。
「母さんと結婚することで母さんを犠牲にしたって思うんだ?」
「思うよ、」
頷きながら父の指長い手がグラスとる。
からん、響いた氷の光ゆれる琥珀色に綺麗な低い声が微笑んだ。
「彼女の笑顔を一度も見たことがないんだ、心から幸せな笑顔は美貴子の顔で見たことない、」
どうして自分の両親はこうなのだろう?
いつも互いに見つめ合えない気づけない、そんな二人に「心から」など生まれない。
そして育まれなかった家庭の温度は幸せなど遠くて、その原罪となった過去に笑いかけた。
「母さんと結婚した理由があの事件なら、俺がグレた原因は父さんが事件を知ったことなんだ?」
「そうなるかな、」
静かに微笑んだ口許グラスつけて、端正な貌ほっと息ひとつ吐く。
ゆっくり瞬かす切長い瞳は涼しい、この眼差しに犠牲の俤を見つめて尋ねた。
「俺に償いたいとか考えてる?」
「大学受験のことは謝りきれないと想ってるよ、本当にすまなかった、」
綺麗な低い声は告げて自分を見つめてくれる。
もう6年経つ後悔、それでも消せない屈辱の記憶ごと英二は掌さし出した。
「謝ってくれるなら父さん、不起訴記録を俺にくれる?晉さんの話もぜんぶ聴かせてください、」
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