水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

アバター

2010年01月24日 | 演奏会・映画など
 小学校高学年から中学生にかけてSFをけっこう読んだ。
 そのなかには異星人、人間以外の生命体との接触をモチーフにする作品も多くあった。
 小学生のころは、くらげのような形をした火星人的な生命が登場するとわくわくしたが、いつからか、その造型があまりに人間的であることに違和感を覚えるようにもなった。
 人間の想像の範囲内をまったく逸脱していないことへの不満だったのだろう。
 この広い宇宙には、人間以外にもなんらかの生命があるはずだとは思うけど、それがなんとなく人間ぽい姿をしていると考えるのは、あまりにイマジネーションが欠如している。
 だから、たとえばアメーバみたいな生命体とか、ほとんどウイルスなんだけどやたら知的な生命体なんてのが出てくる作品だと、本気で怖くなったものだ。
 有川浩の『空の中』に出てくる生命体は、そういう意味でものすごいリアルだった。
 もっといえば生命という概念自体、われわれ地球人が造りだしたものにすぎない。
 生と死の境界をもたない「生き物」がいたっておかしくないのだ。

 映画『アバター』は、地球から5光年離れた衛星パンドラにある、貴重な鉱物を手に入れようとする地球人を描く。
 この星に住む生命体は、異星人というよりは、異民族というか原住民という感覚で描かれている。
 先住民ナヴィを立ち退かせるために、主人公のジェイクがアバターとなって先住民との接触をはかる。
 先住民のなかに入り込み、情報を手に入れるためだ。
 しかしいつしか先住民の娘と恋に落ち、地球人(ていうかアメリカ軍でしかないところが、アメリカ映画の閉鎖性なんだけど)の傲慢さに気づき、その侵略から星を守るために立ち上がる。
 あらすじ的には、定演2部の小芝居よりもシンプルだ。
 ここまでひねりがないのは、ひょっとして監督は内容より映像そのものがあればよかったのだろうか。
 なんらかの思想性があるようにも見えたけど、「ナウシカ」から何年も経って、今これ? という疑問もないではなかった。
 しかし、ストーリー以外は本当にしっかりつくりこまれている。
 ナヴィの住む星パンドラは、細部にわたるまで、いかにもこんな星があって、こんな生物がいそうだという造型が造り込まれている。
 見えてない部分、映らない部分も、まったく手を抜くことなく、きっちり仕事がほどこされているのだと思えるほど濃密なのだが、意表をつくものではない。
 人間の想像の範囲内。
 かなり意図的にベタベタにつくっているのだとも思えるが、大人目線で観ると正直物足りない。
 小学校高学年くらいにこれを観られたなら、純粋に楽しめただろう。
 こんな映画をつくれる大人はすごいな、って。
 アメリカの人にはちょうどいいかな。
 たぶん、学校の人権教育の教材にもつかえる。
 なんにせよ、子供だましもここまで徹底できたらえらいものだ。
 ていうか、もっと素直に観ろよ、おれ。
 
  
コメント
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