水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

自民党総裁

2009年06月24日 | 日々のあれこれ
 東国原知事が、総裁になれるなら自民党から立候補すると言った話で、マスコミはおにぎわいだ。宮崎県民は拍手喝采だろう。
 「顔洗って出直せ」と怒る自民党議員の余裕のなさは、すでに下野する気分が蔓延しているからなのだろう。県政を投げ出すのはどうかとコメントする鳩山さんも、ずれてるとしか言いようがないが。
 あえて言わせていただければ、不肖この私めも、総裁のイスを用意していただけるなら、そのようなオファーについては十分前向きに考慮させていただく用意はある。
 やりたいことはいくらでもある。
 万が一そのようなことになるなら(だから、ならないって)、それは世のため人のために尽くせという神の声だと受け止めたい。
 マニュフェストとしては、教育現場に良識を復活させるべく努力したい。
 まず、神奈川県立神田高校だ。入試のときに外見を理由にして不合格者を出した前校長に、もう一度校長職にもどっていただきたい。
 学校の対応は間違ってない、ピアスやミニスカで受験したら不合格になってもおかしくないだろうという声もおこっているという話もきいていたから、様子は変わっていたのかと思っていたが、やはり校長は処分された。
 さらに県教委は、不合格になった子どもに慰謝料を払うことにしたという。
 慰謝料をよこせとまで言い出したのは親にちがいない。
 この子たちの親と言えば、同世代である。
 入試や入社試験に、変なかっこうで言ったら落ちてあたりまえだ、と教えてあげるのが大人の仕事なのに。
 大人が大人の役割を果たさない例は身近なところにもある。
 昨日のコンクール抽選会。
 コンクールの出演順、出演日は、当然ながら抽選で決まるのだが、事情によっては出演日の希望をきいてもらえる。
 学校行事や顧問の研修など、様々な理由に基づいて希望はけっこうとおる。
 このあたりは、あんまり書いて身内の恥をさらすわけにはいかないのだが、今年は「いくらなんでも、これは認められないのではないか」と思われるものでも全部OKだった。
 個人の事情でコンクールの日程をかえてほしいと言って来た子がいたら、それはできないんだよ、と教えるのが大人の仕事だ。
 個人の事情、もっと言えば個人の利益のために、全体の公平性が失われ、不利益をこうむる団体が現実としてでてくる。
 来年は、総会に出て疑義を呈してみたいと思っている。
 抽選会に出始めて(顧問になって4年目くらいかな)、おかしいと思って意見を言ったことがある。
 その頃にくらべても、事態は悪化(と思うんだけどなあ)するばかりだ。
 このような措置を教育的配慮とおっしゃる方もおられるが、個が公に優先できるなどと教えることが教育ではない。
 苦渋の選択の積み重ねこそが人生だと教えることが教育なのだ。
 自信をもってこの程度言えるぐらいには年はとった。
 義は我にあり。
 「千万人といえども我行かん」の心意気をS先生からも学んだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする