トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「シオヤトンボとシオカラトンボ初見」クロスジギンヤンマ産卵

2024-04-20 | 小父のお隣さん

 フイールドは新緑に溢れるようになった。それだけではない「花は桜」とも言うけれど桜は散ったが野草の花盛りになった。小生は上を向いて歩かない。姥捨て山の孤爺らしく下向きでトボトボ歩くのだ。そうすれば走馬灯、いいえ花の絨毯が後方に流れてる感覚になる。まあ、言わば恍惚境でもあるけれどあっちもこっちも恍惚であるからして特別感は無い。この時期になるとエンジン式刈り払い機の雄叫びが聞こえるようになって「野草を育てる」感覚でない「雑草は丸刈り払い」感覚では「何が里山保全か!」と思うけれど世の趨勢は環境保全とか生物多様性とか高々に言うてみても現場の認識はこの程度が現実である。

 まあ、それはさておき今日もシオヤトンボ初見。シオカラトンボ初見、クロスジギンヤンマ産卵初見、オスのパトロール初見とてんこ盛りになった。トンボに愛着や探求心がある訳でも無いけれど水辺環境の指標種としてカエルやトンボの栄枯を観察し続けるのは理に適っていると考えるからである。種類が増え個体数が増す事は「環境が正しく維持されている」事に他ならないので「いいね!」やアクセス数より頼りになる数値でもある。

 クロスジギンヤンマ産卵のカットはどれもデジタルズーム領域になってあからさまにピントが合わない状況になる。タフカメラの限界と承知していても少々酷い性能だ。スマホで撮影すると画質は良いけれど10倍ズームまでなので個体識別が難しい距離にあるからボケても「それ」と判る1枚を載せた。

 シオカラトンボとシオヤトンボは長い間混同していてS先生に指摘され、ようやく判別するようになった。それでも小生にはオス同士はパッと一別では間違ってしまう。

 


河床安定化作業 22日目(障壁切株の排除)

2024-04-20 | 何よりの楽しみ

 前日の作業は小雨が落ちてきて撤退した。丁度チェーンソーの燃料補充と切れ刃の研磨をしなければならない段階だったので小雨をついて作業続行とはせずに帰宅だ。切株の切除する範囲はものの1時間もあれば終了するところまでになったのだがくたびれ果てているご老体では「頑張る」選択肢は全くないのである。明日に回したところでなんの支障もないのであった。

 自宅でオイルの補充とソーチェーンの研磨を済ませておいたので到着後は直ちに作業開始だ。この日の予定では切株の地上部は切除するつもりだったのだが切株の右岸側を少しだけ残して置けばこれが障壁となり右岸側への過度の侵食は阻止できる。悩ましかったのだが下流域を見下して右岸の水際予定線状になる位置で切り残しを作る。流路側へ根が張り出し流路を中央に向ける形状になっているので、これも流路底の高さで頭切りして切株の下流側に堆積した砂礫を侵食させる流れを目論む。その効果を上げるために流れの方向を整える大石を据えてみる。

 この日の前夜、90mmの降雨があったのだが、この程度だと流路の侵食は判るほどには進まず、やはり24時間雨量で200mmは降らないと水流浸食による流路の整えは望めない。そんな事で多めの雨量を望むのだが降れば降ったで取水升が砂礫で埋まりフイールドは断水の憂き目になる。どちらにしても双方満足は無くて手間暇はお約束なのが水商売・自転車操業なのである。それでもこの日の作業で一旦は終了とする。玉石の積み込みは不十分なのだが出水後の河原で玉石を集めた方が揃いやすいので後は成り行きと気分次第でボチボチ行えばよいのだ。

 そう思いつつ何気なく据えた大石を眺めたのだが、写真左下のそれだけれど突然とお尻に見えてしまった。孤爺、独り沢奥でのツッツモッツから解放されたとたん妄想が生き返ったみたいでボケていても我が業は健全であった。まあ、三途の河原の支配人から尻を向けられたと思えば得心もするがしり合いになるのは御免である・・・。でもなあ、邪心を捨て鑑賞すればビーナス像の一部に見えなくもない。Oh!オフェーリア、何てこったい・・・。