水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ディアドクター

2009年06月29日 | 演奏会・映画など
 昨年、映画「おくりびと」が、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したことは記憶に新しい。
 この受賞が慶賀すべきものであることに異論はないが、みんな喜びすぎではないかと当時は感じ、今はその思いをさらに強くしている。
 というのも、最近話題になった日本映画と、アカデミー賞を受賞した、または候補になった作品とを見比べたとき、邦画の方により満足感を得られる経験を、ここ数年、何度もしているからだ。
 「おくりびと」がアカデミー賞にノミネートされたのを知ったとき、欧米の人から賞を貰うのにちょうどいいレベルの作品だなと思った。そして、「おくりびと」以外に、おそらく欧米では評価されないだろうが、すぐれた作品がいくつもあることを知っていた。
 それは、巨匠と言われる映画監督の手になるものではなく、番宣やキャストに莫大な予算をつぎ込んだものでもなく、監督の高い志と、誠実な作り込みのよって出来上がった作品群である。昨年でいえば、「歩いても歩いても」「ぐるりのこと」といった作品がそれであり、西川美和監督の「ゆれる」もすばらしい作品だった。
 その西川監督の「ディアドクター」は、今年の日本映画を代表する作品だ。

 笑福亭鶴瓶が、山あいの小さな村の勤務医に扮する。住民の半分は高齢者というこの村で、診療所に勤務する鶴瓶は「先生」「先生」と慕われている。
 その医師がしかし、突然失踪する。
 一体なぜか。そもそも伊野(鶴瓶)という医師は何者だったのか。徐々にその謎が解き明かされていく過程で、住民の人間関係や、村の、というか日本の医療の問題が垣間見えてくる。
 いや医療ではなく、日本人の暮らしのありようと言ってもいいかもしれない。
 鶴瓶のもとに、東京の医大を卒業し研修医として赴任してきた瑛太がこう語るシーンがある。
「先生のやってることがほんとうの医療です。うちのお父さんは大病院の経営のことばかりで、患者の顔などひとつもみていない」
「わしは、しょせん、にせもんや」という鶴瓶のセリフの本当の意味を、瑛太はのちに知ることになる。

 何が本物で、何がにせものなのか。
 医者の免許状をもってさえいれば、ほんものの医者と言えるのか。

 その村に、夫を失い、三人の娘たちも家を出て、一人で暮らす、鳥飼かづ子という女性を八千草薫が演じている。
 三女役の井川遙は、医大を出て今は都会で医者として暮らし、母の住む実家に帰省できるのは、年に一度あるかないかだ。
 鶴瓶は、彼女が検診を受けに来ないことを気にやんでいたが、ある日畑で倒れたという知らせを聞いて飛んでいき、相当具合いが悪いことに気づく。
 八千草薫自身、自分の体調が亡くなった夫と同じように悪いものではないかと気づいている。
 鶴瓶は、娘さんのもとでちゃんと治療するべきだと勧めるが、首を縦にふらない。
 娘に迷惑をかけたくないからだという。
 自分がこのまま、田舎で静かに余生をおくっていれば、誰にも迷惑はかけないから、黙っていてほしいと言う。
 娘には嘘をついてほしい、と。
 鶴瓶は、その思いを受け入れ、その嘘に荷担することになるのだが … 。
 作品の後半で、母親の本当の状態を井川遙が知る。
 井川遥も、自分に知らせようとしなかった母の気持ちは、いたいほどわかるのだ。
 だから、すべてを知りながら「念のためにうちの病院で検査を受けてみない」と声をかける。
 母は、「もうそんなのいいよ、だいじょうぶ … 」と言いかけ、娘が必死で涙をこらえているのに気づき、「でも、ちょっと行ってみようかな」と言うのである。

 ある田舎の旧家の、ふすまを開けるとつながる二つの和室。
 ふすまは空いているが、ふたつの部屋に分かれて座り、正面から向かい合わないようにして会話する親子。
 田舎を離れ、東京の病院に勤務する娘は、自分のやりたいことを実現させるのを善とする、戦後の日本人の一つの姿だ。
 その結果、自分が属していた古い共同体からは、巣立っていく。親は寂しさを感じながら、我が子の自己実現の手助けをする。
 父の生命保険や遺産や、田んぼ一枚ぐらいは売って、娘の学費を工面したかもしれない。
 娘は、親が自分にどれだけ尽くしてくれたかを、十分わかる年になった。
 お互いの気持ちをいたいほど知りながら、相手を思うが故に素直にそれを表せない母と娘のありよう。
 この二人のやりとりには、そんな親子の思いが凝縮されている。
 日本映画の歴史に残る名場面だと、胸があつくなった。
 娘を心配させまいと「嘘」をつく母親の気持ちは「本物」だ。
 何が「本物」で、何が「嘘」なのか。
 作品はこう問いかけてくる。
 そしてこの「ディアドクター」という作品自体は、まさしく「本物」の映画である。
コメント
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