古鷹山
2015年5月18日(月)
わが故郷江田島の古鷹山に登ったのであります。目的は、山頂からわが故郷の写真を撮るためです。その写真は、「いとこ会記念誌」に載せることにしています。
・2015年5月1日、広島県江田島市。
江田島行きのフェリーからの古鷹山です。鳥が両翼を広げた姿になっています。
これは、小高い丘に上がって写しました。
標高392m。由来ですが「一葉の小舟が荒れくるう暴風雨のため難破寸前にせまった時、いづくよりか一羽の大鷹があらわれ、波静かな入江に導きたる後、この山中に姿を消した」とあります。
案内してくれたのは、従弟です。
古鷹山山頂です。最後の約50m(垂直)は急峻な岩場でした。
北の広島市方面を望む展望です。この日、空気が澱んでいて、クリアに写っていません。
空気が澄んでいると、四国山脈が見えるということです。(四国は南側)
左下はかつての海軍兵学校です。
これを教訓として反省いたしました。
わずか、約400mの山ですが、最後の約50mは、岩場で急峻で、チェーンで登るようになっています。リュックがなかったため、カメラを首にかけてチェーンを手繰り寄せるのですが、なかなかしんどい行程でした。山を甘く見てはいけません。反省。
正面の島は宮島です。
方位盤です。
実は、登りが苦しくて、写真を撮る余裕がなかったのです。頭がボーッとして、酸欠状況ということが自分でも分かりました。そのような状況になるとマルチ思考ができなくなります。下山の1枚だけ写していました。
これは、長谷川です。源流は古鷹山です。我々いとこにとっては、古鷹山と長谷川が故郷のシンボルとなっています。
枕崎台風で、多くの犠牲者がでました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%95%E5%B4%8E%E5%8F%B0%E9%A2%A8
1945年9月17日、原爆の投下から1か月少し経った時で、江田島の切串には被爆者が多く入院していました。この長谷川が氾濫し、被爆者も含めて183人亡くなったということです。
私の長姉(当時6歳)の証言によると、この川は土砂で埋まり道路と同じ高さまでなったということです。どうしてこの川が氾濫したかというと、海軍兵学校がエネルギーにするのに松の木を切って松脂を採ったからという噂があったということです。
広島と江田島の中間にある峠島です。
空気が澄み切った、秋の台風一過の時期に再び古鷹山へ登頂を試みる決意をしました。