今日は朝から雨、肌寒いですね~
油断禁物、気合いでなんとかしないと、コロナにやられやんように!
文字が小さくてスマホで読みにくい・・と感じたので、1ポイント大きくしました。
それと、昨日、記事投稿が重複したので削除しました~~
すいませ~ん。
数日前に撮ってきました。
郵便局の近くにある、修善寺寒桜。
毎年、お彼岸前に咲き始める桜です。
桜というと、やっぱり、春やねぇ~~
けど、今日は寒い~~
東京は雪降ってたってよ!?
さて、昨日のドラマの話の続きなんですが・・・
実は、私の父も、平成2年に白血病で亡くなったんです。
現在は寛解(完治とはいわないんですね。再発の可能性のある病気は)している人も多いそうですが、
昔は、不治の病と思われていた病気です。
父は70歳で、まだ現役で仕事をしていました。
風邪をひくと治りにくくなり(1週間ぐらい寝込んでた)
髭を剃ったときに、カミソリで切れた傷口の出血が止まりにくくなり、
アセモのような吹き出物がいつまでもグジグジして治りにくくなって、
とにかく疲れやすく、「しんどい」を連発してました。
かかりつけの病院に行くと、成人病センター(現県立総合病院)を紹介され、
そこで血液検査、胸骨の髄液検査で白血病と判明。
本人にも告知されました。
70歳という年齢もあったからか、医師から
積極的に骨髄移植の話はされてなかったと思うけど、
当時は、ドナーが見つかる可能性はかなり低かったと思います。
というのも、日本で骨髄バンクが発足したのは、1991年。
骨髄バンクを通じて造血幹細胞移植をした例は、
1997年には1000件、2003年には5000件、
2008年に、10,000件を突破したそうですが、
(白血病の基礎知識HPより → こちら)
父が亡くなった平成2年(1993年)、移植は夢の話やったでしょうね。
父は、告知から8ヶ月の命でした。
血液のがんは、切ったりはったりできる病気ではなく、抗がん剤の投与のみでしたね。
副作用で吐き気があるので、食事もできないし、薬を飲むためのお水を飲んでも吐いてました。
母が、「代わってあげたい」と言うと、父は、
「こんなしんどい病気、代わられへんで」と言うてました・・・
朝ドラ「スカーレット」で、キミちゃんが言っていたとおり、
HLAという白血球の型が合わないと骨髄移植はできません。
両親それぞれから型となるものをもらうから、
同じ両親から生まれた兄弟間では、合致率が25%あるらしいけど、
両親と型が同じという可能性は、まさしく1%以下なんですね。
キミちゃんとハチさんには、子どもは一人だけやし、
骨髄バンクもない時代、HLAが合うドナーを見つけるのは至難の業です。
病名を知らされる前の武志くんが、母であるキミちゃんに、
両親の離婚のことを話してましたね。
「お父ちゃんはお母ちゃんに負けて出て行ったって、
お母ちゃんも聞いたことあるやろ。
オレもぐれてたかもしれん。
大学へ行くのに、信楽から出ていって良かった。
いろんな人に会うて・・・
お母ちゃんとお父ちゃんの離婚のことも考えたで」
ええ子やね。ほんまに、ええ子や~
「今な、お父ちゃんとお母ちゃん、ふつうにしゃべれるようになって、
ほんまに、良かった。新しい関係、大賛成や」
「武志のおかげやな」
キミちゃん、素直に、言うてましたね。
でも、武志くんの病気のことをまだ言うてないから、複雑な表情やったけど(涙)
「人を思う気持ち」 あのアンリさんが言うてた言葉です。
武志くんも、キミちゃんも、人を思う気持ちになってるんですね。
「お父ちゃんとお母ちゃんにはな、お互いを遠くから見る距離と時間が必要やったんや」
なんかもう、このあたり、夜中にリピって一人で泣いてました~
