この日の作業で丁度14日目、佳境であると言えば佳境だろうけれどまだまだ道半ばなのだった。それでも身体的負担を別にすれば他人様の見た目には「凄い事やってる…」と映るだろう。それはともかく小生的にはどうしても行いたかった巨木の据え付けである。これは「見てくれ!」ではなくすべからく実用効力を期待しての設えで大きさ重さは安定を保障する事にあるのだ。「大男総身に知恵が回りかね」とも言うものの知恵よりも重量が役に立つ場面が「ここ」なのであり、「そこ」は既にお念仏である。
さて、大規模出水時に直進してきた水流はこの地点でカーブをさせられていた。それは本来の沢の流路で、そのままなら何も問題は無かったのだけれど度重なる集中豪雨で斜面の崩壊から流路が変わり、結果として直進して取水堰の左岸まで破壊したのだった。それが苦労の始まりでかれこれ10年以上も河床安定化作業を行ってひとまず安定を満たす段階になっての一昨年に再度の奔流で直進水路が形成されたのであった。
「危ないなあ、補修せねば…」と感じていた箇所なのだが幸いな事は既存の段差工は破壊されつつも倒木の根株が引っ掛かりその抵抗で自然堤防が出来た事だった。段差工の破壊で新たな流路形成がされれば万事休すであり、その時点で取水不可能になったはずだ。結果はそうならずにそれ以前と同様な小さな手直しでつじつまを合わせられたので後回しして来たツケが今回の大規模作業の必然につながる。小事は大事と思うても扇の要を後回しでは「さもありなん」結果だ。結局は水商売・自転車操業の避けられない逃げられないオンパレードなのである。
さてさて、悔恨はここまで、この日は前日の曳き出しの続きからの作業だ。下流方向に2mほど前進させて横たえれば所定の位置になる。その位置は既に玉石を敷き詰めた上、のつもりだったのだがいつも通りの深夜の小用時、「上ではなく下側こそが河床安定に役立つ!」と朝令暮改、いいえ深夜頻改の結果、現在の玉石の下手側に降ろす事にした。越水防壁材の高さと重さの作用は損なわれるけれど高さを沈めた事で「底抜け」のリスクは大幅に低下したはずで、底抜けや流出が無く耐えてくれれば流路の安定は保たれる。時折の越流は増水すれば当たり前、と安心できよう。
結果として侵食溝を遮る形で防護材として設えが出来たのだった。トビ口で制御できない重量物なので牽引器を前後左右と支点を変え変え材を移動させる手間暇は数えてもいなかったけれど、その手間暇手数があったればこその据え付け完了だ。取水に難があれば行って解消してやり水路が変われば手直ししてやり、ほめられもせず疎んじられる事も無く気にもされず暑い日はトボトボ歩き冬の日陰沢も粛々と自転車操業・水商売に掛かりきりの、そういう孤爺にワタシハナッタ・・・おみゃ沢の賢爺 談。