京都&神楽坂 美味彩花
京都と神楽坂を行ったり来たり、風景などを綴っています。
 




今回の高山ラストということで・・・さんまちの風景、よくポスターで見かける立派な藤棚の久田屋さん。
高山の町の礎を築いたのは金森長近という戦国武将で、さほど知名度は高くありませんが
信長、秀吉、家康の3人に仕えた数少ない武将の1人です。
  
名前の”長近”も信長から1文字を与えられたもので
信長亡き後、秀吉と柴田勝家との賤ケ岳の戦いでは柴田家に加担しますが後に秀吉に許しを請い仕えます。
秀吉から飛騨討伐を命ぜられ平定したのが始まりで高山城を築城し町づくりに着手します。

城を中心として高台を武家地とし、低地を町人の街として町屋を造り城に近い順から一、二、三番地としました。
現在の上一之町、二之町、三之町はその時の町割りが残ったもので道幅なども当初と殆ど変らないそうです。
また京都の街に倣い寺を東山に集めて配置したようで、寺の中には知恩院の三門を模した所もあります。
  
上三之町の商家は京都と同じく間口が狭く奥行が深い町屋が多く
低い軒に紅殻格子と江戸時代の風情を残しています(さんまちは特に車両通行止めにしているので歩きやすい)
軒は町の水路に雨や雪が落ちるように設計され、夏はその水を打ち水に使うと言った具合・・・緻密な町造り!

町屋に統一感があるのは建て替えや修繕にも代官所の許可が要るなど
当時から今で言う景観条例(?)の様なものがあったのかもしれません
現在まで守り続けられているというのも凄いところです。

金森長近は徳川幕府時代もそのまま飛騨高山城主として活躍し
長近の死後も金森家は6代、107年間にわたり飛騨地方を治めました。



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