(ダンナが寝てから、リピってます~ おかげで宵っ張り・・)
このあと、母親として息子に告知するんですが、
あの当時は、本人へのがん告知はしないのがふつうの頃です。
現代と違って、患者が知る情報があまりない時代やから可能やったんですね。
昨日、キミちゃんから病名を聞くハチさん、ショックで取り乱してましたね。
最愛の息子、しかも、10数年離れて暮らしていて、
離婚してしまったことへの後悔もあったかもしれません。
キミちゃんが大崎医師から息子の病名を聞いたとき、
顔がだんだんピンク色になっていくのがわかったけど、
ハチさんも同じように顔が赤らんで息ができなくなり、
肩で息をしはじめた様子に、こちらが息苦しくなりました。
大崎医師と対面したときの打ちひしがれた様子とか、
多くの八郎沼民(ハチさんファンのことね!)が泣いてたようです。
40代後半を演じるキミちゃんの戸田恵梨香さん、
ハチさんを演じる松下洸平くん(← 「くん」付け! 笑)
二人とも、ほんとに加齢後の演技がうまいですよね。
洸平くんの前屈みの歩き方とか、オジサン感出し過ぎやけど(汗)
それにしても洸平くん、一気に人気が出て、
今年に入ってから、雑誌やWebでの露出かいっぱいです。
ほんま、すごいです。
気になるので?(苦笑)、つい、本屋さんで立ち読みし(笑)
Web情報もネットで読んでしまうのですが、雑誌ごとに、
(女性誌でもファッション誌、コスメ誌、主婦向けやら若い人向けやらあるけど)
話す内容を少しずつ変えてるのがわかるので、
コミュニケーション力がすごいなぁと。
(聞き出すライターの力もあるんやろうけど~)
脚本の水橋文美江さんが、地元の新聞に書かれていたけど、
八郎は、将来喜美子の夫となる人で、見た目は地味やけど、徐々に、
視聴者に愛されていくイケメンになるように育てたんやそうです。
書き始めた頃は、松下洸平という俳優さんのことを知らなかったようで、
「その方で、本当に大丈夫ですか?」と、プロデューサーに聞いたのだとか。
・・・洸平くんへのアテ書きやないのなら、それはそれですごいですよね。
水橋さんの書く八郎に、洸平くんをキャスティングしたプロデューサーのセンス!
プロデューサーの内田さんは、4年ほど前、舞台で洸平くんを見初め、
ええ俳優さんやなぁと「ストック」してたらしいです~
朝ドラオーディションを4回受けて、書類で落とされ時もあったし、1次審査以上になったことがなくて、
縁がないのかなと諦めかけていたと、オールアップのインタビューで洸平くんは話していました。
最後のチャンスと挑戦した「スカーレット」では、八郎役とは聞かず、
ただ「芝居を見せて欲しい」といわれてオーディションを受けたようです。
内田Pは、ここで「ストック」していた洸平くんを、出してきたんですね~!
オールアップの時に、涙ながらに言うてましたね。
「八郎に出会うために、落ち続けていたのかなと」
立ち読みしたTV番組雑誌に、内田さんのコメントがありました。
「八郎は視聴者に愛されていく役になるだろうと思っていましたが、
反響は私たちの期待以上でした。芝居に真摯に向き合う松下洸平さんの姿勢が
陶芸に生きる八郎とシンクロしたのではないかと思います。
彼自身の努力も見ていたので、視聴者の反応はとてもうれしかったです」
昨日アップされた、ライブドアニュースに洸平くんのインタビューが出てるんやけど
→ こちら
息子が病気になったとき、普段なら、俳優として「泣く準備」をするけど、
朝ドラで半年以上八郎役を演じてきたから、準備はいらなかったと。
武志の父親として、自然に泣けたらしいです。
八郎さんと二人三脚・・・ほんとにこの人は、言葉選びがうまいなぁと感心します。
沼にハマる人が多いのも頷けますね!
