水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

同窓会

2009年06月22日 | 日々のあれこれ
 土曜はもうひとつイベントがあった。
 演奏後、みんなで写真を撮ってから集合、解散。学校へもどり、楽器をおろして、講評を読んだり、ゴミを捨てたり。
 この後、都内某所で行われるさる会合に出向かなくてはならない。
 とりあえず南古谷にいってみると、残念なことに7:54の快速が出たあとだった。次は8:11の各駅停車になってしまう。これだと新宿に着くのがおよそ1時間後、そこから丸の内線に乗り換えて … 。
 さすが川越線だ。一本乗れないとあとが苦しい。
 一時間に3本しかないというのは、高校の時通学につかっていた京福電車の1時間に2本というのと大差ないではないか。
 だから高校の帰りに一本乗り過ごすと、駅近くの堀田書店でマンガの立ち読みをした。30分でも1時間でも立ち読みさせてくれた堀田書店のおばちゃん、ありがとうございます。
 そこで反対の下り電車で川越まで行き、東上線に乗ってみることにした。川越に行くと、うまいぐあいに緑の電車があるではないか。そうだった、夜は毎時1本だけTJライナーの折り返しにあたる急行よりはやい電車があるのだ。
 それに乗ると、案の定、和光市で副都心線の急行に接続してた。
 川越からわずか五つ目の停車駅が新宿三丁目だ。えらいぞ東武。運転手さんに祝儀切ろうかと思ったくらいだ。
 しかもJR新宿に着くのより、新宿三丁目に着く方が、丸の内線への乗り換えが圧倒的に楽だ。
 21:14に赤坂見附に到着できたが、乗り換えMAPも見ないで赤坂見附へ一人で来られるなんて、なんておれは都会人なんだろう。
 故郷を離れて幾星霜、すっかりあか抜けたシティボーイになった。
 でも赤坂なんて場所で呑むのははじめてだった。
 会場のスナックは、20人くらいの人々がびっしりと席を埋めている。
 見た目では、何の集団かはたぶんわからないだろう。
 実はこの集団、年齢がみな同じなのだ。
 しかし、この年になると、実年齢は同じでも見た目年齢にはかなり差が出てくる。
 見た目ではわからないが、その会話を耳にすると、その異様なイントネーションに、ははあ、さてはとわかる特徴が現れる。
 じつはスナックの扉をあけるときに、二次会会場ってほんとにここでいいのかなと思いながら、中の会話に耳をかたむけ、一瞬にして大丈夫とさとってから扉を押したのだった。
 二次会からの参加者は自己紹介をせよと言われる。
「1年8組、2年5組、3年1組だったみずもちです。ごぶさたしてます、担任は小川先生、東光先生、佐々木先生でした、おそくなってすいません。乾杯!」
 あとは、メールのお礼を言ったり、久闊を叙したり、今なにやってるのとか、なりゆきまかせの会話。 
 高校時代には存在さえ意識しなかった子と普通に会話しているのも不思議だ。
 もっと盛り上げなきゃというあせりも、この後どう展開しようかという邪念も何もなく、ただ流れる福井弁のリズムとイントネーションに身をまかせているゆるやかな時間。
 同じ高校を同じ学年で卒業したというだけで、こんなに安心感は生まれるものだろうか。多感な時代に、同じ場所で同じ空気を吸っていたという経験の記憶は、こんなに長持ちするものだろうか。
 いま自分の仕事は、まさしく、子ども達がそういう経験をする場をつくることなのだなあと考えると、やはり勉強だけではよくないと思うのだ。
コメント (1)
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