水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

昭和32年

2009年11月24日 | 演奏会・映画など
 映画「ゼロの焦点」は、昭和32年が舞台だ。
 「オールウェイズ3丁目の夕陽」が昭和33年を舞台にして、見事にその時代を感じさせたのに対し、「ゼロの焦点」が昔に見えないのはなぜだろう。
 役者さんの問題?
 いや、芸達者はそろっているし、広末涼子、中谷美紀、木村多江は贅沢すぎるキャストのはずだ。
 「おくりびと」「嫌われ松子」「ぐるりのこと」のいろんなシーンを思い出せば、三人が力のある女優さんであることは間違いないと思うけど、それが活かせてないのは、監督さんの問題なのだろうか。
 いくら良い素材があっても、伯楽がいなければだめということか。
 良い選手がいても勝てるチームになるかどうかは別なのと同じかもしれない。

 広末涼子が、金沢出張から帰る夫を待ちながら、夕飯の支度をする場面がある。
 そのとき、カメラは昔の炊飯器やトースターの並んだ棚をまず写す。
 あの白くて銀のとってがあって、ポンて飛び出すトースターがあったじゃないですか。
 今、ああ、あれねって思った人は、けっこう歳いってますから。
 で、これをあえて写すところが問題なのかなと思う。
 ふつうに撮って、よくみると部屋の中の調度は全部昔のものだよね、こんなこまかい物にもこだわってたんだあ、と気づく人は気づくというレベルでとるべきなんじゃないかな(評論家か!)。
 でも、そうでないと、映っているもの以外は、昔のものでないように見えてしまうのだ。
 ただでさえ、広末涼子を昭和32年の20歳代の女性に見よというところが少し苦しい。
 「3丁目の夕陽」は、画面に映ってない部分も、ちゃんと昔になっている空気感があった。
 吉岡くんが小雪に見とれてるとき、映ってはいないけど、銭湯から帰る親子や、ちゃぶだいで銚子をかたむけてるおじさんや、子どもを寝かしつけるお母さんや、田舎に手紙を書いてる女の子やらの息づかいが感じられたのだ。
 音符がない部分でも、ほかのみんなと一緒に演奏しているメンバーが集まったバンドみたく。
 定演のDVDでも、なんかおもしろいなと感じる場面は、セリフのない役者もちゃんと芝居している。
 
 あと、ものすごく根本的な話になってしまうが、「ゼロの焦点」という小説そのものが、それほどありがたがるものではないんじゃないかな。
 原作を読んだのはずいぶん前なので確信はないけど、描かれた時代の風俗をとりのぞいてしまうと(もちろんそれが重要なのだろうが)、あんまり中身はないような気がする。
 この曲、昔はなんであんなに流行ったんだろと思われる曲があるが、そういう感じ。

 
 
  
コメント
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