そういや15年前、私も、朝ドラでヒロインの夫役をした俳優さんにハマり、
(誰って、いまだに、名前を言うのも恥ずかしいけど・・・あはっ)
今もなお、ず~~っと応援し続けているので、
ゆえに、八郎沼の民の気持ちがよ~くわかります~(笑)
インタビューの中で、「あさイチ」のプレミアムトークでも話していたけど、
「舞台で演じるとき、お客さんに届けすぎてはいけない。
観ている人が考える余地を残しておかないといけない」
ということを、「答えを出してはいけない」という言い方で話してますね。
栗山さんがおっしゃったようですが、「演劇は問いを投げかけるもの」だと。
人間は不完全なものだから、正解はない。
情けないところも全部包み隠さず演じて、考えてもらう。
だから、「八郎さんは名古屋でナニをしてるんだろうとか」いろいろ考えてくれるだろうと。
大人やな~~
洸平くんは、シンガーソングライターでデビューし、
ミュージカルへの出演がきっかけで舞台俳優へ。
それから10年、出会うべくして出会った人が良かったんですね。
共演者はもとより、演出家の鈴木裕美さん、G2さん、栗山民也さん、
こまつ座代表の井上麻矢さんも。
それと、ご本人の努力もありますね。
やりたいことをしっかり見つけて、そのために努力してる。
歌ったことも、楽器経験もなかったのに、
「天使にラブソングを2」を見て歌いたくなり、
高校卒業後、音楽の専門学校のヴォーカル科へ進んだし。
音楽劇「魔都夜曲」の時はジャズピアニストの役やったけど、
そのためにピアノが弾けるように練習したんですって!
ほんま~?
信じられへんくらい上手かったし~
「蘇州夜曲」を弾いてましたけどね。
歌い手に合わせて、そんな簡単に弾ける曲~???
ご自分のyoutubeチャンネルで曲をアップしてるけど、
ピアノの弾きかたりもやってるし~・・・
器用なの? やっぱり、才能豊かな人なんやろうね~
(洸平くんの事務所の先輩を応援してる私としては、ちょっとうらやましい・・苦笑)
ライブドアーの記事のリンク先には、洸平くんの歌もあるので、ぜひ、聴いてみてください。
そうそう、明日の夕方、前回、水橋さんがゲストに出ていたラジオ番組、
「岡田惠和 今宵、ロックバーで~ドラマな人々の音楽談議~」に、
洸平くんがゲスト出演するそうです。→ こちら
すごいね~
早速、次のお仕事をしているようで、
撮影してたみたい・・・ドラマなのかな?
5月封切りの、司馬遼太郎原作「燃えよ剣」の映画にも、斉藤一役で出演するようです。
なんや、この勢い~~
うらやまし・・・
油断禁物、気合いでなんとかしないと、コロナにやられやんように!
文字が小さくてスマホで読みにくい・・と感じたので、1ポイント大きくしました。
それと、昨日、記事投稿が重複したので削除しました~~
すいませ~ん。
数日前に撮ってきました。
郵便局の近くにある、修善寺寒桜。
毎年、お彼岸前に咲き始める桜です。
桜というと、やっぱり、春やねぇ~~
けど、今日は寒い~~
東京は雪降ってたってよ!?
さて、昨日のドラマの話の続きなんですが・・・
実は、私の父も、平成2年に白血病で亡くなったんです。
現在は寛解(完治とはいわないんですね。再発の可能性のある病気は)している人も多いそうですが、
昔は、不治の病と思われていた病気です。
父は70歳で、まだ現役で仕事をしていました。
風邪をひくと治りにくくなり(1週間ぐらい寝込んでた)
髭を剃ったときに、カミソリで切れた傷口の出血が止まりにくくなり、
アセモのような吹き出物がいつまでもグジグジして治りにくくなって、
とにかく疲れやすく、「しんどい」を連発してました。
かかりつけの病院に行くと、成人病センター(現県立総合病院)を紹介され、
そこで血液検査、胸骨の髄液検査で白血病と判明。
本人にも告知されました。
70歳という年齢もあったからか、医師から
積極的に骨髄移植の話はされてなかったと思うけど、
当時は、ドナーが見つかる可能性はかなり低かったと思います。
というのも、日本で骨髄バンクが発足したのは、1991年。
骨髄バンクを通じて造血幹細胞移植をした例は、
1997年には1000件、2003年には5000件、
