水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

11月4日

2009年11月04日 | 日々のあれこれ
 にじの家開所は17年前か…。
 「ブルーリッジサガ」を演奏した記憶がある。
 移調楽器の意味が今ひとつ理解できなかったころだ。
 おやけん、こんどうが27歳か…。
 でも、まだまだ若いな。
 歳をとると、執着が減るというのはたしかにあると思う(人によるけど)。
 ぎゃくに言うと、大人の世界は大変だな、やだなと思えるのは若い証拠で、まあこんなもんだよなという悟りの境地に入ると、ほどよい大人ということだろうか。
 とすると、まだ自分は大人になりきってないなと感じるのは、たとえば「週刊ポスト」や「アエラ」で、菊池雄星くんの記事を読むと、肚がたってしょうがないことだ。
 花巻東高校の菊池くんほどの投手は、もうばんばん大リーグに行って活躍すべきではないだろうか。
 なのに、アメリカに行かせないようにしようとする、有形無形の力が様々にはたらいた結果、彼は国内球団を選んだようなのだ。
 あれだけの才能があって、純粋にどっちでもいいよって言われたら、メジャーリーグって言うのがふつうじゃないかな、今どき。
 音楽の分野ではとっくの昔からそうなっている。
 クラシックならドイツやフランスに行って認められてなんぼみたいなとこがあるから、ほんとうに音楽で生きていこうとする人はなんらかの形でそういう勉強をしようとするだろう。
 そこまでのふんぎりをつけられるかどうかと、才能のレベルとの相関はたぶんかなり高い。
 メジャーに行かせたらもうおまえの学校から選手はとらないと監督に言った国内球団の人とか、もともとくさってるからしょうがないけど高野連とか、あげくのあはてに「いい気になるな」と手紙を送ってきた人までいるという記事を読むと、どこまでが真実かはわからないけど、まちがいなくそんな状況だろうなあという想像はできる。
 それでも行ってしまうぐらいの強さがあると、野茂選手のように大成するのだとも言えるけれど。
 執着とは結局金か。
 菊池くんにアメリカに行ってほしくない人と、行ってがんばってほしい人との違いは、そこにしかない。
 菊池くんでお金もうけできるかどうか。
 八ツ場ダムも同じだし。
 いや、お金に執着すること自体への嫌悪ではない。
 誰だってお金はないより(気持ちを病まない程度には)あった方がいいに決まっている。
 お金の話なのに、「君の将来を思って」とか「埼玉県民のために」というごまかしが卑怯だと思うのだ。
 
 
コメント
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