水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

読解以前

2010年01月27日 | 国語のお勉強
 「桃花源記」を教えていて「桑畑があるってどういうこと?」と聞いたら答えられない子がいて、それは純粋に「桑畑→蚕」という結びつきを知らないのが原因であることがわかった。
 たしかに養蚕がメジャーな産業ではなくなってずいぶん経つけど、一定の年齢以上の日本人の心にはそれなりの位置を占めているはずだし、いまの高校生でも、連想ゲームで「桑畑」と出題されたら「蚕!」ぴんぽん! となるはずだと思ってた。
 あまかった。
 こういう例はたぶんたくさんある。
 当然知っているだろうと思って授業を続けてて、気がついたらみんなの顔にはてなマークがうかんでたということが。
 あたりまえだのクラッカー、なんて言っても知ってるわけないのだ(言わないけど)。

 今年のセンターの評論でも、「商業資本主義から産業資本主義への変遷」という話がでてきて、注もつけてもらえないのだが、世界史や政経を勉強してない人には、なんの話なのかイメージがわかなかったのではないだろうか。

 「スピード不足は語彙力不足」というお言葉を先日コメント欄にいただいた。
 国語に限らず、英語でも社会でも言葉を知らないまま勉強し続けても成績はあがらない。
 だから今はひたすら語彙を増やすことだ。
 あ、急に高校1、2年生へのメッセージ的な話になります。
 そのために、問題集でも参考書でもたくさん読んで、単語帳をつくっていくことが、現代文でも大事。
 昔はそんなこと言われなかったな。
 「現代文重要単語集」が今いろいろと出版されてるのは、やはりそういう事情なのでしょう。
 そういうというのは、大学入試で出題される文章の語彙と一般的高校生のもっている語彙の差が大きくなっているという。
 
 「問題を解いたら、納得できるまで解説を読む、そして一題一題をじっくりものにしていくべきだ」という考え方は、なるほどとは思うものの現実的ではない気がする。
 いや、そうやってじっくり自分のものにできるなら理想だけど、わかんないものはじっくりやってもわかんないのだ。
 そこそこ理解できたら先に進んで、たくさん読んでたくさん言葉を覚えたあとに、もう一回もどってくると、なるほどそうだったのかと理解できることもあるものだ。
 入試に出るような文章は、それなりの学者が力をこめて書いた文章なのだから、そんな簡単にわかられてたまるか的なものもある。
 問題集の解説も、そんなに時間をかけなくていいと思う。
 わかりやすい解説を書ける先生は世の中にそんなにはいない。
 予備校のトップクラスの先生。
 たとえば河合模試の解説は詳しいけど、詳しすぎてやになる人もいるだろう。
 2行くらいで、これはこうだからこうだ、と説明できる先生がえらい先生で、個人的には今は代ゼミの船口先生かな。
 現代文は相性のよしあしもある。
 出口先生がいいという人もいれば、霜先生がいいと言う人もいる。
 板野先生の説明を読んではじめてわかったという人もいる。

 話をもどすが、とにかく語彙力。
 国語の勉強はこれにつきるのではないかと、最近とくに感じる。

コメント
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