2008年に、10,000件を突破したそうですが、
(白血病の基礎知識HPより → こちら)
父が亡くなった平成2年(1993年)、移植は夢の話やったでしょうね。
父は、告知から8ヶ月の命でした。
血液のがんは、切ったりはったりできる病気ではなく、抗がん剤の投与のみでしたね。
副作用で吐き気があるので、食事もできないし、薬を飲むためのお水を飲んでも吐いてました。
母が、「代わってあげたい」と言うと、父は、
「こんなしんどい病気、代わられへんで」と言うてました・・・
朝ドラ「スカーレット」で、キミちゃんが言っていたとおり、
HLAという白血球の型が合わないと骨髄移植はできません。
両親それぞれから型となるものをもらうから、
同じ両親から生まれた兄弟間では、合致率が25%あるらしいけど、
両親と型が同じという可能性は、まさしく1%以下なんですね。
キミちゃんとハチさんには、子どもは一人だけやし、
骨髄バンクもない時代、HLAが合うドナーを見つけるのは至難の業です。
病名を知らされる前の武志くんが、母であるキミちゃんに、
両親の離婚のことを話してましたね。
「お父ちゃんはお母ちゃんに負けて出て行ったって、
お母ちゃんも聞いたことあるやろ。
オレもぐれてたかもしれん。
大学へ行くのに、信楽から出ていって良かった。
いろんな人に会うて・・・
お母ちゃんとお父ちゃんの離婚のことも考えたで」
ええ子やね。ほんまに、ええ子や~
「今な、お父ちゃんとお母ちゃん、ふつうにしゃべれるようになって、
ほんまに、良かった。新しい関係、大賛成や」
「武志のおかげやな」
キミちゃん、素直に、言うてましたね。
でも、武志くんの病気のことをまだ言うてないから、複雑な表情やったけど(涙)
「人を思う気持ち」 あのアンリさんが言うてた言葉です。
武志くんも、キミちゃんも、人を思う気持ちになってるんですね。
「お父ちゃんとお母ちゃんにはな、お互いを遠くから見る距離と時間が必要やったんや」
なんかもう、このあたり、夜中にリピって一人で泣いてました~
(ダンナが寝てから、リピってます~ おかげで宵っ張り・・)
このあと、母親として息子に告知するんですが、
あの当時は、本人へのがん告知はしないのがふつうの頃です。
現代と違って、患者が知る情報があまりない時代やから可能やったんですね。
昨日、キミちゃんから病名を聞くハチさん、ショックで取り乱してましたね。
最愛の息子、しかも、10数年離れて暮らしていて、
離婚してしまったことへの後悔もあったかもしれません。
キミちゃんが大崎医師から息子の病名を聞いたとき、
顔がだんだんピンク色になっていくのがわかったけど、
ハチさんも同じように顔が赤らんで息ができなくなり、
肩で息をしはじめた様子に、こちらが息苦しくなりました。
大崎医師と対面したときの打ちひしがれた様子とか、
多くの八郎沼民(ハチさんファンのことね!)が泣いてたようです。
40代後半を演じるキミちゃんの戸田恵梨香さん、
ハチさんを演じる松下洸平くん(← 「くん」付け! 笑)
二人とも、ほんとに加齢後の演技がうまいですよね。
洸平くんの前屈みの歩き方とか、オジサン感出し過ぎやけど(汗)
それにしても洸平くん、一気に人気が出て、
今年に入ってから、雑誌やWebでの露出かいっぱいです。
ほんま、すごいです。
気になるので?(苦笑)、つい、本屋さんで立ち読みし(笑)
Web情報もネットで読んでしまうのですが、雑誌ごとに、
(女性誌でもファッション誌、コスメ誌、主婦向けやら若い人向けやらあるけど)
話す内容を少しずつ変えてるのがわかるので、
コミュニケーション力がすごいなぁと。
(聞き出すライターの力もあるんやろうけど~)
脚本の水橋文美江さんが、地元の新聞に書かれていたけど、
八郎は、将来喜美子の夫となる人で、見た目は地味やけど、徐々に、
視聴者に愛されていくイケメンになるように育てたんやそうです。
書き始めた頃は、松下洸平という俳優さんのことを知らなかったようで、
「その方で、本当に大丈夫ですか?」と、プロデューサーに聞いたのだとか。
・・・洸平くんへのアテ書きやないのなら、それはそれですごいですよね。
水橋さんの書く八郎に、洸平くんをキャスティングしたプロデューサーのセンス!
