水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

時間術

2009年11月25日 | 日々のあれこれ
 『教師のための時間術』という本に、「イレギュラーへの対応」の重要性が述べられていて、なるほどと思った。
 教員にかぎらず、仕事にはイレギュラーがつきもので、なかなか予定通りにいかないことが多い。
 多いというか、ほとんど毎日がその連続だ。
 今日はこんな練習をしようと思ってわくわくして行くと、想定していたメンバーがそろわなかったりする。
 授業などその最たるもので、ここでこの質問に答えてもらって、その先流れるようにここまで進もうなどという思いは、まず質問をした瞬間にくずれるといってよい。
 この言葉はどういうことですか?
 はい?
 いや、はいじゃなくて、どういうこと?
 (となりの子に)どこどこ?
みたいなやりとりをしてるうちに、こめかみのあたりからプチプチっと小さな音が聞こえ始めるのが普通だ。
 この空き時間にこの仕事をしようという計算は、誰かがけがをしたとか、なんかトイレでもめてるらしいとか、保護者からのクレーム的電話だとかで、簡単に失われていく。
 やっとのことでお弁当をひろげると、「お食事中すいません」といろんな人が話しかけてくるけど、話しかけるのだからすいませんと思ってないのはたしかだ。
 『教師のための時間術』では、そういうイレギュラーがおきないようにする方法が述べられていた。
 それでも、イレギュラーはおこる。
 長年の経験から得られた結論を述べてみたい。
 時間術の基本は、「計画しない」である。
 もちろん、生徒さんがたには「目標の実現のために計画的にとりくんでいこう」と語っているが、大人になってしまえば、もういいんじゃないかな。

 仕事術関係の本をこれまでに段ボール箱で何箱分も読んできて、いろいろ試しもしたが、われら凡人には大きな変化は起きない。
 かぎられた何%の人だけが大きな変化を起こせるから、本も書けるのだ。
 そういう意味で、「勝間和代を目指さない」という香山リカさんの教えは正しいと思う。
 これこれこういうことをしよう、こういうことをしたい、こんな目標を達成したい、こういう人生を送りたいと願っていることは、手帳に書いて毎日見なくても実現していく。
 実現してないものは、やり方や時間の使い方が稚拙だったのではなく、本気で思ってなかっただけのことだったというのが、真相ではないだろうか。
 本当にやりたいことはいつのまにかやっている。
 やれなかったことは、実はそんなにはやりたくなかったことなのだ。
 計画を立てて、いつまでにこれをやらなきゃと思うから、できないとストレスがたまる。
 Aということができたにせよ、できなかったにせよ、本人以外にとってはたぶんどうでもいいことだ。
 本人にとっても、何年かすればなんでもないことになる。
 ある人間のものすごい大きな取り組みにしても、地球単位でみたら、ほんの小さな、というかあるかどうかさえわからないようなものだ。
 だから「すべては成り行き」だと思うこと。
 
 あ、もちろんここを読んでる若い方、部員、OB諸君は、もうしばらくはあがいてみた方がいいと思うよ。
 願いがかなうかなわないは別として、あれこれあがいて、喜んだりくやしがったりするその経験は大事というか、絶対必要だと思う。
 ただし、どうしてもうまくいかない時は、見方をかえてみるのも必要だ。
 これって別にうまくいかなくても、実はそんなに問題ないかも、というように。
 「なりたい自分」とは絶対的なものではない。
 それはその人自身がつくりだしたものであって、絶対的に存在するものではない。
 その人が、それまでの人生での経験をもとに何となく作りあげているもの、程度のものなのだ。
 親の願いではあるかもしれないけど、神の啓示ほどのものではない。
 「なりたい自分」「実現したいこと」自体を、絶対的なものとする根拠は自分の中にしかないのだから、自分そのものをフレキシブルにしておいた方が、かえってほんとにやりたいことにも近づけるような気がする。
コメント (1)
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