プロデューサーの内田さんは、4年ほど前、舞台で洸平くんを見初め、
ええ俳優さんやなぁと「ストック」してたらしいです~
朝ドラオーディションを4回受けて、書類で落とされ時もあったし、1次審査以上になったことがなくて、
縁がないのかなと諦めかけていたと、オールアップのインタビューで洸平くんは話していました。
最後のチャンスと挑戦した「スカーレット」では、八郎役とは聞かず、
ただ「芝居を見せて欲しい」といわれてオーディションを受けたようです。
内田Pは、ここで「ストック」していた洸平くんを、出してきたんですね~!
オールアップの時に、涙ながらに言うてましたね。
「八郎に出会うために、落ち続けていたのかなと」
立ち読みしたTV番組雑誌に、内田さんのコメントがありました。
「八郎は視聴者に愛されていく役になるだろうと思っていましたが、
反響は私たちの期待以上でした。芝居に真摯に向き合う松下洸平さんの姿勢が
陶芸に生きる八郎とシンクロしたのではないかと思います。
彼自身の努力も見ていたので、視聴者の反応はとてもうれしかったです」
昨日アップされた、ライブドアニュースに洸平くんのインタビューが出てるんやけど
→ こちら
息子が病気になったとき、普段なら、俳優として「泣く準備」をするけど、
朝ドラで半年以上八郎役を演じてきたから、準備はいらなかったと。
武志の父親として、自然に泣けたらしいです。
八郎さんと二人三脚・・・ほんとにこの人は、言葉選びがうまいなぁと感心します。
沼にハマる人が多いのも頷けますね!
そういや15年前、私も、朝ドラでヒロインの夫役をした俳優さんにハマり、
(誰って、いまだに、名前を言うのも恥ずかしいけど・・・あはっ)
今もなお、ず~~っと応援し続けているので、
ゆえに、八郎沼の民の気持ちがよ~くわかります~(笑)
インタビューの中で、「あさイチ」のプレミアムトークでも話していたけど、
「舞台で演じるとき、お客さんに届けすぎてはいけない。
観ている人が考える余地を残しておかないといけない」
ということを、「答えを出してはいけない」という言い方で話してますね。
栗山さんがおっしゃったようですが、「演劇は問いを投げかけるもの」だと。
人間は不完全なものだから、正解はない。
情けないところも全部包み隠さず演じて、考えてもらう。
だから、「八郎さんは名古屋でナニをしてるんだろうとか」いろいろ考えてくれるだろうと。
大人やな~~
洸平くんは、シンガーソングライターでデビューし、
ミュージカルへの出演がきっかけで舞台俳優へ。
それから10年、出会うべくして出会った人が良かったんですね。
共演者はもとより、演出家の鈴木裕美さん、G2さん、栗山民也さん、
こまつ座代表の井上麻矢さんも。
それと、ご本人の努力もありますね。
やりたいことをしっかり見つけて、そのために努力してる。
歌ったことも、楽器経験もなかったのに、
「天使にラブソングを2」を見て歌いたくなり、
高校卒業後、音楽の専門学校のヴォーカル科へ進んだし。
音楽劇「魔都夜曲」の時はジャズピアニストの役やったけど、
そのためにピアノが弾けるように練習したんですって!
ほんま~?
信じられへんくらい上手かったし~
「蘇州夜曲」を弾いてましたけどね。
歌い手に合わせて、そんな簡単に弾ける曲~???
ご自分のyoutubeチャンネルで曲をアップしてるけど、
ピアノの弾きかたりもやってるし~・・・
器用なの? やっぱり、才能豊かな人なんやろうね~
(洸平くんの事務所の先輩を応援してる私としては、ちょっとうらやましい・・苦笑)
ライブドアーの記事のリンク先には、洸平くんの歌もあるので、ぜひ、聴いてみてください。
そうそう、明日の夕方、前回、水橋さんがゲストに出ていたラジオ番組、
「岡田惠和 今宵、ロックバーで~ドラマな人々の音楽談議~」に、
洸平くんがゲスト出演するそうです。→ こちら
すごいね~
早速、次のお仕事をしているようで、
撮影してたみたい・・・ドラマなのかな?
5月封切りの、司馬遼太郎原作「燃えよ剣」の映画にも、斉藤一役で出演するようです。
なんや、この勢い~~
うらやまし・・・